白井差から両神山へ

故郷の名峰はニリンソウとヤシオツツジに包まれて

1999年4月29日


両神山山頂
 
 
白井差小屋(750)→登山口(800〜805)→昇竜の滝(810)→一位ガタワ(905〜915)→鏡平(930)→のぞき岩(945〜955)→両神山山頂(1020〜1055)→ヒゴのタオ(1125〜1135)→ミヨシノ岩(1145〜1150)→大峠(1215)→白井差(1310)

 
 故郷・埼玉に帰って早半年が過ぎた。両神山への思いが日増しに募る。両神山は鴻巣の我が家付近からもよく見える。前山の背後に、その独特の山容がどっしりと聳え立っている。鋸刃のようなぎざぎざの山頂部。両側は鋭く切れ落ち大きな台形状の山塊。他に例を見ない実に堂々たる山容である。見れば見るほど惚れ惚れする。両神山は言わずと知れた深田百名山の一つである。埼玉の誇る名山である。標高は1723.5メートルと、さして高くはないが、その山容、日本武尊にまつわる伝説、ヤシオツツジの群生。名山の条件を総て満たしている。やはりこの山に帰国の挨拶をしておかねば区切りがつかない。
 
 両神山には過去三度登っている。最初に登ったのは1975年8月、今は亡き父と日向大谷から往復した。産泰尾根への急登にへばり、引き返そうという父を無理やり山頂まで引き上げた。奇しくも今日は父の誕生日である。生きていれば83歳になったはずである。二度目は1986年6月、バリエーションコースである天理尾根を一人でやった。天理岳付近でルートの発見に手間取ったが山頂まで誰にも会わない静かな山行きであった。三度目の頂は1994年5月であった。赤岩尾根を無謀にも一人で縦走し、その余勢を駆って八丁尾根から山頂に達した。今日の計画は白井差から一位ガタワ経由で山頂に達し、帰路は大峠を経由して白井差に戻る周回コースである。これで両神山への総ての登頂コースを歩いたことになる。

 5時半、車で家を出る。昨夜からの雨が上がったばかりで、空はどんよりとしている。今日は移動性高気圧が張り出してくるはずであるが、回復が予報より遅れているようだ。国道140号線を熊谷、寄居と進むが、所々まだ雨が降っている。雨に濡れた山々の新緑がまぶしい。つい半月前に破風山に登った際は山々はまだくすんだ茶色であったのだが。季節は急速に移り変わっている。そういえば、昨日我が家にツバメが戻ってきた。今年もまた無事に雛が育つことを祈ろう。2月に登った四阿屋山の麓から小森川沿いの道に入る。7時45分、車道終点の白井差集落に着く。いい具合に雨は上がっていた。ところが駐車場所がない。狭い道路上は既に数十台の車が駐車している。連休初日の今日は山はだいぶ賑わいそうである。二軒ある民家の庭先に千円払ってようやく車を停める。

 白井差小屋の前を通って車両通行止めとなっている荒れた林道を行く。道端には真黄色の山吹の花が咲き誇っている。すぐに林道は終わり登山道となる。渓谷となった小森川の右岸に沿い、ぐんぐん高度を上げる。5分も進むと、小森川は大きな滝となって流れ落ち、昇竜の滝との標示がある。なんともありふれた名前を付けたものである。滝上には小さな祠がある。さらに右岸沿いに高度を上げる。天気がどんどん回復して薄日が差し出す。道端には可憐なニリンソウやムラサキケマン、見るからに毒々しいハシリドコロのどす黒い花が群生している。まさにお花畑である。萌え出ずる若葉と相まってなんとも美しい。何組かのパーティが前後する。いずれも中年のパーティである。沢筋を離れ、稜線に向かってのジグザグの急登が始まった。調子は上々、リズミカルにぐいぐい高度を上げる。標高が1300メートルを越えると木々はまだ木の芽である。
 
 登山口からちょうど1時間で一位ガタワに登り上げた。岩稜上の小さな鞍部である。ここで初めてお目当てのヤシオツツジにであう。ピンクの大柄の花がそこだけぽっと明るくなったようにモノクロームの山肌を染めている。いくつものパーティが休んでいる。私も隅に陣取り一休みする。ここで清滝小屋に下る道を分け、左に折れ山頂へのルートをたどる。いよいよ両神山の核心部である。いくつもの鎖場が現れる。山慣れたものにはどうということはないのだが、おばちゃん達は大苦戦している。追い越すこともできずいらいらする。そもそも立派な登山靴など履いているから駄目なのだ。私はいつもの通りジョギングシューズである。岩に吸い付きすいすい登れる。15分で鏡平、さらに15分で覗岩分岐にでた。2〜3分なので荷物をデポして行ってみる。数百メートルの大絶壁の上に張り出した一枚岩で、端まで行くと少々怖い。昔の修験者の修業場なのだろう。目の前に奥秩父主稜線が大展望となって広がっている。覗岩分岐のすぐ上が両神神社であった。狛犬ならぬ狛狼が社殿の前に座している。まずは今日の無事を祈る。ここで日向大谷から産泰尾根経由の道が合流する。24年前、父と登った道である。すぐに大きな休憩舎を過ぎる。目の前に両神山山頂が現れた。もうひと登りである。
 
 いくつかの混雑する短い鎖場を登ると、10時20分、見覚えのある山頂に達した。狭い岩峰で、小さな祠と三角点がある。次々と押し寄せる登山者で座る場所とてない。何はともあれ展望を楽しもう。目の前には奥秩父の山並みと西上州の岩峰群が広がっている。目は自ずとすぐ目の前の赤岩尾根に向かう。小岩峰の連続したすさまじい岩尾根である。決死の覚悟であの尾根を一人縦走したのはもう5年前である。よくもまぁ、あんなおっかないところに行ったものである。今でも思い出すと全身に戦慄が走る。赤岩尾根から続く稜線を目で追って天丸山や帳付を同定しようとしたが、同じような小岩峰が続きよくわからない。目を左に振ると、奥秩父の稜線が渓筋を残雪で白く染めながら黒く続いている。特徴のある破不山はすぐに同定できるが、甲武信ケ岳や三宝山は残念ながら雲の中である。北西の方向に山肌を残雪で斑に染めた独立峰が見える。浅間山である。隣の中年パーティのリーダーが仲間にあれが赤城山だと得意そうに説明している。指摘してやろうかと思ったが、恥をかかせてもかわいそうである。浅間山のはるか奥右手には、うっすらと白い山並みが見える。上信越国境の山々である。目を凝らすがとても同定はできない。いくらか風がでてきて寒い。山頂から少し下ったところに日当たりのよい岩陰を見つけてようやく腰を下ろす。握り飯をほお張りながら、眼下に広がる秩父盆地と奥武蔵の山々を眺める。武甲山や笠山、堂平山が見える。我が家から両神山が見えるなら、ここから我が家が見えるはずと目を凝らすが、関東平野は春がすみの中に消えている。

 10時55分、山頂を辞す。登って来た道と別れ、大峠への尾根道に入ると今までの喧騒が嘘のように消えた。ダケカンバをまじえた雑木林の明るい尾根が続く。林床は低い隈笹である。やや強まった風が冷たいが何とも気持ちのよい尾根である。潅木の岩尾根が連続する両神山にもこのような心休まる風景があったのか。木々の間から赤岩尾根が見える。人影のない静かな尾根をのんびりと緩く下っていく。やがて道は尾根筋を離れ雑木林の中の急な下りとなった。中年の夫婦連れが林の中で休んでいる。この尾根に入って初めて見る人影である。小さな鞍部に下りついた。ヒゴノタワと呼ばれる鞍部である。

 小休止の後、目の前の小峰への登りに掛かる。鎖場をまじえた樹林の中の急登である。ひと登りでミヨシノ岩と呼ばれる岩峰に登りついた。狭い岩尾根で左右は大絶壁となっていて少々怖いが、実に展望がよい。逆光の中、奥秩父の主稜線が雲取山、飛竜山、雁坂峠、破不山、甲武信ヶ岳、十文字峠と壁のごとく黒々と連なり、足下から続く尾根の先には梵天の鋭い岩峰がそそり立っている。岩場のあちこちにはピンクのヤシオツツジが咲きほこっている。春の陽が燦々と注ぐ岩場に一人座し、心行くまで山々を眺め続ける。周りは誰もいない。山々の中に身も心も溶け込む一瞬である。

 鎖場をまじえた小さな上り下りが続く。足下には点々と小さな春リンドウの花が現れる。ヤシオツツジも多い。まさに春爛漫である。にぎやかな人声がして、大峠に達した。梵天の北の鞍部である。ベンチとテーブルの設置された峠には大パーティが休んでいた。身の置き所もなさそうなのでそのまま下りに入る。沢ノ源頭に向かってジグザグを切りながら一気に下る。やがて傾斜が緩み水流が現れた。渓流のほとりで一休みし、流れを口に含む。辺りは再びお花畑となる。ハシリドコロのどす黒い釣り鐘状の花が目立つ。この草は根に猛毒を持っている。右岸左岸と何度か渡り返す。やがて道は水流から離れ左岸を高巻くようになる。小さな尾根を乗越すと、眼下に白井差の集落が見えた。

 13時10分、あっさりと農家の庭先の愛車にたどり着いた。今日の行動の終了である。両神山はいつ登ってもよい山である。この故郷の名山に次に登る機会はいつやって来るだろう。

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