竜頭山

天竜美林に降る雪の中、遠州の名峰へ

1997年1月26日


雪の雑木林
 
大輪登山口(720〜740)→青ナギ(855)→遊歩道(1055)→竜頭山山頂(1130〜1145)→青ナギ(1300〜1310)→平和集落跡→平和登山口(1345)→大輪登山口(1425)

 
 新年早々、なんやかんやと休日が潰れ、おまけにインフルエンザにまで掛かって、今年の初登りは1月も下旬となってしまった。初登りは遠州一の名峰・竜頭山である。この山は遠州平野の背後に惚れ惚れする姿ですっくとそびえ立っている。浜松市付近から北方を眺め、一番目立つ山、一番カッコーイイ山が竜頭山である。さほど竜頭山は遠州の野から目立つ山であり、昔は遠州灘を航海する船のよき目印であった。竜頭山は南ア深南部の麻布山から秋葉山に続く長大な尾根上の一峰である。昔は秋葉三尺坊大権現の奥の院があったと言われ、古くから開かれた山であった。そしてまた、昭和50年代までは、浜松近郊のハイカーにこよなく愛され、四季を通じて多くの登山者を迎えた山であった。しかしこの名峰も、あの悪名高き稜線林道(スーパー林道)が昭和59年に開削されたことにより状況は一変した。ハイカーは遠ざかり、代わって山頂付近は自動車の騒音と行楽客に占められるようになった。私もこの山を眺める度に登山意欲を刺激されるのだが、山頂で車に出会うことを考えると躊躇せざるを得なかった。しかし、1月から3月のまでの冬期はスーパー林道が閉鎖されるという。私は勇んで竜頭山に出かけた。

 朝5時半、夜明け前の静岡を出発。天竜川に沿って北上する。ようやく明けてきた空は、予報とは裏腹にどんよりと曇り、期待外れである。7時20分、天竜川左岸にある大輪集落外れの登山口に着く。誰もいない。支度をしていたら、なんと雪が降ってきた。竜頭山の標高は高々1300メートル強、それほど雪があるとは思えないが、念のため軽アイゼンとロングスパッツを持参する。登山口に表示があり、「大輪登山道は橋が到るところ老廃化していて危険なので、平和登山口から登れ」とある。いまさら言われても遅い。ひと登りして伐採地に出たところで朝食をとっていたら、50年配の単独行者が追い越していった。

 雪はますます激しくなり、見る間に辺りが白く染まり出す。道は半血沢の上部をほぼ水平にトラバースしながら奥へ奥へと続く。この道は木馬道となっていて横木が敷き占められている。トラバ−ス道だけに到るところ桟道が掛けられているが、表示の通りかなり老廃化しており、おっかなびっくり渡る。この大輪登山道は竜頭山のメイン登山道であったはずであるが、このままだと廃道化してしまいそうである。高度100メートルごとに佐久間町の建てた立派な高度標示がある。周りは名にしおう天竜美林の杉檜林。その中に音もなく雪が降り注いでいる。なんとも幻想的である。進むに従い、沿うている半血沢の川床が次第に近づく。川原に下りて一休みする。雪が薄く積もった岩の間を飛沫を散らして激流が走る。すぐに木馬道は二分する。沢を渡って右に分岐する道を見送り、山腹を緩やかに登る。相変わらず頻繁に現われる桟道は横木に雪が積もり、滑りやすくて危険である。前方で人声がして、猟犬をつれた二人の鉄砲打ちが休んでいた。「あいにくの天気で残念だねぇ」。「こんな日もまた情緒があっていいですよ」。

 すぐに目標とする青ナギに着いた。677.9メートル峰との鞍部の505メートル地点である。ここで平和集落からの登山道が合流する。ひと休みしようとしたら、平和登山道から20人ほどの大集団が登ってくるのが見えた。あんな大集団に巻き込まれたらかなわない。先を急ぐ。ところが、当然青ナギで休むと思った大集団もそのまま通過して後を追ってくる。しかも大集団の歩調は意外と早い。次第に追い詰められて、ついに700メートル地点で道を譲るはめになった。そろいの制服を着、地元の山岳会のようである。「大輪口からですか。道はどうですか」と追い抜きざまにリーダーが問うてきた。「まだ歩けますが、桟道が大分危なっかしいですね」と私。登山道は地図の破線と異なり、支尾根の右側を絡みながら登っていく。雪は小降りとなったが、道はすっかり雪に覆われている。すでに根雪のようである。重装備の三人連れが下ってきた。道は八〇〇メ−トル付近でいったん尾根上に出るが再び尾根の右側を絡む。相変わらず木馬道である。たいした登りではないのだが、今日はどうも体調が良くない。無理もない。3日前までインフレエンザで寝込んでいたのだから。

 1000メートル標高標示に寒暖計が取り付けられていた。見るとマイナス6℃、寒いはずである。1100メートルを過ぎると、続いてきた植林地帯が尽き、灌木帯に入った。谷の源頭部のような場所である。同時に雪混じりの寒風が吹き寄せ、積雪が一気に増した。脛くらいまである。慌ててヤッケを着込む。地形としての道は消えるが、先に登った大集団のトレースが確りしている。突然遊歩道と思えるところに出た。標示が左を「ホウヅキ平」、右を「山頂広場、竜頭山山頂」と示している。竜頭山山頂部はスーパー林道の開削にともない、佐久間町が「天竜の森」として自然公園化を進めている。到るところ遊歩道が走り、○○広場、○○平などのリクレーション施設が整備されているようである。山頂を目指して遊歩道を緩急織り混ぜながらトラバース気味に登っていく。トレースを外れると雪は膝まである。周りの灌木は霧氷に覆われ、実にきれいである。

 15分も遊歩道を辿ると車道に出た。もちろん今は深い雪に覆われて、車は通れない。トレースに従い周り込むように車道を進むと、あちこちにベンチや四阿の立つ大きな広場に達した。山頂部の一角のようである。四阿の建つ高みに登ってみると、そこは展望台であった。もちろん今日は雪雲が渦巻き、何も見えない。描かれた展望図を見ると、黒法師岳などの深南部の山々の大展望が得られることがわかる。残念である。さて、山頂は一体どこだろう。さっぱり分からない。見当をつけて、雪をラッセルして展望台のとなりのピークを目指す。緩やかに登ると、そこが竜頭山山頂であった。誰もいない。傍らには目障りな大きな電波塔が先端をガスに隠しそそり立っている。三角点のある山頂にはベンチとテーブルが備え付けられているが、雪混じりの寒風が吹き寄せ、ただただ寒いだけである。いささか腹も減ったが、こんなところでは昼食も取れない。5人連れが登ってきたのを潮に山頂を辞す。

 トレースは山頂を通り越してそのまま北へ向かっている。おそらくホウヅキ平を経由して先ほどの遊歩道出会に達するのであろう。しかし、この半吹雪の中、未知のルートをとるわけには行かない。来た道を雪を蹴たてて一目散に下る。早く樹林の中に逃げ込むことだ。深くヤッケのフードを下ろして4人連れが登ってきた。「山頂は駄目ですか」。「ただただ寒いだけですよ」。続いて女性の3人連れが登ってきた。アイゼンまでつけて完全武装である。ようやく樹林地帯まで下ってひと休みである。その間にも、夫婦連れが登ってきた。一人遅い昼食を取りながら私はいささか嬉しくなった。かつては遠州の名峰の名をほしいままにした竜頭山であるが、今では山頂にはスーパー林道が走り、大きな電波塔が建てられ、山頂部はすっかり公園風に整備されてしまい、もはや登山対象とはならない山になってしまった。しかし、遠州の岳人は未だこの山を見捨ててはいない。雪が人工物を無用の長物と化し、山が本来の姿を取り戻したこの時を待って、半吹雪の中を続々と登ってくるではないか。無雪期ならば車で山頂まで行けるこの山にわざわざ数時間のアルバイトを掛けて。竜頭山よ! おまえはなんと幸せなことか。

 何と小学生4人と大人1人のパーティが登ってきた。見れば小学生はジョギングシューズ履き。おいおい、大丈夫かいな。続いて単独行者。下りは早い。樹林の中を駆けるように下る。のんびりと下る中年の夫婦連れを追い抜く。1時間強で青ナギまで下ってしまった。帰路は遠回りになるが、平和集落経由で下ってみることにする。少し急な道を下り、仙戸集落への分岐を過ぎると尾根を絡んだほぼ水平な巻道となった。登山道はよく整備されており、この道が今ではメイン道のようである。ただし、道筋は地図の破線とは明らかに異なる。尾根を大きく周り込むと、樹林の中に点々と石垣が積まれたところに達した。平和集落跡である。地図にある平和集落は今は廃村である。既に集落跡の杉檜の植林が大きく育っている。さらに下ると、ついに水窪川沿いの国道152号線に下り着いた。登山口には登山者のものと思える多くの車が止められている。私はここから152号線をひたすら歩いて愛車まで戻らなければならない。

 国道を歩きながらふと後ろを振り返ると、いつのまにか空は晴れ、何と竜頭山が高々とそびえ立っているではないか。真っ白に雪に覆われたその姿は、まさに名山の風格が備わっていた。道端にたたずみ、私はいつまでも登りきし山を眺め続けていた。

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