安倍奥 大岳と大日峠道 

古い峠道の痕跡を辿り

1995年11月23日

              
 
大沢入口(855)→大沢集落(910)→林道終点(930〜935)→崩壊地(1040)→地蔵尊(1055→1100)→林道分岐(1120)→大岳山頂(1135〜1200)→県道(1245)→富士見峠(1335)→大日山(1350)→大日峠(1400)→水呑茶屋跡(1410)→口坂本集落(1500)→下落合集落(1555〜1634)

 
 紅葉の季節だというのに、もう1ヶ月以上も山から遠ざかっている。ゴルフやら慰安旅行やらで休日が潰れたためである。今日は勤労感謝の日、紅葉にはもう遅いが安倍奥の大岳に行ってみることにした。大岳は大井川東山稜上の三ツ峰から南東に張り出した支稜上の一峰である。二〇万図にもその名が記載されており、周囲からは割合目立つ山である。私はここ3年の間に安倍川水系の山々をことごとく登ったが、この山だけが未踏のまま残っている。私にとって安倍奥最後の未踏峰である。この山は登山ハイキングの案内には登場したことがない。わずかに「静岡市の三角点100」に麓の大沢集落から登った記録が載っている。それによると、仕事道を利用し、さらに笠張峠附近から山頂直下に通じる林道をたどり、最後に藪を少々漕げば山頂に達することができるとある。山頂は展望もなく滅多に訪れる人もいないようである。ルートに苦慮した。大沢集落から山頂を極めるだけでは如何にも物足りない。考えた末、山頂から稜線沿いに笠張峠を経て大井川東山稜へ抜け、大日峠から口坂本集落へ下ることにした。山頂から大井川東山稜の富士見峠までは林道と県道を歩くことになるが仕方がない。大日峠道は一度は歩いてみたいと思っていた古い峠道である。
 
 朝起きると日の出前の空が真っ青に輝いている。快晴である。今日の天気予報は「曇り、午後から時々雨」であったが、良いほうに外れるのは歓迎である。新静岡ターミナル7時38分発の横沢行きのバスに乗る。数人の乗客も次々と下り、郊外に出る頃にはバスは私の借切となった。終点の一つ手前の「大沢入口」で下車、大沢集落に通じる静かな車道を進む。快晴の空から降り注ぐ日の光が暖かい。周囲の山肌は紅葉に染まり、道端には野菊、アザミ、リンドウの花が咲き、まさに晩秋の風情が満ち溢れている。大沢集落は思いのほか大きな集落であった。100戸近い家々が斜面を埋めている。集落を抜け、細まった車道を辿る。茶畑の広がる緩やかな斜面にが現われ、その先が終点であった。
 
 この辺が登山口のはずである。道標も赤テープもないが、檜林の中に微かな踏み跡を見つけ、踏み込む。すぐに茶畑の縁を登るようになり、作業小屋の地点で、踏み跡が急に確りした。しめたとばかり進むが、踏み跡は大沢本流の上部に沿って水平に続く。どうやら大岳へのルートとは違うようだ。作業小屋まで戻り、さらに茶畑の縁を登る。茶畑がつきると、右に確りした踏み跡が続く。この踏み跡に踏み込んでみるが、やはり先ほどと同じ水平な巻道となる。この踏み跡も違うようだ。茶畑まで戻り付近を探ると、上部の檜林に続く微かな踏み跡を見つけた。赤テープ一つないので、まったく手探りのルートファインディングである。檜林を抜けると再び茶畑が現われた。畔道を上部まで登る。踏み跡が二つに分かれる。初めてテープが現われ、右の踏み跡を示している。踏み跡の入り口は藪に覆われているが、そこを抜けると檜林の中の確りした踏み跡となった。やっと大岳に続くルートに乗ったようだ。
 
 踏み跡はジグザグを切りながら檜林の中を上部へ上部へと導く。踏み跡はえぐれたような非常に確りしたもので、ルートファインディングの必要はもはやまったくない。しかし、所々笹や朶が覆い被さり藪漕ぎとなる。最近はほとんど利用されていないようだ。小さな蜘蛛の巣が鬱陶しい。この季節でもまだ蜘蛛が活動している。やがて右手が崩壊している地点に出た。踏み跡が崩壊地の中に消えている。
 
 さらに登り続けると、突然、古びたお地蔵様が現われた。急にうれしさがこみあげてきた。そして全てが理解できた。ここまで辿ってきた踏み跡は、仕事道ではなく昔の峠道の跡であったのだ。道理で藪に覆われ荒れているにもかかわらず、えぐれたような確りした踏み跡であったはずだ。しかも、実に登りやすくジグザグが切られていた。昔は荷駄を積んだ馬も登ったのであろう。おそらく、大日峠の裏街道として大沢集落から大岳の山頂部を巻いて笠張峠から富士見峠を越えて、大井川上流の井川地区へ通じていたのであろう。今ではまったく忘れられた峠道を見つけたのだ。お地蔵様には簡単な地蔵堂が掛けられ、茶碗などが供えれている所を見ると、まだお祠されている気配である。

 お地蔵さんのすぐ上で林道終点に飛びだした。この林道は、笠張峠から大岳山頂付近に延びる林道の支線で、オフロード車でないと走れないほど荒れている。林道を進む。樹林の中をよく見ると、林道と平行するように辿ってきた昔の峠道の跡が所々に確認できる。東側の展望が大きく開け、目の前には二王山から見月山に続く山稜、その背後には安倍川東山稜の山々が連なっている。林道本線をさらに辿る。大岳に近づくと再び展望が大きく開けた。壁のようにそそり立つ大無間連峰の右手奥に真っ白に雪を被った南アルプスの山々が望まれる。その前には大井川東山稜上の勘行峰があれっと思うほどの立派な山容でそそり立っている。さらにその右手には山伏から大谷崩ノ頭、八紘嶺、十枚山、青笹と続く安倍川東山稜の山々。視界の及ぶかぎり全て慣れ親しんできた安倍奥の山々である。
 
 林道上には昨日切り倒されたと思われる檜が横たわり、木の香りが充満している。林道が山頂に近づいた所で、適当なところから樹林の中に踏み込む。檜の樹林は下草もなくどこでも歩ける。11時35分、ついに大岳山頂に達した。山頂部は傾斜の緩やかな広々とした檜の樹林の中であった。展望はまったくないが、滅多に人の訪れることのない静かな静かな頂である。1960年の日付の入った市岳連の山頂標示が半ば朽ちながらも35年の風雪に耐えている。
 
 ちょうど12時、山頂を辞す。いつのまにか空は雲に覆われ、先ほど見えた南アルプスの白き山々はもう見えない。予報通り天気は下り坂のようである。林道を笠張峠に向かう。林道歩きは単調である。左右の樹林の中に昔の峠道の跡が切れ切れにあるので、おもしろがって所々辿る。道型は確りしているが藪が深く大変である。途中で左に工事中の林道を分け、12時45分、笠張峠付近で富士見峠越の県道に達した。天気がますます悪くなる気配なのでよほど県道を横沢集落に下ろうかと思ったが、まだ歩き足らない。車が往来する県道をひたすら富士見峠に向かう。今年の3月、降雪の中歩いた道である。峠まで意外に遠い。苛々しながら急いで13時35分、ようやく富士見峠に達した。
 
 そのまま峠を通過して、勝手知った遊歩道に踏み込む。寒々とした遊歩道には人影もない。ただし、色とりどりの落ち葉が厚く道を覆い、晩秋の雰囲気満点である。この道は昨年の10月に辿った道である。大日山の三角点ピーク、お茶壷屋敷跡をそのまま通過して、ようやく大日峠でひと休みする。時刻はちょうど14時、上落合発の最終バスは16時半頃のはず、ここからの標準時間は約3時間であり、かなり急がなければならない。空は厚く雨雲に覆われ今にも降りだしそうな天気となっている。道標にしたがって口坂本集落への下山道に踏み込む。この大日峠道は、昭和30年代の初めまで使われていた歴史を秘めた古い峠道である。富士見越の車道ができてその使命を終えた。さらに近年、大日峠越の車道まで開通したので、もはやこの峠道を歩く人は滅多にいない。峠道は深く窪み、昔荷駄を積んだ馬が越えた痕跡をいまだ充分に残しているが、荒廃が進んでいる。水呑茶屋跡で林道を横切り、さらに車道を横切る。ついに雨が降りだした。本降りである。雨具をつけてひたすら下る。人の気配はまったくしない。
 
 人家が現われ、15時、ついに口坂本集落に下り立った。中河内川最奥の集落である口坂本はかなり大きな集落である。近年、鉱泉が湧いたことから口坂本温泉の名で売り出している。雨の降り頻る集落を抜け、深い渓谷となった中河内川沿いの車道を上落合集落を目指してひたすら歩く。山肌を染めた紅葉が、立ち込めた雲とあいまって、なんとも言えない風情を醸し出している。夕闇が迫り、雨に打たれながらの車道歩きはなんともわびしい。車が止まり「乗っていかないか」と誘ってくれたが、初志貫徹することにする。16時少し前、ついに上落合のバス停に到着した。いつしか雨も止み、周囲はすっかり暗さを増していた。帰りのバスも私の貸し切りであった。