安倍東山稜 竜爪山から真富士山へ

ものすごい薮尾根を日暮れと競争しながら必死に縦走

1993年8月22日

              
 
則沢集落→竜爪山(文殊岳)→薬師岳→富士見峠→駒引峠→富士見岳→第一真富士山→平野集落

 
 日帰りで山に行こうと思うが、夏場となると適当な山がない。静岡市近郊の山は、メインの登山道ははっきりしていても、山と山を結ぶ縦走路と云うものが整備されていない。この時期、登山道から一歩はずれれば猛烈な藪となる。考えた結果、竜爪山から真富士山まで縦走してみようと思った。竜爪山も真富士山も静岡市のポピュラーなハイキング対象の山である。いくら夏場でもこの間の縦走路はしっかりしているであろう。縦走記録は見当たらないものの、二万五千図にも破線が記入されている。
 
 前日のゴルフの疲れか朝の寝起きが悪い。よほど中止しようかと思ったが、天気もよいので出かける。三松発7時28分の則沢行きのバスに乗る。竜爪中学前へサッカーの試合に行く子供たちが下りると、バスは以前と同様私の貸し切りとなった。今日は則沢コースを登ってみるつもりである。終点の則沢着8時。以前来たときと同様、すべて放し飼いの犬がうろうろしていて、何となく恐い。もう慣れっこになったが、相変わらず道標も不備である。見当をつけて林道を登っていく。どうも調子は最悪である。ゴルフの疲れが翌日に残るようでは情けない。
 
 たどってきた立派な林道が沢と離れ右に大きくカーブするところで、小さな林道が左に分かれる。ここに朽ちかけた道標があり、どうもはっきりしないが、登山道はここで林道と分かれて沢ぞいに登っていくようである。ただし、真新しい看板があり「登山道は途中崩壊のため、林道を進んで道白堂経由で登れ」と書かれている。林道を進めと云ってもどちらの林道かわからないし、道白堂なる地名は地図にも記載されていない。以前竜爪山に登ったときもそうであったが、地図にない地名が道標に出てきて判断に困る。少し迷ったが、新しい林道をたどる。山腹を大きくヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げる。やがて林道延長の工事現場に出る。どこまで林道を延ばしたら気がすむのであろう。ちょうど9時、林道の終点の手前で、真新しいお堂に出た。道白堂との標示がある。戦国時代、道白という坊さんがここで説教して人々の崇拝を集めたと説明されている。この辺りを道白平と云うらしい。昔、集落があったのであろう。 
 
 いよいよ林道と別れて登山道に入る。冷たい沢が流れているので、水筒の水を入れ換える。杉の植林地帯の急斜面をひたすら登る。左に滝が見え、やがて沢に出た。水に手を浸けると、しびれるほどの冷たさである。今年の6月、竜爪中学が集中登山をしたとみえて、所々に「がんばれ」とか「フアイト」とか書かれた板切れが立てられている。なかに「人生、山ありゃ谷もある」と書かれたものがあり、これが中学生の言葉かと思わず吹き出してしまった。
 
 急登が続く。お地蔵様を過ぎ、もういい加減に山頂から桜峠に続く縦走路に出る頃と思うが、なかなか着かない。立ち止まっては思い返して更に登る。ようやく縦走路に出た。ここまで来れば山頂は目の前である。丸太の階段をひたすら登ると、ようやく山頂に達した。10時45分である。
 
 山頂には3組6人の登山者が休んでいた。今日初めて会う登山者である。前回来たときはガスのためまったく展望が得られなかったが、今日は南側の静岡市内が一望である。正面に日本平が見え、その向こうは駿河湾である。まるでアメーバーの足のように市内に向け幾筋もの山並みが低く延びている。時間が遅れ気味なので、急いでパンを頬張って、11時5分出発する。10分で薬師岳山頂に到着。前回いた竜の子供と思えるトカゲ君は姿が見えない。
 
 11時30分、いよいよ真富士山に向け縦走を開始する。静清庵自然歩道の標示があり、道はよさそうである。スズタケのトンネルに入る。見事なトンネルだ。伐採地に出ると北方の視界が開ける。このあいだ登った大無間山を目で探すが、残念ながら南アルプスは雲の中である。眼下に安倍川の流れが光っている。予想より藪っぽいなとブツブツ云いながらどんどん下ると、12時5分、植林の中の鞍部に出た。富士見峠との標示がある。富士山も見えないのに富士見峠とはこれいかに、内心苦笑する。
 
 ここは十字路となっている。自然歩道は左、安倍川流域に下っている。右へ下る道の標示は穂積神社である。まっすぐ尾根通しには、真富士山の標示はあるものの、あるかないかの微かな踏み跡である。どうやら真富士山への縦走路はしっかりした道ではなさそうであり、前途に不安を感じる。植林地帯を急登すると、送電線の鉄塔に出た。この先のピークの所で踏み跡が途絶えた。そんなはずはないと思い、何回かスズタケと灌木の藪に突っ込んでルートを探ると、右側に尾根を巻くように進む微かな踏み跡を見つけひと安心する。細い踏み跡をたどる。12時50分、鞍部に出ると安政六年の銘がある石仏があり、駒引峠の標示がある。おそらく昔、峠道が越えていたのであろう。地図ではここから俵峰集落への破線が載っているが、それらしい踏み跡はない。
 
 広々とした檜の植林地帯を行く。所々藪があるが、踏み跡は何とかたどれる。地図の1,078メートル峰への長い登りに入った。13時30分、ついに山頂に達した。周りは雑木林で、富士見岳との標示がある。南側に視界が開け、竜爪山からたどってきた稜線がよく見える。はるばる来たかなとの感が強い。先を急ぐ。
 
 ここからのルートはかつて経験をしたことのない藪との戦いで、まさに地獄であった。猛烈なスズタケの密生に突っ込んだ。3メートルはあろうかという背をはるかに没する密生だ。かき分けてみると足元に微かに踏み跡はあるのだが、スズタケが絡み合って歩けない。手でかき分けながら進もうとするがとてもではない。四つん這いに近い姿勢なら何とか進める。頭から突っ込みながら這うように進む。枝先が顔にあたり、時々眼鏡も吹っ飛ぶ。この状況がどこまでも続く。泣きたい気持ちである。視界はいっさい利かないため、もう現在位置すらわからない。
 
 30分も進むとようやくスズタケの密生は終わった。と思ったら、今度は灌木の藪だ。刺草が密生しており、どうしようもない。今まで微かにあった踏み跡も、もはや痕跡すらない。まさかこれほどの藪があるとは思わなかったので、半袖のTシャツできてしまった。腕は傷だらけである。腕を保護するため万歳の格好で遮二無二稜線をたどる。ここを抜けたと思ったら広い伐採地の斜面に出た。蔓草あり、刺草ありの雑草の原である。少しでも歩きやすいところを拾いながらこの藪原を登る。と、またもやスズタケの密生が行く手を阻んだ。先ほどは足元に微かな踏み跡があったのでなんとか突破できたが、今度はどうしようもない。何度も突っ込んでみたが歯が立たない。時間はすでに15時を回っている。本来ならば真富士山に着いていなければならない頃だ。困り果てた。絶望的な気持ちになる。これでは今日中に下山できないか。現在位置もよく分からない。ただルートは間違っていない。このまま進めば必ず真富士山には着くはずだ。しかし、前に進めないのだ。半場やけっぱちになって、何度目かの突入をはかる。遮二無二、それこそ死物狂いで進む。どうにか抜けて雑木林に出た。ホットひと息つく。
 
 再び微かな踏み跡が現われた。その後もスズタケの藪が時々現われ、どきりとするが、大事に至らず踏み跡は続く。時間は16時近く、どうやら真富士山までは行けそうもない。地図によれば、俵峰集落から真富士山への登山道が1,137メートル付近で稜線に登ってきているはずである。そこまで行けば何とかなるとの思いで、登りとなったルートをひたすらたどる。長い長い登りに入る。突然登山道に出た。左から立派な登山道が登ってきている。やれやれと座り込む。道標はないが俵峰集落からの登山道のはずである。所が、ふと高度計を見ると、1,300メートルを越えている。おかしい。ひょっとしたら、この登山道は、平野集落から登ってきた登山道ではないか。それならば、もう5分も進めば、真富士山山頂のはずである。半信半疑で、登山道を進んでみる。すぐに真富士山山頂に達した。ついにやったのだ。竜爪山から真富士山までの縦走を。時はすでに15時55分であった。
 
 誰もいない山頂に一人たたずんだ。南側の視界が大きく開け、眼下に静岡市内がよく見える。その背後には駿河湾。大きな船まで見える。さらにその先には伊豆半島が横たわっている。ここまで来ればもう大丈夫。立派な登山道がある。日が暮れてもヘッドランプを照らして歩けばよい。16時、山頂を辞す。先ほどの地点まで戻り、登山道に沿って稜線を西側に下る。すぐに十字路となり、左に向かう道は俵峰、右に向かう道は平野、まっすぐ向かう道は真富士神社との標示がある。地図によると、1,137メートル付近で稜線に上がってくることになっている俵峰集落からの登山道は、どうやら、稜線直下をたどってここまで来ているようだ。まったく、二万五千図の登山道の記載は当てにならない。そうかと云ってこの山域は、他の登山地図はないから困る。ここまで来たからには往復5分である真富士神社に寄ってみることにする。すぐに小さな祠の前に出た。今日一日の無事を心から感謝する。
 
 平野集落への道を下る。真富士山への表参道であるこの道は、一定の間隔を置いて、小さな石仏が30数体安置されている。立ち止まっては石仏を眺めながらぐんぐん下る。途中木材運搬のためとかで登山道が付け替えられている。ようやく林道に出た。もはや日が暮れようと安心である。しばらく林道を下ると、林道を大きくショートカットする登山道分岐に出た。一瞬迷ったが、まだ明るいので、登山道に踏み込む。所が、この登山道はあまり歩かれていないと見えて、道型は確りしているものの萱との藪である。手が切れて血が吹き出す。まったく今日は最後まで藪漕ぎである。薄暗くなった植林の中、沢状の道をどんどん下る。やがてわさび田が現われ、再び林道に降り立った。日没と競争するように林道をひたすら下る。18時15分、薄暗くなった頃ようやく平野のバス停に着いた。静岡行きのバスは18時55分の最終であった。