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七久保入口・小沢岳登山口(921〜927)→椚峠(951〜955)→前衛峰(1031)→小沢岳山頂(1041〜1111)→椚峠(1144)→登山口(1200) |
久しぶりに西上州の山へ行ってみる気になった。岩と薮を特色とする山域であり、また高所に発達した山村と生活の匂いが色濃く残る幾多の峠を抱いたロマン溢れる山域である。この山域には今から30数年前に何度も通った。しかし、最近はとんと御無沙汰している。先ずは気になる未踏の山・小沢岳に行ってみることにする。
小沢岳は「西上州の槍ケ岳」とも呼ばれる鋭峰で、写真を眺めると、天空に突き上げた槍の穂先のごとき山容は惚れ惚れする。また、その山頂からの展望は西上州の山随一といわれ、西上州、上信国境の山々はおろか、八ケ岳や遠く北アルプスの山々まで見えるという。何とも登山意欲を刺激する山である。そのくせ、西上州の山には珍しく、登山ルートには危険な岩場もなく、また、登山口から山頂までの所要時間はわずか1時間30分という登山グレード「初級」の山である。 朝5時半に起きるつもりでいたが、目が覚めたのは7時半であった。まぁ、歩行時間往復3時間ほどの山ゆえ、少々の寝坊は許される。7時45分車で出発する。カーナビは目的地までの距離を88キロと示している。東松山インターから関越道に乗り、上信越道へと進む。ゴールデンウイーク中ゆえ、混雑を心配したが、杞憂であった。下仁田インターで降り、街並みを抜けて、南牧川支流の青倉川に沿った細道を奧に進む。点々と現れる山里はモクレンや散り始めた桜の花が見られ、あお空に鯉のぼりが泳ぐ。春は満開である。小河原集落に至ると、前方に、青空にすっくと突き上げる形よい岩峰が現れた。一目、目指す小沢岳である。 やがて道はますます細まり山間に入って行く。この奧にまだ七久保という集落がある。9時21分、小沢岳登山口に着いた。青倉川上流の谷川沿いの樹林の中である。「小沢岳登山口」の標示と登山届用のポスト、それに小沢岳についての説明板が設置されている。また「熊出没注意」の注意書きも張られている。ここは三差路となっており、青倉川沿いに続いてきた細い舗装道路はここでUターンし、谷筋を離れて上部の七久保集落に向っている。 また、辿ってきた舗装道路に続く形で、地道の林道が沢沿いに更に奧に向って続いている。小沢岳へのルートはこの林道を辿ることになる。案内書によると、オフロード車ならこの林道の通行が可能だが、車高の低い普通車は無理とのことである。案内書の忠告に従い、車をここで捨てることにする。すでに3台の車が道路脇の隙間に駐車している。 9時27分、出発。地道の林道をたどる。案内に反し、林道はそれほど荒れてはいない。これなら私の車でも通れたろうにーーー。林道には車の影も人の影もない。谷川の心地よいせせらぎの音のみが響き渡る。やがて道は谷筋を離れやや急となって稜線をめがけて登っていく。伐採が入ったようで周囲の山肌は丸坊主で明るい陽春の光があふれている。 9時51分、椚峠着。わずか24分の林道歩きであった。峠はブルドーザーでちょっとした広場に整地され、その一角に伐採された丸太が積み上げられている。残念ながら、古い峠の雰囲気は完全に破壊されてしまっている。それでも峠から少し下がった林道脇に二体の石仏がたたずんでいる。一体には寛政十一年未十一月の年号が微かに読み取れる。西暦1799年、今から200年以上も前に安置された仏様である。元々、峠に安置されていたが、林道工事によってこの場所に移動されてしまったとのことである。この椚峠は青倉川流域と椚沢川流域を結ぶ古い峠である。上から二人連れが下ってきた。今日初めて見かける登山者である。 たどってきた林道は峠を越えてそのまま椚、磐戸集落へと下っているが、小沢岳は右(北)に続く尾根を辿ることになる。小さな道標が「至小沢岳 徒歩50分」と示している。いよいよここからは登山道を歩く。尾根上に確りした踏跡はあるが、そのすぐ左下を尾根に沿ってブル道が開削されている。結局このブル道は前衛峰直下まで続いていた。歩きやすさだけを考えるなら尾根上の登山道よりこのブル道を歩いたほうが楽である。小さなピークを幾つも越えながら次第に高度を上げる。若い男女のぺアーが下ってきた。男はブル道、女は登山道を歩いてくる。尾根の右側は杉檜の鬱蒼とした植林、左側は明るい雑木林が続く。 ナイフリッジとなった痩せた小ピークを越えると、鬱蒼とした植林の中の急な登りとなった。「新進の頭」と呼ばれる小沢岳の前衛峰1050メートルへの登りである。息を切らして登り上げた頂は深い植林の中で、「図根点」と刻まれた標石が埋設されている。三角点と同様、測量の基準となる標石である。 いったん20メートルほど下って、小沢岳への最後の登りにかかる。男が一人下ってきた。登るに従い、周囲は植林から岩場をまじえた潅木帶に替わり、閉ざされていた視界が開けてくる。山頂からの展望が楽しみであり、自然と足が速まる。上空から人声が聞こえ、すぐに山頂に飛びだした。目の前には期待通りの大展望が広がっていた。荷物を下ろすの忘れ、眼前に広がる山々に見とれる。 山頂はアセビやつつじの潅木に囲まれた小さな空間で、埼玉県の上里町から来たという男女5人パーティが敷物を広げ、ラジュースを焚いて大休止していた。山頂の真ん中に三等三角点「小沢ヶ岳」が頭をのぞかせ、隅には小さな石の祠と大日如来像と言われる石仏が安置されている。この石仏には文化六年(1809年)の銘がある。今から200年以上前の建立である。昔から信仰の山であったのだろう。それにしても、これほど重そうな石仏をよくぞ担ぎ上げたものである。 さぁ、ゆっくり山岳同定を楽しもう。地図を取りだし、目の前に広がる山々を一つ一つ確認していく。まさに至福の一時である。視界のおよぶ一番先、遥か遥か彼方に真っ白な雪山の連なりが小さく見える。八ケ岳連峰に違いない。5人パーティに「八ケ岳のどの辺ですかねぇ」と聞くと、「左から赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳です」と教えてくれた。目を大きく右に振ると、一目で同定できる山が見える。山頂部を残雪で白く染めた浅間山である。現在、活動は収まっているのだろう、噴煙は見られない。その前面、すぐ足下に奇っ怪な岩塔をそそり立たせる山が二つ、西上州の奇峰・鹿岳と四叉山だ。あの山に登ったのはいまから30年以上も昔のことだ。タフな山行であった。 目をさらに右に振る。遠くに何やら見覚えのある山が二つ見える。あの独特の山容は鼻曲山に間違いない。その右のピークは一昨年に登った浅間隠山だ。そしてその前面に鋸の刃のように岩峰を連ねているのは妙義山のはずである。眺めるほどに山々の同定がすすむ。荒船山も微かに見える。御座山も確認できた。視界の一番左のギザギザした山頂部を持つ格好いい山は桧沢岳である。今度はあの山に登ってみようか。時の経つのも忘れ、山々を見続ける。山頂はぽかぽかと暖かい。 11時11分、素晴らしい展望の山頂を辞す。5人パーティは腰をあげる気配も見せない。前衛峰を越え、足早に下ると、登ってくる2パーティに出会った。ずいぶん遅い時刻の登山である。ちょうど12時、無事愛車に辿り着いた。下りは所要時間わずか50分であった。
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