大仁田山から高水三山へ奥武蔵の小峰から奥多摩へ |
2000年1月2日 |
逆川ノ丸より高水山(左)、と岩茸石山(右)を望む
唐竹橋(735)→大仁田山登山口(745)→尾根(810〜820)→細田集落上部地蔵尊(840〜845)→大仁田山山頂(915〜930)→成木尾根分岐(950)→久方峠(1030〜1035)→小沢峠(1105〜1120)→長久保山(1205〜1215)→黒山山頂(1300〜1305)→逆川ノ丸(1320〜1325)→成木分岐(1400〜1405→岩茸石山山頂(1430〜1440)→惣岳山山頂(1510〜1520)→御嶽駅(1620) |
ミレニアムだとかコンピューターの誤作動とか大騒ぎの中で西暦2000年が明けた。単にキリストが生まれてから2000年(ただし正確にはキリストの生まれたのは紀元前3年から4年が正しいらしい)というだけでクリスチャンでもない私にとって特別な意味はないが、一つの区切りであることは確かである。今年の正月休みは6日間。家でぶらぶらしていても仕方がない。山に行ってみることにした。埼玉に戻ってからどうも山へ行こうという意欲が衰えた。静岡の山と異なり、近郊の山はどこもかしこも案内書も道標も完備のハイキングコース。地図読みの楽しみも冒険心を満足させてくれることもない。
奥武蔵の山々はすでにあらかた踏破してしまっているが、それでも幾つかの小峰が残っている。その中の一つが名栗川右岸の山・大仁田山である。都県尾根から少し埼玉県側に入った小峰で標高も低くそれほどポピュラーな山ではない。前々から気になっているのだが、鴻巣の自宅から名栗川流域に入るにはいたって交通不便なこともあり、いまだ未踏のままとなっている。しかし、この山だけでは半日仕事、いかにも物足りない。地図を眺めてルートを思案した。大仁田山から小沢峠を経由して奥多摩とのジャンクションピーク・黒山まで都県尾根を辿り、そこから長駆高水三山に抜けるルートを設定した。高水三山は1984年10月、当時4歳の長男を連れて登ったが、地図上の赤線が孤立している。このルートをたどれば奥多摩と奥武蔵の赤線が連続する。 北鴻巣駅発5時24分の一番列車に乗る。高崎線、川越線、八高線と乗り継いで東飯能駅着7時1分。同じ埼玉県だというのに何とも遠い。ようやく白々と夜は明けてきたが、期待に反して空はどんよりとしている。正月の早朝のためかがらんとした駅前で7時12分発の名郷行きのバスを待つ。しかし、バスは一向に来る気配がない。バス停に張り紙がしてあり、「30日、31日は休日時刻。1月4日から正常時刻で運転」とある。いったい正月三ケ日はどうなっているのかさっぱりわからない。運休なのだろうか。仕方がないので、駅前に1台だけいたタクシーに乗り込む。車は名栗川沿いの道を進み、あっという間に唐竹バス停に着いた。正月早々3380円の散財である。 地図を確認し、唐竹橋を渡り登山口を目指す。周りは新興住宅地となっている。山間のこんな寒々としたところにまで宅地造成されるとは驚きである。しかし考えてみれば、飯能駅から西武線で池袋まで48分。十分東京への通勤圏である。約10分で登山口に達した。住宅の裏手から山中に向かう小道を小さな道標が大仁田山と示している。沢沿いの小道を進む。犬を連れた少女とすれ違う。道はすぐに沢から離れ、左手の杉桧の樹林の中をジグザグに登りだす。四十八曲と言われる急登である。辿っている山道は成木川水系直竹川奥の黒指、細田などの集落と名栗川流域を結ぶ古くからの峠道である。傾斜が緩み、右に巻くように登っていくと尾根にでた。二万五千図の408メートル標高点に続く支尾根である。腰を下ろして朝食とする。四十八峠とはどの地点を指すのか今では不明となってしまったようだがここが四十八峠の最有力地点である。辺りは静寂そのもので風の音さえしない。 確りした小道は尾根を左から巻きながら進む。左に小道が分かれ、苔で覆われた大正13年銘の石柱の道標がある。来し方を「原市場、名栗」、向かう方向を「細田、成木」、左に下る小道を「黒指」と読み取れる。巻道をさらに進むと黒指へ下る尾根道を左に分け、すぐに地蔵堂の建つ明るい辻に着く。四十八峠はこの地点であるとも言われている。すぐ下が細田の山上集落である。天気はいくぶん回復し、薄日が差してきて日溜まりは温かい。大仁田山へはこの地点から尾根を巻くように登っていく踏み跡を辿っても行けると思われるが、いったん細田集落に下る。尾根直下に発達したこの集落はまるで桃源郷のような雰囲気がある。数軒の大きな家々が明るい緩斜面に散らばっている。集落内の舗装道路を進むが、人影はない。 すぐに小さな道標が右斜面を登る小道を大仁田山と示している。小さな社を過ぎ、送電線鉄塔をくぐると尾根の南側を巻く道に出会う。小道を斜行すると尾根にでて、しばらく進むと道標があり大仁田山への踏み跡が右に分れる。辿って来た確りした踏み跡は、なんの標示もないが、おそらく小沢峠へ続いていると思われる。分岐からひと登りで大仁田山山頂に達した。山頂は鬱蒼とした杉桧の樹林の中で展望は一切ない。505.7メートルの三等三角点「赤沢」のみがぽつんと置かれ、物音一つしない。奥武蔵にもこんな静かな頂が残されていたのか。日も差さず休むと寒い。 さて、ここから小沢峠に向かうつもりなのだがルートがわからない。二万五千図を眺めても大仁田山付近は緩やかな尾根と谷がからみあっていて地形がいたって複雑である。大仁田山まで来れば小沢峠へのルートを示す道標ぐらいあると思っていたが、何もない。先程の山頂手前の分岐まで戻るのが正しそうだが煩わしい。赤沢への下山路に踏み込む。ほんの10メートルほど進むと下山路は尾根を外れて右へ下っていく。しかし尾根上にもまっすぐ進む踏み跡がある。地図上の447メートル標高点に向かうと思われる。小ピークを越えると踏み跡はどんどん下りだす。どうも感じが違う。左手に樹林越しに小沢峠に続く尾根が見える。小ピークまで戻ってみるがルートは発見できない。こうなれば得意の藪漕ぎである。強引に潅木の藪に突入する。驚いたことに人が通ったとも思えない薮の中にピンクのテープがある。私と同じことを考えた先行者がいたと思える。谷状のところに下り、目指す尾根に強引に登りあげると確りした踏み跡があった。小沢峠への縦走路と思える。やれやれである。すぐに左側に踏み跡が分岐する。道標があり、進む方向を「久方峠、小沢峠」、来し方を「大仁田山」、分岐する踏み跡を「成木尾根、安楽寺」と示している。この地点が都県尾根との分岐点なのだ。いつの日かこの尾根を辿って安楽寺まで行ってみたいものである。 踏み跡が急に細くなった。小ピークを越えると急な下りとなった。どうも違う感じがする。左に顕著な尾根が分かれている。登り返してルートを確認してみるが、やはり正しいようだ。小ピークをいくつも越える。展望もなく退屈な尾根道である。ようやく久方峠に着いた。樹林の中の小さな鞍部で名栗川流域から成木川流域に微かな踏み跡が越えている。小休止の後、先を急ぐ。いきなりの急登に息を切らす。道標が頻繁にあり迷う心配はないが、小沢峠は意外に遠い。小ピークをいくつも越す。道の脇に基準点があり、そのすぐ下が小沢峠であった。この峠は二度目である。今から15年前の1985年2月、当時4歳の長男を連れて棒ノ嶺から縦走して達した。名栗川流域と成木川流域を結ぶこの峠道は昔から重要な交通路であり、鎌倉街道ともなっていた。昭和48年にトンネルが開通して峠道は役割を終えたが、今でもりっばな峠道が残されている。展望はないが小さな社も安置されていて峠の雰囲気を色濃く残している。 時刻はすでに11時過ぎ、意外に時間を食っている。先はまだまだ長い。急がないと日が暮れてしまう。いきなりの急登であるが、ここからはハイキングコース、道は見違えるほど立派となった。ひと登りすると、道端に柚子の無人販売所があった。1袋100円、どうせなら峠に設置すればよいと思うのだが。さらに登ると、「熊野三社大権現」と刻まれた寛政11年巳未4月銘の石碑がある。その先には大正8年2月銘の「大山祇命」と彫られた石碑があった。左側が伐採跡となり、今日初めて展望が得られる。しかし視界はどんよりと霞んでいる。ピークを左より巻ながら緩やかに進む。樹林の中の小ピークに達すると「長久保山 686メートル」との私製の標示がある。ここは689メートル標高点ピークのはず。標示標高は間違いだろう。太く広がった緩やかな尾根を進む。馬乗馬場と呼ばれる地点である。畠山重忠が馬術のけいこをしたとの伝説が残る。ベンチのある小ピークに達すると行く手木々の合間に目指す黒山、その奥には棒ノ嶺が姿を現す。 しばしの登りに耐えると、ようやく黒山山頂に達した。誰もいない。南面が大きく開け、よどんだ空気の中ではあるが、今日初めてまともな展望が得られる。目の前にこれから辿る高水三山へ続く尾根が長く伸び、その先に岩茸石山が高く盛り上がっている。目を右に転ずれば川苔山がひときわ高く聳え、赤杭尾根の背後には本仁田山が頭をのぞかせている。時刻はちょうど1時。あわよくば棒ノ嶺を往復しようとも思っていたが、その余裕はなさそうである。都県尾根と分れて高水三山へ続く尾根に踏み込む。この尾根を歩くのは初めてであるが、「関東ふれあいの道」としてよく整備されているようである。植相が変わり、アセビを中心とした潅木の明るい尾根となる。水準点のある明確な一峰に達する。逆川ノ丸との小さな山頂標示がある。足下から続く尾根の先に高水三山が木々の合間に見え隠れしている。まだ大分距離がある。下山は日暮れと競争になりそうである。いくつもの小ピークを越える。さすがに疲れた。わずかな登りでも苦しい。尾根状のピークに達する。成木へのルートが左に分岐している。ここに5人連れの鉄砲打ちが休んでいた。今日初めて山中で出あった人影である。私も一休みする。あと1峰を越えれば岩茸石山である。鞍部に下る。ここが名坂峠である。右に大丹波、川井への確りした下山道が分かれる。左、成木方面へ下る踏み跡には「通行不能」の標示がなされている。 岩茸石山への最後の登りにかかる。相当な急登である。あえぎあえぎ歩を運ぶ。2時30分、ついに山頂に達した。この瞬間、高水三山と都県尾根が赤線で結ばれた。赤線は遠く奥秩父の西端・小川山まで続いている。無人の山頂は大展望が開けていた。ベンチに腰掛け、最後の握り飯を頬張りながら暮れ行く山々を眺める。目の前に成木尾根が長く横たわりその末端は霞む関東平野に没している。その背後には今朝スタートした大仁田山がひとつの山塊となって確認できる。遥けきも来たものである。高校生と思われる4〜5人が高水山方面から元気よく登ってきた。肩には三脚付きの大きなカメラを担いでいる。夕日を撮るのだという。目を西に向けると濁った空気の中、弱々しい夕日がまさに山の端に沈もうとしている。 重い腰を上げて最後の行程に出発する。御嶽駅まで、まだ惣岳山の1峰を越えなければならない。少々悪い急坂を鞍部まで下ると、オートバイでも走れそうな平坦な小道となった。惣岳山の登りは岩場の急登である。岩登り初級程度はある。元気も回復し一気に登り詰める。樹林の中の広場となった山頂には青渭神社の大きな社が鎮座している。しかし社全体が金網で囲まれていて何とも無粋である。最後の休憩を取って下山に掛かる。まだ駅まで1時間以上の道程がある。夕暮れと競争だが立派なハイキングコース、心配はない。樹林の中の小道ともいえる登山道を飛ばす。尾根道は途中、登りもありいらいらする。それでもこの下山道は林道となることもなく駅まで続いている。夕日は既に山の端に隠れた。4時20分、ようやく御嶽駅に下り立った。待つほどもなく上りの電車ががらがらでやって来た。 |