安倍奥初参 大谷崩ノ頭から山伏へ

大崩壊ノ山から安倍奥最高峰へ

1992年9月23日

              
 
新田集落→扇の要→新窪乗越→大谷崩ノ頭→新窪乗越→山伏→新田

 
 目覚まし時計の操作を間違え、目を覚ましたら5時30分であった。30分の寝坊である。慌てて飛び起き、6時、車で出発する。通る車とてない梅ヶ島街道を安倍川に沿って快調に飛ばす。赤水の滝を過ぎると新田集落入り口である。左に入る狭い舗装道路はすぐにわかった。茶畑の間の道を進むと大谷崩ノ頭と山伏の分岐に出る。立派な道標がありすぐわかる。ちょうど7時である。思ったよりも早く着いたので、寝坊のロスを取り戻した。
  
 予定通りここに車を停め、扇の要への車道を歩きだす。早朝ゆえ周りは誰もいない。別荘地を抜けると墓地がある。ここで舗装道路は終わり地道となる。ここから森林の中を緩やかに登っていく。工事現場への車であろうか、途中三台ばかり車にぬかれる。早足で1時間半近く歩き、そろそろひと休みしたいと思う頃、前方が開け大谷崩れが見えだす。砂防ダムが連続して掛かり、どのダムも崩れ落ちた岩石に埋まっている。まるで砂防ダムの墓場である。ただし、大谷崩れそのものは期待していたほどの迫力ではなかった。
  
 休んだところから2〜3分行くと扇の要であった。登山者用の駐車場まである。ここで車道といったん別れ、ようやく登山道を歩くようになる。5分も登ると、別れた車道と再び合して車道終点の広場に出る。見上げると大谷崩れの先に新窪乗越が見える。扇状に広がった崩壊地の一番左の谷を一気に詰めるものと考えていたら、岩屑の谷を横切り左の林の中の登りとなった。谷を横切るところでルートがわかりにくい。林の中の道を30〜40分も登ると再び岩屑の谷にでる。ここからはひたすら稜線を目指して崩壊した谷を登ることになる。ここで今日二度目の休みをとる。
  
 岩屑の道をジグザグを切ってひたすら登る。足元が不安定で登りにくい。あざみの花が目立つ。次第に稜線が近付き、登りはますます急となる。最後は意外にあっさりと稜線に達した。新窪乗越である。時刻は9時半、扇の要から休憩一回を含めて1時間半で登ったことになる。コースタイムは2時間半となっていたからだいぶ早い。新窪乗越は小広い平地となっており、道標が乱立している。北側は樹木が稜線まで茂っているが、三方は展望が利く。眼下を見下ろせば、足元より大谷崩れが扇の要まで一気に崩れ落ちて、西を見ると緩やかな山並みが山伏へと続いている。山伏はすぐにわかった。なだらかな山頂を持ったゆったりした山である。
  
 ここから大谷崩ノ頭を往復するつもりである。休む間もなく東に続く踏み跡を辿る。行く手を見渡すとピークを一つ越えた二つ目のピークがそれと思える。コースタイムは30分、いままでのペースなら20分もあれば着くであろう。道は大谷崩れの崩壊地の縁をたどる。右側は一気に崩れ落ち絶壁である。風や雨が強いときには、バランスでも崩すと危ないルートである。左側は森林である。ふと、森林の間から北側を眺めると、雲の上に非常に優美な双耳峰が見える。双耳峰、双耳峰ーーー、笊ヶ岳のはずだ。この分なら、山頂から南アルプスのジャイアンツが見渡せそうでる。自然と足が早まる。4〜5メートル下の森林の中に道らしきものが見える。おそらく今私が歩いている崩壊地の縁を歩く道は危険なので、森林の中に本来の道があるのであろう。
  
 ようやく一峰を越えた。いよいよ大谷崩ノ頭への登りである。ルートは崩壊地の縁を離れ、森林の中の登りとなる。山頂まで一気と思ったが、木々の間を見通すと、どうやら手前に前衛峰がありそうである。所々倒木もある。息を弾ませて足を早めるがなかなかつかない。新窪乗越から30分掛かって、ようやく山頂に飛び出した。安倍奥の山初登頂である。山頂は小広い平地となっており、三角点と標示盤がある。誰もいない。
  
 何を差し置いてもまず展望である。北の方、南アルプスを眺める。木々が若干じゃまではあるが展望は得られる。今日はあいにく霞が掛かったような天気のためすばらしい展望とは言い難いが、それでも山々は十分に確認できる。聖岳は一目でわかる。山頂から奥聖に連なる緩やかな稜線に特色がある。その右隣は赤石岳だ。ただし、残念ながら、山頂は雲の中である。聖岳から左に続く山並みは、靄で大分霞んではいるが山容は確認できる。二〇万図とにらめっこをして山岳同定をする。上河内岳、茶臼岳、仁田岳までは確認できる。その更に左には光岳や大無間山が続いているはずであるが、山並みは霞んで確認できない。それにしても南アルプスが何と近いことだろう。考えてみれば、大井川を挟んだ隣の山であるから当然のことであるが。空気の澄んだ冬にもう一度来てみよう。カメラのレンズから飛び出してしまうほど大きな南アルプスのジャイアンツが見えるはずである。
  
 菓子パン二個食べて昼食とし、新窪乗越に戻る。帰路も30分掛かって新窪乗越に着く。「かもしか保護区」との看板がある。何時かかもしかに会えるかも知れない。下の方で人の気配がする。覗いてみると二人連れパーティが大谷崩を登ってくる。顔を会わすのも煩わしいので、すぐに山伏に向けて出発する。ここからは森林の中の広い緩やかな尾根を辿る道となる。最初のピークを越えると、下生えが笹となる。二つ目のピークもなだらかなピークである。下りに掛かると行く手の視界が開ける。霞の中に南アルプスの山並みがうっすらと浮かんでいる。
  
 山伏から東に大きく張り出している尾根への登りに掛かる。緩やかな登りである。周りは背丈もある笹藪であるが、道は確りと切り開きがしてある。途中ひと休みし、単調な尾根道を更に進む。鋼索が二本登山道を横切っている。すぐに、雨畑への道標がある。ただし道標の示す方向には踏み跡の痕跡すらない。強引に笹藪を突っ切ればすぐ下の雨畑へ向かう林道に出られるはずではあるが。二人連れのパーティと擦れ違う。今日初めて会うパーティである。すぐに山伏の山頂の一角に飛び出した。短い笹が一面に生え、その中に枯木もまじえた樅の大木がまばらに立ち並んでいる。優雅な山頂である。
  
 ちょうど12時、山頂の三角点に達した。山頂には4人パーティがおり、無線で盛んに下界とやりとりしている。どういう訳か、山頂を示す標示盤に寒暖計が吊るされている。見ると11度である。やはり二千メートルを越える山頂は下界よりも20度以上涼しい。山頂より北に向け確りした切り開きがしてある。4人パーティはこの道を下っていった。標示はないが、この道は白峰南嶺に向かう道のはずである。この道をどんどん辿っていけば笊ヶ岳から白峰三山に行けるのだ。何時か辿ってみたい道である。最もこの切り開きは、すぐ下で稜線を横切っている林道までしかないであろうが。この山伏は白峰南嶺と安倍奥の山とのジャンクションピークなのだ。
  
 12時20分、下山に掛かる。道標はないが、西に向かう踏み跡がめざす下山道である。5分も下ると三叉路に出た。そのまま真っ直ぐ進む道は山伏小屋から牛首峠に向かう道である。南に下る道は新田に下る道である。どの道を行こうか地図を出して考えたが、無理をせず、予定通りこのまま新田に下ることとする。急な下りをジグザグを切ってぐいぐい下る。久し振りの山行きのせいか足に疲れを覚える。ルートは山伏から東に張り出した支稜に沿って下るのであるが、道は支稜上ではなく、支稜の左右をトラバースしながらつけられている。途中二人連れの二パーティと擦れちがう。この時間に登るところを見ると、山伏小屋泊まりであろう。いい加減下った頃、尾根上の鞍部に出た。「ヨモギ峠」との標示がある。下りのちょうど中間地点である。ここでひと休みする。
  
 ここから道は尾根を離れて、西日影沢目掛けて下る。沢状のところを100メートル程下るところがあり、ルートがわかりにくい。また、途中沢を二箇所飛び石づたいに渡る。この地点もルートがわかりにくい。更に下ると大岩があり、突然モノレールが現われた。作業の荷運びに使うのであろう。わさび田が現われ、次第に人里の匂いがしてくる。13時40分、ついに林道に降り立った。今日の山行きの無事を喜ぶ。大きく広がった西日影沢沿いの林道 をのんびりと20分も歩くと、今朝乗り捨てた愛車に再会した。