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男抱山登山口(633〜638)→男抱山・富士山分岐(646)→男抱山山頂(708〜711)→男抱山・富士山分岐(726)→富士山山頂(750〜756)→男抱山・富士山分岐(814)→祠(824〜832)→男抱山と富士山の鞍部(838)→半蔵山近道分岐(847)→大岩山御休処(928〜933)→林道(937)→半蔵山山頂(950〜1001)→羽黒山山頂(1022)→石の祠のある岩峰(1104〜1110)→池ノ鳥屋山頂(1125〜1130)→ルートミスし引き返し地点(1146)→再び池ノ鳥屋山頂(1211)→粟谷420mピーク(1257)→粟谷無線中継所(1305)→県道22号線旧道(1316)→県道22号線新道(1331〜1335)→男抱山登山口(1434) |
昨日の27日、熊谷地方に桜の開花宣言が発せられた。桜の季節になると日本は狂乱の坩堝となる。何しろ官庁である気象庁が桜の開花を予想し、宣言するのであるから。外国人には信じられない行為だろう。何とも不思議な民族である。
そして、また、桜の開花は春本番の到来を告げている。春の暖気に誘われて久しぶりに山に行ってみることにした。低山からはもう残雪も消えた頃である。宇都宮市と日光市の間の古賀志山や鞍掛山などが聳立する山塊に、前々から少々気になる山がある。「男抱山」という変わった名前の低山である。「男抱山」と書いて「おただきやま」と呼ぶ。恋する女性がこの山に祈ると、その思いが恋する男性に伝わるとの言い伝えがあるとか。標高僅か338メートルの低山ではあるが少々ロマンチックな山である。この山は、その西隣にまるで双子のような似かよった山を伴っており、双耳峰となっている。この隣りの山は「富士山(ふじやま)」、または「女抱山」と呼ばれている。 先ずはこの二つの山に登ってみよう。ただし、登山行程は2山合わせても僅か2時間程度、高価な高速道路代を払ってわざわざ行くには元が取れない。ならば、この山塊の主稜線を奥にたどり、鞍掛峠まで縦走を試みてみよう。二万五千図に山名記載のある途中の半蔵山までは何とか登山道があるらしいが、踏跡は薄そうである。更にその先、羽黒山、池ノ鳥屋、鞍掛峠と続く山稜上には登山道は一切なく、熟達者のみに許された地図読みと山勘の世界のようである。しかも、下山地点の鞍掛峠からは県道22号線、国道293号線を延々と歩いて、男抱山登山口に駐車してある愛車まで戻らなければならない。Googleの地図で検証してみると5.1キロもある。 早朝5時18分、家を出る。既に夜は明けている。2月7日に篠井富屋連峰に出かけた際には、この時刻は未だ真っ暗であったがーーー。季節の移ろいは早いものである。東北自動車道は相変わらず早朝と言えども車の流れが多い。前方に眺める男体山、女峰山などの日光連山は未だ雪で真っ白である。 6時33分、家から1時間15分、84.2キロ走って、男抱山登山口に到着した。国道293号線の道路端に墓地があり、その前に車10台ほどの駐車スペースがある。本来、墓参拝者用の駐車スペースなのだろうが、登山者も利用しているようである。先着車はいなかった。広場の脇に「男抱山入口」との標示があり、小道が山に向って伸びている。 支度を整え、6時38分、出発する。今日は1日穏やかな晴天が続くとの予報である。登山道というより小道と呼ぶほうが相応しい道を奥に進む。周囲は手入れのよい鬱蒼とした杉檜の植林である。歩き初めてすぐに、「あ」と叫んで、慌ててザックの中を探る。案の定、カメラがない。あぁーーー。昨年の5月に奥久慈の男体山に行った際に続いて2度目の忘れ物である。大分、アルツハイマー病が進行してきた気配である。 登山口から8分も進むと小道は終わり、確りした道標が、三本の登山道の行き先を示している。そのまま真っ直ぐ進む道を「中央登山道 半蔵山」、右山腹を登る道を「男抱山30分」、左山腹を登る道を「富士山30分」。先ずは男抱山に向う。道標に従い山腹にかかる石段を少し進むと巨大な倒木が通せんぼ、先には進めない。戻って、少し下方から山腹を登り上げる踏跡を見つけ、バイパスと認識して登る。過たず、踏跡は巨大な倒木の上部で元のルートに合流した。 凄まじい急斜面を登る。ずり落ちる足裏を踏ん張り、立ち木に掴まり、一歩一歩身体を引き上げる。しばしの急登の後、尾根状の地形に達すると傾斜は緩んだ。大岩の間を縫うように進む。周りは小楢やクヌギの雑木林で展望はない。尾根上に石の祠が現れた。今日の無事を祈る。山頂を見上げると、幾つかの顕著な岩塔がそそり立っている。ルートは岩場を縫っての急登に変わる。 最後にロープの設置された岩場を慎重に登ると、山頂に飛びだした。岩の上の狭い頂である。それだけに360度、大展望が待っていた。北方を眺めると、すぐ目の前に先月登ったばかりの篠井富屋連峰の低い山並みが広がり、その背後に未だ豊富な残雪に彩られた高原山が望まれる。西を望むと、目の前にこれから向う富士山の岩峰がそそり立ち、その背後に鞍掛山から古賀志山と続く山並みが望まれる。南から東にかけては大きく広がる関東平野である。その背後遥か彼方に筑波連峰がはっきり見えるではないか。今日は視界が何といいことか。しばし展望を楽しんだ後、元の道を引き返す。 分岐まで戻り、今度は富士山を目指す。道標に従い、小沢を丸太橋で渡り斜面に取り付く。男抱山への登りほどではないが、かなりの急登である。しばし息を弾ませた後、尾根状の地形に達すると傾斜は緩んだ。登るに従い大岩の間を縫うようになる。周囲は赤松の混じった雑木林で展望は得られない。山頂部は岩の積み重なった岩峰であった。設置されたザイルを頼りに頂きに這い上がる。 男抱山ほどではないが展望が大きく開けた。目の前には樹林の間から男抱山の岩峰がその山頂部を覗かせており、振り返ると古賀志山方面が望める。そして、その左手遥か彼方には筑波山がくっきりと見えている。山頂には「富士山」「女抱山」の2種類の標示がかかげられていた。「女抱山」の名称の方が相応しく感じられるが、いったい何と読むのだろう。しばしの滞在の後、分岐に引き返す。 いよいよ半蔵山を目指す行程に移る。「中央登山道」の標示に従い、谷状の地形の登山道を進む。道型ははっきりしているが、水流によって削られた痕跡が顕著で、かなり荒れている。倒木も多い。周りは相変わらず手入れのよい杉檜の植林である。分岐から10分も登ると石の祠が現れた。ひと休みする。腹が減ったので持参の握り飯を頬張る。辺りに人の気配はまったくない。 更に斜面を登る。下地にアオキの目立つやや急な斜面である。石祠から6分ほどで顕著な鞍部に登り上げた。男抱山と富士山の鞍部となる地点である。ここに確りした道標があり、そのまま鞍部を下って行く踏跡を「半蔵山ハイキングコース」、右の岩混じりの急斜面を登る踏跡を「男抱山」、左の急斜面に続く踏跡を「富士山」と標示している。知らなかったが、ここから男抱山及び富士山へのルートがあったのだ。知っていればこの地点から両山を往復したのだがーーー。 鞍部を北へ10分ほど下ると、「半蔵山近道」との標示があり、踏跡が左に分かれる。そのまま真っ直ぐ続く踏跡には何の標示もない。一瞬迷ったが、「近道」を選択する。踏跡はすぐに次の291メートル標高点ピークへの登りに転じる。ブル道のような林道や送電線鉄塔巡視路が現れ登山道と交差するが道標はない。ルートは少々わかりにくい。赤や白のテープがよき目印となる。291メートルピーク、続いて次の330メートルピークを左から巻く。 緩急をまじえた登りが続く。と、辿ってきた踏跡は山腹を巻くように奥に進んでいくが、左に山腹を登って行く弱い踏跡が分かれる。しかも、何個かの赤テープがこの分岐する弱い踏跡を示している。道標の類いはまったく、どちらの踏跡を辿るべきか迷う。赤テープの示す弱い踏跡を選ぶ。踏跡は尾根状の地形を弱々しく進むが、鬱蒼とした樹林に入ると怪しくなってしまった。弱ったなぁと前方を見ると巨大な岩があり、その根本に何やら道標らしきものが見える。少々薮を漕いで行ってみると、「大岩山御休処」の標示があり、確りした踏跡が現れた。正規のルートに戻ったようである。この巨岩には登ることができるとみえ、ザイルが垂れ下がっている。ただし、かなり危険に思える。一休みする。 大岩からわずか4分進むと、カーブミラーまである鋪装された立派な林道に出た。ただし、車の通る気配はない。林道を右に50メートルほど進むと、「半蔵山」を示す小さな標示があり、細い踏跡が左に登って行く。樹林の中を10分ばかり登ると、ついに半蔵山山頂に達した。樹林の中で展望はない。もちろん人の気配はなく、502.1メートルの三等三角点「西原」と小さな私製山頂標示が迎えてくれた。倒木に腰を下ろし、握り飯を頬張る。 ここからは鞍掛峠を目指し、道なき尾根を辿る縦走である。うまく辿り着けるかどうか、若干の不安はある。持参の二万五千図をザックからズボンのポケットに移し、いつでもチェックできるようにする。山頂からほんの数メートル西側に下ったところに石の祠が祀られていた。その地点から南西に向う薄い踏跡が確認できる。幾つかのテープもあり、目指す縦走路と思われる。もちろ道標の類いは一切ない。踏跡はすぐに顕著な尾根に乗った。ルートに間違いはない。半蔵山までの登山道とは異なり、踏跡は極めて薄いが、人の通った気配は確認できる。しばらく下り、一峰を越えて、短い急登を経ると次の目標地・羽黒山に到着した。 「羽黒山 493m」の標示が立ち木に掲げられているが、493メートル標高点ピークは一つ先のはず。このピークは標高点はないが等高線を読めば490メートルは越えている。山頂から南側に一段下がった所に立派な石の祠が祀られていた。そしてはっきりした踏跡がその前から南に下っている。テープもあり、一瞬、辿るべきルートかと思ったが、方向が違う。コンパスを確認し、西に向うルートを探ると踏跡が見つかった。やれやれ、危ない所であった。 493メートル標高点峰を越えると、ものすごい急斜面の下りとなった。かなり危険である。こんなところで事故を起したら一巻の終わりである。慎重に下る。更に進み、そろそろ地図上の471メートル標高点ピーク、すなわち「池ノ鳥屋」と呼ばれるピークに着くと思うころ、平らな巨岩の積み重なったピークが現れた。傾斜のある平らな岩を危なっかしく登ると、小さな石の祠のある頂に達した。何の標示もないが、ここが「池ノ鳥屋」山頂と思い一休みする。(実は違っていたのだがーーー) 数分休み、先に進もうと、岩の上を数歩移動すると、何とその先は数メートルほど岩が切り立っており通行不能。ピンチである。いったん戻って、この岩の積み重なった山頂部を巻いて通過せざるをえない。傾斜のある平たい岩を危なっかしく下る。滑ったら終わりである。山頂部の岩を下り、左から山頂部を巻きにかかる。潅木の生い茂った急斜面のトラバースである。潅木を支点に這うように進む。なんで、こんな薮の中でもがき続けるのか。考えてみると阿呆らしくなる。何とか巻き終わって稜線に戻った。再び薄い踏跡が現れた。緩やかな稜線を辿ると、「池ノ鳥屋」との標示が現れた。山頂らしからぬ穏やかな尾根の高まりである。樹林間中で展望はない。先ほどの岩の積み重なった頂きでなく、この地点が「池ノ鳥屋」頂きであったのだ。一休みする。 しばしの休憩の後、腰を上げる。もはやこの先、名のあるピークはない。終着点・鞍掛峠を目指す。踏跡に導かれて山頂を通過し、その先の急斜面を下り、顕著な尾根に乗る。地道の林道が下から登ってきて、一瞬、接触するがすぐに離れて行った。はっきりした尾根筋を下る。踏跡はあるようなないようなーーー。下るに従い、何やらいやな予感がし出した。地図とコンパスで方向と地形を何回か確認するのだが、どうもはっきりしない。 池ノ鳥屋山頂から15分下り、ついに「ルートをミスしている」と断定した。左隣に明確な稜線の連なりが見える。おそらくあの稜線が、鞍掛峠に続くルートだろう。下ってきた尾根を引き返す。時刻はまだ12時前、時間的余裕は充分あるので焦りはない。ただし、思わぬ余分な重労働に気分は重く、急な登りに息が切れる。 引き返し地点から25分かかって、再び池ノ鳥屋山頂に舞い戻った。休むまもなく正規のルートとなる尾根への下降点を探る。何と、尾根への入り口は、山頂の少し手前にあった。当然[尾根下降点は山頂を過ぎた地点から」と思っていたのでこれは意外であった。入り口には幾つかのテープが残されていた。南西に向う尾根を辿る。時々現れる色あせた赤テープにルートの正しさを確認する。下っていくと、尾根は幾分左にカーブしながら岩をまじえた急降下となる。慎重に下り、再び明確な尾根に乗る。西に向かう尾根を進むと、支尾根が南に分岐する。この尾根上にも踏跡が確認でき、しかも赤テープが印されている。地図を睨み慎重にルートを検討し、そのまま西に続く尾根を辿る。しばらく進むと、再び支尾根が南に分岐する。踏跡も二分する。地図で現在位置とルートを確認し、今度は南に分岐する尾根に入る。細心の地図読み技術と山勘が試される。小ピークに急登すると「粟谷420m」との標示があった。このピークで南に90度曲がり、下っていくと、右側に鋪装道路が現れ、前方に粟谷無線中継所が現れた。困難な縦走の終着点である。 無線中継所より下方を眺めると、鞍掛峠を越える県道22号線の旧道が見える(新道はトンネルで峠を越えている)。本来、無線中継所の管理用道路を通って峠に下るのだろうが、ショートカットを決め込み、強引に道なき伐採地を下る。無事、県道22号線旧道、すなわち鞍掛峠に達し、やれやれである。あとはひたすら、この県道を、続いて国道293号線を歩き、愛車の待つ、男抱山登山口を目指せばよい。今日一日、ついに誰とも会わなかった。満足行く山行である。
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