安倍奥 大棚山から細木峠へ

巨大な薮山から井川往還の越えた峠へ

1996年1月13日

              
 
奥長島バス停(800〜805)→メガネ橋(835〜840)→大棚山分岐(845)→稜線(1000〜1010)→大棚山西峰(1050〜1055)→大棚山東峰(1100)→大棚山三角点(1105〜1110)→695m標高点(1150〜1205)→打越峠(1215)→トワ山(1230〜1235)→689m峰(1300〜1305)→550m峰(1320〜1325)→細木峠(1340〜1400)→車道(1420)→十二天バス停(1440〜1505)

 
 安倍川・藁科川の分水稜線上の中村山から明確な尾根が東に大きく張り出している。大棚山を主峰とする山稜である。しかし、この山稜上には切れ切れの微かな踏み跡があるだけで、大棚山も登山ハイキングの対象とはなっていない。私は以前、奥長島集落奥から仕事道を利用して山頂に達し、西に縦走して中村山から釜石峠まで歩いた。大棚山から東に続き安倍川に没する山稜が気になる。特に、この山稜を乗っ越す打越峠と細木峠はぜひ訪れてみたい峠である。細木峠は井川往還が越えていた古い峠である。二つの峠ともきっと昔のすばらしい雰囲気を残しているであろう。また、両峠の間の696.4 メートル三角点峰は地図に山名の記載はないがトワ山と呼ばれているらしい。稜線上にまともな踏み跡はないと思われるが、冬枯れを利用してこの山稜を辿ってみることにした。
 
 新静岡センター7時5分発の奥長島行きバスに乗る。中年の男女4人のパーティが栗島で下りると、いつもの通りバスは私一人となった。奥長島バス停着8時。足久保川に沿った茶畑の中の明るい道をのんびりと奥へ進む。3日前の大寒波が近郊の山々にも雪を降らせた。しかし、今日は移動性高気圧が広く覆い快晴である。朝日が燦々と注ぎ暖かい。約30分でメガネ橋に着く。ここが釜石峠への登山口で、この登山道を数分辿ったところに大棚山分岐がある。ところが登山道入口に「間伐のため釜石峠へはこの先から登るように」との静岡市役所の立て札が立てられていた。警告を無視して踏み込んだ登山道は、案の定藪に覆われ、すでに使われなくなっているようである。
 
 約5分で大棚山分岐に達した。Y・K氏の道標が大棚山を示している。この道を辿ると大棚山とその西の1036メートル標高点ピークとの鞍部に登り着く。以前に辿ったので勝手知ったルートである。ただし、登山道ではなく仕事道である。杉檜の尾根をジグザグにグイグイ登り、続いて尾根を左にトラバース気味に登ると谷の上部に出る。猪が土を掘り返した跡がある。谷の上部をトラバース気味に進むと、谷が次第に近づいてきた。どうも様子がおかしい。前回はもっと谷の上部を進んだと思うのだが。しかし踏み跡は明確だし、進む方向も確かなので、そのまま登っていく。谷が二股に分かれるところで踏み跡は谷と合わさり、そしてついに消えてしまった。少し戻ってルートを探ってみるが見つからない。やはりどこかで正規のルートを踏み外したと思える。
 
 谷を詰めることにする。どうせ正規のルートも稜線直下でこの谷に合わさるはずである。谷は水流もなく、又大きな滝もないので遡行するのにそれほど困難ではない。急な谷を40分も慎重に詰め、上空に稜線が見えてくると、期待通り正規のルートが谷に合わさった。やれやれである。上方でエンジン音がしてきて、稜線直下の植林地で下草狩りをしている。ついに稜線に達した。前回山腹で行なわれていた伐採が稜線まで達しており、大きく展望が開けている。振り返ると、突先山から大山に続く稜線が目の前に立ち塞がり、その左には宇津の山々が広がっている。花沢山、丸子富士、満願峰、高草山、象山などが確認できる。ここから見る突先山は、その槍のような本来の姿ではなく、平凡なピークに過ぎない。谷筋は3日前に降った雪で白く染まっている。稜線の反対側を見ると安倍川東山稜の山並みが広がっている。切り残しの樹木がじゃましていくらか場所を移動する必要はあるが、竜爪山、真富士山、青笹、十枚山、大光山、八紘嶺、大谷崩の頭、そして安倍奥の最高峰・山伏である。さらにその左奥には、真っ白な南アルプス南部の巨峰が望まれる。二十万図「甲府」を持ってこなかったのではっきり同定はできない。
 
 伐採の入ったこの鞍部は藪がひどい。特に刺草がはびこり、ズボンの上からも皮膚を傷つける。灰褐色の太い奴、鞭のようにしなやかな赤い奴と青い奴。伐採地にはどうしてこう刺草が多いのだろう。日陰には雪が残っていた。休止後、大棚山を目指す。植林の中の尾根道は踏み跡はあるが、両側からスズタケが覆い被さりうるさい。笹をかきわけかきわけ登り、西峰に到着する。この山頂は地図で見ると1,030メートルあり大棚山では一番高い。薄暗い樹林の中の山頂には山頂を示す標示は何もない。さらに5分も進むと1,020メートルの東峰である。この頂にも前回はあった山頂標示はなかった。さらに2〜3分下ると、大棚山の三角点がある。前回も気になったのだが、ここに登山記念の山頂標示がたくさんある。今朝栗島で下車した4人パーティが休んでいた。打越峠から登ってきたのであろう。そのまま下る気配なので、「せっかくだから山頂まで行ったら」と言っところ、女が「ここが山頂でしょ。三角点があるではないの」と、妙に食ってかかってきた。少々むっとして、「山で一番高いところを山頂と定義するならここではない」と言ってやる。男が「確かに大棚山とは書いてあるが山頂とは書いてない。せっかくだから行ってみよう」と引き取った。
 
 ここから先はいよいよ未知のルートである。意外にも踏み跡は確りしており、しかもくどいほどテープがある。大棚山へは主にこのルートから登られているようである。尾根の左急斜面を下り、笹を漕いで820メートル小ピークを越える。さらに急降下して695メートルピークに達する。植林が一瞬尽き、雑木林となる。緩く登ると稜線直下まで登ってきている新しい林道が見える。左側が伐採地となり、久しぶりに展望が開けた。竜爪山から真富士山に連なる山並みが広がっている。昼食をとっていたら先程の4人パーティが追い越していった。ひと下りすると打越峠であった。しかし、期待は裏切られた。何とそこには真新しい林道が乗っ越しており、峠のお地蔵様はおろか、昔の雰囲気を残すものは何も見出せなかった。代わりに、平成5年銘の林道開通記念碑だけが仰々しく建てられていた。訪れるのが3年遅すぎたようである。
 
 休む気にもなれず、そのまま反対側のトワ山に続く山稜に踏み込む。ここから先は踏み跡はないものと覚悟していたが、よく手入れされた杉檜林の中に明確な踏み跡が続いている。ひと登りでトワ山に達した。まったく展望のない樹林の中の小ピークで、四隅の欠けた三角点がひっそりと眠っていた。山頂から南に続く尾根には明確な踏み跡が見られるが、私の目指す北東尾根には踏み跡がない。ここから細木峠までは尾根も複雑に入り組んでおり、今日最大の難路である。地図読みの能力が問われそうである。
 
 藪っぽい尾根を辿り、次のピークに近づくとものすごい藪となった。刺草や蔓草が絡まり、雑木と萱とが充満してまったくもってどうにもならない。藪の中で右往左往すると方向感覚まで失う。もがきにもがいてようやくこの藪を抜け、次の689メートル標高点ピークを目指す。左側がまだ若い植林で、尾根上は藪で歩けない。右側の手入れのよい植林の中を辿る。微かに踏み跡が現われ、やがてテープも見られるようになる。やれやれである。樹林の中の689メートルピークに達すると小さな道標があった。この正月に地元の山岳会が細木峠から打越峠まで縦走した気配である。彼らもあの猛烈な藪の中ではテープを付けるどころではなかったと見える。
 
 このピークで向きを北東から北に変える。点々とテープがあり、踏み跡も確りした。もう安心である。次のピークでルートは尾根筋を離れて右に90度曲がるのだが、踏み跡もそれに沿うている。どんどん下るとついに細木峠に飛び出した。瞬間、思わず顔がほころんだ。目の前にすばらしい峠が現われたのである。欝蒼とした樹林の中で展望はないが、大きな杉の木の根元には摩耗した石仏がしっそりとたたずんでいる。まさに心に描いた古い峠道である。打越峠は破壊されてしまったが、この細木峠は昔のままの姿で待っていてくれた。石仏はまだお祀りされているとみえ、菊の花とみかんが備えられている。報われた気持ちでゆっくりと休む。
 
 下山に掛かる。北側の桂山集落に下る道はかなり薄いが、南東側の松野集落への道は見た目には確りしている。しかし、かなり急な山腹のトラバース道で、所々崩壊していて恐い。滑り落ちると深い谷底である。やがて支尾根上の道となり、さらに茶畑の中の道となった。林道に降り立った。しかしこの地点には道標はなく、逆に辿った場合、果たして細木峠への道がわかるかどうか。2時40分、安倍川河畔の十二天のバス停に無事辿り着いた。