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越生駅(709)→越生神社(720〜722)→西山高取(751)→大高取山山頂(827〜835)→桂木観音(858)→桂木峠(908)→天望峠(924)→鼻曲のコル(940〜947)→368.3m三角点(958)→西上武幹線鉄塔222号(1009)→鼻曲山山頂(1032〜1038)→幕岩(1052)→カイ立場(1100)→愛宕山山頂(1122〜1125)→カイ立場(1139〜1141)→一本杉峠(1156〜1205)→十二曲(1232)→エビガ坂(1254)→ユガテ(1312〜1316)→奥秩父線81号鉄塔下(1335)→武蔵横手駅分岐(1356)→北向地蔵(1405〜1411)→車道を横切る(1421)→車道に合流(1431)→五常の滝(1433〜1437)→武蔵横手駅(1504〜1520) |
天気予報が梅雨入り前最後の晴天を告げている。薮がはびこり低山徘徊もそろそろ終わりである。1ヶ月前、ユガテから顔振峠へと高麗川左岸稜を縦走した。その際、途中の一本杉峠で鼻曲山を越えて桂木観音に下るルートを示す真新しい道標を目撃した。実は、私にとって、このルートは奥武蔵に残された数少ない未踏のルートである。もう何十年も前から気に掛かっているのだが、かなりの難路と聞いていた。帰宅後改めて調べてみると、最近ルートは整備された様子で、昭文社の登山地図でも昔は難路を示す点線で現されていたが、いつの間にか一般登山道を示す実線に変わっている。ただし、途中に幕岩と呼ばれる岩場もあり、初心者は避けるべしとの記載もある。何はともあれ、行ってみることにする。
北鴻巣発5時23分の、上り一番列車に乗り、大宮、川越、高麗川と乗り換え、八高線の越生駅に7時9分に着いた。晴天の日曜日にも関わらず、列車を降りたのは朝練に向う数人の高校生のみ、他に登山者の姿はない。未だ眠っている街中に歩を進める。朝日が早朝の街並みを照らしている。 今日歩く予定の桂木観音から鼻曲山を越えて一本杉峠に到るルートの登山口となる桂木観音までのアプローチは、通常、越生駅から約1時間里道を歩くか、または、駅から黒山行きのバスに乗り、上大満バス停から30分ほど歩くことになる。ただし、今日の私の計画は、越生駅から大高取山を越えて桂木観音まで行くつもりでいる。約2時間の行程だが、アプローチの間に1山稼げるのは魅力的である。実は今から32年前の1983年7月、当時2歳10ヶ月の長男を連れて越生駅→大高取山→桂木観音→越生駅と歩いたことがある。当時を思い出しながら歩いてみよう。 大高取山は越生駅から歩いて登るポピュラーなハイキングの山なので、当然、駅前から確りした道標があるものと思っていたが、それらしき標示はまったくない。少々不親切である。ただし、西方の山腹に見える「世界無名戦士之墓」を目指せばよい。街中を抜け、なおも山に向って車道を進むと、越生神社に行きあたった。なかなか立派な神社である。参拝し、今日の無事を祈る。入れ違いに1人のハイカーが神社から出て大高取山方面に向っていった。 神社を過ぎたところに立派な道標があり、左に分かれる山道を「大高取山」と示している。世界無名戦士之墓経由でも行けるが、道標に従う。確りした登山道だが、深くえぐれ道底に岩盤が露出していて少々滑りやすい。辺りは鬱蒼とした檜の植林である。尾根の左側を巻くようにして登って行く。人の気配はまったくしないが、神社で見かけた先行者のものと思える足跡が認められる。 30分近く登ると、「西山高取」との標示がある平坦地に達し、右より世界無名戦士之墓経由の登山道が合流した。急に小道とも呼べるほど立派になった道を緩やかに鞍部に下ると、山道が左に分かれ、もとの山道に戻った。木の根の絡んだ急坂を登り上げると324メートルの標高点ピークで、「火気厳禁」の看板が立っていた。「幕岩展望台」への道を左に分け、更に登ると、大高取山から桂木観音に続く稜線に達した。 道標に従い、稜線を5分も右(北)へ辿ると待望の大高取山山頂に達した。誰もいない。山頂は376.2メートルの三等三角点「大満」を中心に小広く開け、ベンチが数個設置されている。周囲を樹木に囲まれているが、北東方面のみ樹木を伐採して狭いながらも視界が確保されている。その視線の先には関東平野が霞んでいる。ベンチに腰掛け、握り飯を頬張る。ここまで朝から何も食べずに登ってきた。 山頂を辞し、稜線を南に辿る。越生からの登山道分岐を過ぎ、更に稜線沿いに緩やかに下っていくと中年の単独行者とすれ違った。山中初めて見かける人影である。桂木山と思える緩やかなピークを越え、「幕岩展望台」への分岐を過ぎ、更に緩やかに下っていくと、桂木観音堂に下り着いた。山頂から約25分の行程である。 山腹を背に静かにたたずむ小さな観音堂は山里の雰囲気によく溶け込み、実に好ましい。仁王門の前には県の文化財に指定されている鐘楼が建っている。「鐘は静かに撞いて余韻をお楽しみ下さい」と標示されているところを見ると、自由に撞いてよいようだ。ひと撞きしてみると、澄んだ音色が山里に響き渡った。そう言えば、32年前に長男もこの鐘を撞いて喜んだことを思い出した。 急な石段を下って、ここまで登り上げている車道に下り立つ。さて、どっちへ行ったらよいやら。一瞬立ち尽くす。越生市街、毛呂山市街、大満への道標はあるものの鼻曲山や一本杉峠を指し示す道標はない。聞いてみようにも辺りに人影もない。事前にチェックした登山記録でも「この辺りの道筋は極めてわかりにくい」と書かれていた。ままよと車道を右に進む。ほんの100メートルも進むと車道は終点、その先には人家の間を抜けて細い地道の道が続いていた。 選択の余地もないので小道をたどる。柚畑の淵を抜けしばらく進むと、薄暗い切通しに降り立った。ここに毛呂山町のマスコットキャラクター「もろ丸くん」が画かれた立派な道標があった。現在地を「桂木峠」と記し、反対側の山腹を登って行く山道を「鼻曲山 一本杉峠」と指し示している。やれやれ、ようやくルートが確認できた。この「もろ丸くん」の道標はここから先も頻繁に現れ、多いに役立った。整備してくれた毛呂山町に感謝する。 何の変哲もない檜林の中を15分も進むと鋪装された林道に下り立った。「もろ丸くん」の道標が「天望峠」と示している。林道を使用したロードレース大会が催される様子で、道端ではエイドステーションの準備が賑やかに勧められている。ただし、我々登山者は無視、目を合わせようともしない。帰宅後調べてみると「奥武蔵ウルトラマラソン78キロレース」が開かれていたようである。 道標に導かれて林道を横切り反対側の山腹に取り付く。するとすぐに踏跡は二分した。道標もテープもなく、どちらの踏跡を辿るべきかまったく分からない。これは困った。しばし立ち尽くす。付近を詳細に探ってみると、左側踏跡の草陰に「一本杉峠」を示す朽ちかけた小さな私製道標が、うち捨てられているのを見つけた。ようやくルート判明である。 緩やかに登って行くと、突然反対側から単独行の男性が現れた。一本杉峠から下ってきたとしか考えられないが、それにしてはまだ10時前、いったいどこらやって来たのか不思議である。結局、彼が一本杉峠までの間に出会った唯一の登山者であった。 緩やかに登り、緩やかに下ると小さな鞍部に達した。樹林の中の何の変哲もない鞍部である。もろ丸くんの道標が、「鼻曲のコル」と標示している。鞍部を越える薄い踏跡が確認できるが、あまり歩かれている気配はない。座り込んで握り飯をほお張る。腹が減っては戦はできない。 現れた急斜面を登りきると、再びもろ丸くんの道標が「368.3メートル三角点」と標示している。その足下には四等三角点「中在家」が確認できる。西上武幹線222号送電線鉄塔を過ぎるとロープの張り巡らされた急斜面が現れた。ただし、木の根が斜面に絡み合っているので足場は容易に確保できる。いったん平坦な尾根となるが、すぐにまたロープの張られた大急登が現れる。下りの場合にはかなり危険と思われる急斜面も、登りの場合は比較的容易である。息も切らさずに登り上げるとそこが目指す鼻曲山山頂であった。 樹木に囲まれた小さな山頂は展望もなく平凡である。標高447.3メートルと標示した「もろ丸くん」の山頂標示が立っている。もちろん誰もいない。座り込んで、しばしの休憩とする。それにしても、標示されている447.3メートルという標高はどこから導かれたのだろ。二万五千図を眺めてもこの山頂には三角点も標高点も設置されていないがーーー。440メートルの等高線に囲まれているだけである。 山頂を辞し、緩やかな稜線上を15分も進むと「幕岩」と呼ばれる岩場が現れた。案内書等に「極めて危険」と書かれている本ルート最大の難所である。私は、この場所はいかなる状況かと「半分不安に、半分楽しみに」やって来た。しかし、目の前にする岩場は少々がっかり、多いに安心である。ナイフリッジ上に積み重なった数メートルほどの岩の連なりで、その上をバランスよく歩くだけである。幼児や初心者は怖がるかも知れないが、普通のハイカーにはどうということもない。渡り終わった地点に「幕岩 危険注意 事故多発 初心者通行禁止」との標示がなされていたが、「事故多発 初心者通行禁止」の部分は黒線で取り消されていた。 樹林の中の緩やかな尾根道を15分も進むと「カイ立場」に達した。鬱蒼とした樹林の中の鞍部状の平坦地で、ルートの十字路となっている。もろ丸くんの道標が来し方を「桂木観音 鼻曲山」、行く先を「一本杉峠」、左に下っていく道を「愛宕山 阿諏訪 獅子ヶ滝」、右に下って行く先を「黒山方面」と標示している。今日は行きがけの駄賃に愛宕山に登ってやれと思っている。私はピークハンターだ。愛宕山は、二万五千図に山名記載もなく、おそらく登る価値もない薮山と思われるが、ここから15分ほどの393.7メートルの三角点峰である。 道標に従い辿ってきた稜線を左(東)に下ると小さな鞍部にでた。踏跡が三つに分かれる。小さな私製の道標が左に下る踏跡を「中在家」、右に下る踏跡は「獅子ヶ滝」と示すが、真っ直ぐ進む尾根道は何も示さない。目の前には送電線鉄塔224号の立つ小峰が聳えている。持参の二万五千図を確認すると愛宕山はこの支尾根を真っ直ぐ進むのがルートのようである。踏跡は鉄塔ピークを左から巻いた後、緩やかに下っていく。道型は確りしているが、薮っぽく、到るところ蜘蛛の巣が掛かり、あまり人の歩いた気配はない。よほど途中で戻ろうかとも思ったが、もう少し、もう少しと思い進んでみる。前方にピークが現れた。おそらく愛宕山だろう。辿ってきた踏跡はピークを右から巻きに掛かる。この巻き道と分かれ、微かな踏跡の気配がピークへ向っている。なんの標示もないが愛宕山へのルートだろう。下草をかき分け、張りだす木の枝を潜り、蜘蛛の巣を持参のストックで払い、悲惨な前進を試みる。ついにピークに登り上げた。頂きは樹林と下草の薮の中の雑然とした場所である。愛宕山の名前からして山頂には愛宕神社の小さな祠でもあるのかと思っていたが、小さな私製山頂標示が立ち木に掲げられ、その下には、393.7メートルの四等三角点「阿諏訪」が見られるだけであった。薮がはびこり、久しく人の訪れた形跡はない。やれやれと座り込む。 日本山名総覧によると「愛宕山」という名の山は二万五千図に山名記載されている山だけで全国に111座ある。これは同名山名順序で城山、丸山に続いて第三位である。今私の立つ愛宕山は二万五千図に山名記載がないのでこの111座には含まれていない。 カイ立場に戻り、一本杉峠を目指す。鬱蒼とした杉檜林の中の単調な登りがどこまでも続く。さすがに疲れた。相変わらず人の気配はない。何とか一本杉峠まで休まずに頑張ろうと、自らを励ます。カイ立場を出てから15分、ついに一本杉峠に到着した。つい1ヶ月前の5月6日以来の再訪である。悠然と起立する大杉が懐かしい。ここまで来ればもう安心である。ここはもう高麗川左岸稜の一画、ポピュラーなハイキングコースである。座り込んで握り飯を頬張る。 1ヶ月前はここから顔振峠を目指して北へ縦走した。今日は南に縦走するつもりである。ユガテを経由して何とか「北向地蔵」までは行きたい。稜線の終点・日和田山まで行ければ万万歳であるがーーー。送電鉄塔の下を潜り、十二曲りを林道に下る。林道では奥武蔵ウルトラマラソン78キロレースのランナーが懸命に駆け抜けていく。すぐに再び山道に入り小さな上下を繰り返す。さすがに一本杉峠以降の縦走路では時折ハイカーとすれ違う。ただしいずれも女性の単独行者であるのはどういうことだろう。エビガ坂で鎌北湖方面への道を分け、下って林道を横切る。林道は相変わらずランナーが走っている。一本杉峠から休むことなく約70分歩き続けてようやく桃源郷・ユガテに到着した。 何度来てもここユガテは気持ちの休まる場所である。まさに桃源郷の名が相応しい。数組のハイカーが休んでいた。時刻はまだ13時少し過ぎ、北向地蔵までは行けそうである。一休みした後、重い腰を上げる。竹林を抜け谷底へ向ってぐんぐん下る。小さな沢を渡ると、今度は長い長い登りとなった。さすがここまで来ると足腰に相当な疲労感を覚える。耐える以外にない。ユガテを出て以来人影は消えた。ルートの所為なのか時刻の所為なのか。登りきり、奥秩父線81号送電線鉄塔の下を通過する。長いトラバース道を進むと、小道ともいえる立派な登山道に出た。道標が左を「北向地蔵」、右を「武蔵横手駅」と示している。 小道を左に緩やかに10分も登って行くと、待望の「北向地蔵」に到着した。稜線を走る鋪装林道から一段上がった場所に小さな地蔵堂があり、中に赤い帽子をかぶり、赤いよだれ掛をかけた三体のお地蔵様が鎮座していた。林道を絶え間なくウルトラマラソンのランナーが駆け抜けていく。私にとってこの地点は32年ぶり、2度目である。1983年4月、当時6歳8ヶ月の次女とわずか2歳7ヶ月の長男を連れて、巾着田→日和田山→物見山→北向地蔵→武蔵横手駅と縦走した。長男は殊勝にも全行程を歩き通した。楽しい思い出である。 さて、この先どうするか。時刻は14時過ぎ、日の長い今の季節、日和田山まで行って行けないことはないが、もはや疲労の色が濃い。武蔵横手駅に下ることとする。設置された道標によると武蔵横手駅に至るルートは2本あるようである。先ほど辿ってきたルートとは別に「武蔵横手駅(近道)」と標示された道を下る。この道も小道と言えるほどよく整備された道であった。途中で舗装された林道と合流し、更に下ると「五常の滝」にであった。水量は少ないものの、なかなかの滝である。更に痛みだした足を引きずり歩き続ける。北向地蔵から1時間歩き続け、15時過ぎにようやく西武秩父線武蔵横手駅に到着した。満足できる1日であった。
登りついた頂
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