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平山集落→穂積神社→薬師岳→文珠岳→若山→桜峠→賎機山→浅間神社 |
竜爪山は静岡市を象徴する山である。市内のどこからでも、その優雅な双耳峰を仰ぐことができ、市民のよきハイキングコースとして親しまれている。また、市内の小学校では、この山への集中登山を伝統的行事としているところも多い。静岡市に暮らすからには、一度は登ってみたい山である。
しかし、この山だけに登るのならば、小学生のハイキングであり物足りない。龍爪山から賎機山へ続く稜線が静岡市内の中心部まで深々と延びている。この稜線は白峰三山、白峰南嶺、安倍奥の山と続いてきた長大な尾根の末端である。私は何時の日か賎機山から白峰北岳まで連続した足跡を残してみたいと云う夢を持っている。その夢の一環として、まずは竜爪山から賎機山まで縦走してみよう。少々距離は長いが、春の日長が頼りとなる。問題は竜爪山から、鯨ヶ池上部の最低鞍部までの稜線をうまくたどれるかどうかである。二万五千図を見ると、破線が複雑に入り組んでいるし、もとより、地図に記載の破線は当てにならないことが常識である。行ってみなければわからない。迷ったところで、千メートル前後の山であり、大事に至る心配はなかろう。 朝起きると、空はどんより曇り、午後からは雨の予報である。三松発7時23分の則沢行きバスに乗る。今日は平山集落から表参道を竜爪山に登るつもりである。数人いた乗客もバスが山間に入る前に次々と下り、途中から私一人の貸し切りとなった。平山で下りるつもりであったが、タイミングを逸し、終点の則沢まで行ってしまった。則沢集落は山間の割合大きな集落で、早朝から人々が忙しげに働いている。犬がすべて放し飼いで、何となく恐い。 二つ停留所を戻り、8時10分、平山集落から、長尾川沿いの車道を上流にたどる。平山集落は、以前、車でぶらりと来たとき、突然大きな集落が山間に現われ、びっくりしたものだが、さして広くない谷間の斜面に家々がびっしり立ち並んでいる。集落は茶の栽培で生計を立てているようで、山々の急斜面は一面茶畑である。製茶工場などある集落を抜けると、谷は開け見渡す限りの茶畑となった。立派な石の鳥居がある。元々穂積神社への表参道を跨いでいたのであろうが、車道ができた為か、鳥居は道路から外れた草むらの中である。見上げる竜爪山は、ガスの中で、今日一日、予報通り悪天の気配である。 所々、椎茸栽培などが見られるようになるが、どこまで行っても茶畑である。林道の傾斜がきつくなると、ヘアピンカーブとなり、竜爪茶屋という旅館兼料理屋のような一軒家が現われた。左手、茶畑への急斜面に小道が分かれ、「竜爪山」との静工高の小さな道標が立てられている。うっかりすると見落としそうなもので、もっと確りした道標があると思っていたので、少々戸惑う。茶畑のど真中をグイグイ登っていく。畑の中は荷物運搬用のモノレールが縦横に敷かれている。しばらく登ると再び迂回してきた車道に出会った。車道を10メートルぐらい戻ったところから、山の斜面を登る小道があり、ここにも静工高の小さな道標がある。登っている道は竜爪山登山のメインルート・表参道である。私の常識からすれば、静岡市の観光協会あたりの立派な道標があってしかるべきなのだがーーー。 ここからは、檜の植林の中の道となる。所々竹藪もある。山道といえども、道幅は広く、しかも山腹を巻くような緩やかな登りが続く。花弁が降り注ぐので、見上げると、桜である。単調な道に飽き飽きする頃、谷の源流に出た。旧道とここで合流する。若干傾斜の増した道を更にたどると、穂積神社に出た。広い平坦地に、まだ新しい大きな社殿が建っている。迂回してきた林道が達しており、車で来た2〜3人の参拝者がいる。ガスが渦巻きだし、寒くなったのでヤッケを着る。この穂積神社は戦時中、弾除けのご利益があるとして崇拝を集めたとのことである。 ここからは東海道自然歩道と合わさり、登山道は社殿の裏手から続くのであるが、ここにもまともな道標はない。すぐに旧社殿跡に至るが、ここから登山道の状況は一変する。岩混じりの急斜面に無理矢理付けたような道で、到る所にザイルが張り巡らされている。そこを過ぎると、丸太の階段の急登が延々と続く。さすがに息が切れ、何回か立ち止まる。ようやく稜線に達し、左にほんの数分進むと、薬師岳山頂であった。山頂は樹木に囲まれ展望のない静かなところで、薬師如来が彫られた石碑と、ベンチとテーブルがおかれている。誰もいない。薬師如来のところにトカゲがいる。見つめていたら、竜の子供に見えてきた。竜爪山の守り神かも知れない。中年の女性3人パーティが登ってきたのを潮に文殊岳に向かう。 ほんの5分程で、文殊岳山頂に達した。山頂には一等三角点があり、文殊菩薩を祀った小さな祠がある。東側に視界が開けているので、天気さえ良ければ、駿河湾がよく見えそうであるが、今日はまったく駄目である。山頂は、私も含め単独行者4人と、さきほどの女性3人パーティの七人となった。一人は、牛妻から、もう一人は則沢から登ってきたと云う。リンゴを一つ食べ、早々に山頂を辞す。今日の行程はこれからが本番である。先が長い。雨も降りだしそうである。 地図も確認せずにそのまま下りに入ったら、すぐに大きな電波反射板のところで行きづまってしまった。慌ててコンパスで方向を確認すると何と西に向かっている。危ない! 山頂に戻り、牛妻への道に入る。丸太の階段の急坂をしばらく下ると、則沢への細い道が左に分かれ、すぐに尾根上の平坦な道となる。周りは檜の植林である。この道は東海道自然歩道である。所々にベンチなどあるのは良いとして、灰皿まであるのはどういうことか。道標は頻繁にあるが、行き先はすべて「牛妻」である。この道をそのままたどっていくと、牛妻に行ってしまう。どこかで、賎機山へのルートが分かれるはずである。注意深く進む。緩やかな上り下りを繰り返しながら、次第に高度をさげる。道が二つに分かれ、道標がある。「右、牛妻、賎機方面、巻道」「左、牛妻、賎機方面、若山山頂経由」。若山とは初めて聞く名前であり、地図にも記載はないが、二万五千図上の844メートル峰と思える。この山は、市内から見てもなかなか立派な山で、常々地図に山名の記載がないのを不思議に思っていた。ピークハンターを自認する私としてはこの機会にぜひ登っておきたい。左の直進する尾根道をとる。しばらく登ると左に細い踏跡が分かれ、小さな道標が「桜峠へ」との標示している。桜峠とはどこを云うのかわからない。地図をいくら見ても記載がない。(帰宅してから調べたら、鯨ヶ池上部の最低鞍部を云うことがわかった。地元の人にはよく知られた地名でも他所者にはわからない)。勘としては、この小道が賎機山への縦走路と思うが、自信はない。ただ、さきほどの巻道分岐の道標には、直進道、巻道とも「賎機」の標示があり、このまま若山山頂を経て進むのが賎機山へのルートとも思える。(後から考えると、「賎機」は賎機集落を指し、賎機山を指すのではないと思い知るのだがーーー)。10分ほど登ると若山山頂に達した。山頂は植林の中で、暗く展望もない。朽ちかけたベンチとテーブルがある。もちろん誰もいない。山頂に設置された道標は行く先を「牛妻」と標示しており、期待していた「賎機山」の標示はない。 桜峠分岐まで戻り、かなり弱々しくなった道に踏み込む。ただし、道型は確りしており、間違ったとしても、どこかの下界には導いてくれそうである。道は若山の東面を巻くように進む。かなり頻繁に、「賎機小学校昭和55年」の名の書かれた小さな道標や、「がんばれ」「ファイト」等書かれた板切れがある。どうやら、小学生が昔集中登山をしたと思える。道標の標示は、相変わらず「桜峠」である。森林の中の道で、展望は一切ない。若山を巻終わると尾根道となり、どうやら、賎機山への縦走路で間違いなさそうである。竜爪山頂を出てから誰とも会わない。ひょっとしたら、若山山頂を経由した道とどこかで合流するかと思ったが、それらしき道とは出会わない。やがて、急な下りとなった。こんなに下って大丈夫かと思うほどどんどん下っていく。いつしか、時々現われる小さな道標が、「桜峠」から「くじらヶ池」に変わった。紙切れをビ二ールで包んだ粗末なものだ。 突然周りが明るくなったと思ったら、なんと茶畑に出た。どうやら、若山を下り切り、賎機山へ続く平坦な尾根に出たようである。ついに、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。茶畑と藪が交互に現われるようになる。藪の中は蜘蛛の巣が張られ、歩きにくい。棒で巣を払いながら進む。雨はまだ小降りで、雨具をつけるほどではない。雑木林に入る。踏み跡が乱れるが、赤テープでルートが示されている。ようやく先の見通しがついたら、空腹を覚えた。茶畑の縁に座って、パンを頬張る。どうやら計画通りの縦走ができそうである。左右に作業道がいくつも分かれるが、忠実に尾根上の踏み跡を進む。 そろそろ、鯨ヶ池上部のトンネルの上に出る頃と思っていたら、作業小屋のところで突然踏み跡が二つにわかれた。ルートはどちらか迷う。左の踏み跡に踏み込んでみるが、尾根を巻くように下っており、どうも麻機方面に下ってしまいそうである。しかも、踏み跡は細く、ルートとも思えない。引き返して、分岐点を更に良く観察するが、ルートを示すものは何もない。右の道は、そのまま尾根上を茶畑に沿って直進するが、感じとしては、茶畑の畔道である。今度はこの道を進んでみる。軽く登ると、畔道も怪しくなり、お茶の木の間をぐんぐん下るようになる。前方を観察するとどうも稜線から外れ、鯨ヶ池方面への支尾根に引き込まれている感じである。見切りをつけて引き返す。縦走は失敗かとの思いが脳裏をかすめ、絶望的な気持ちになる。おまけに雨も強くなってきた。しかし、雨具をつける精神的余裕もない。どうやらこのトンネルの上を進む尾根道はなさそうである。覚悟を決めて、左の道を再び進む。数分進むと、トンネルの東側から山腹を上がってきた舗装道路に降り立った。舗装道路をこのまま麻機へ下る以外なさそうである。 道路が左に大きくヘアピンカーブを切るところで、まっすぐに下る畔道を見つけ、近道をしようとこの畔道に踏み込む。ところがすぐに竹藪に突き当たり下れなくなる。道路まで戻るのも癪なので、竹藪の中を少し右に移動してみると、確りした道を見つけた。喜んでこの道を下る。道がトンネル東側の車道に出る寸前で右手尾根に登って行く割合確りした踏み跡が分かれる。地獄に仏とはこのことかと、この道に踏み込む。期待に違わず踏み跡は尾根に出て、トンネルの上を越えて賎機山方面へ進んで行く。万歳である。萎んだ希望がまた膨らんだ。 前方斜面は一面の茶畑で、何人かが農作業をしている。前方の高みまで行けば、多分、賎機山から鯨ヶ池に通じるハイキング道があるはずである。ところが、最低鞍部を過ぎたあたりから辿ってきた小道は怪しくなり、茶畑の畔となり、更には、人が通れるとも思えない樹木の間の藪となってしまった。もはやここまで来たら遮二無二突き進むだけだ。蜘蛛の巣を払い、濡れた藪でびしょびしょになりながら突き進む。 ついにハイキング道に出た。ほっとひと息つく。後は、浅間神社を目指してこの道を歩けばよい。小さなピークをいくつも越える。ピーク上には、貯水槽があったり、アンテナがあったり、割合大きな作業小屋があったりする。尾根の両側は茶畑か蜜柑畑である。左側に静岡市内がよく見える。会社のビルも自宅のマンションも確認できる。振り返れば、足元から長々と続く尾根の向こうに、若山と竜爪山が高々とそびえ立っている。いつしか雨も上がった。再び空腹を覚え、草原に座りパンを頬張る。このハイキング道も、午後も深まったせいか、あいにくの天気のせいか、人の気配はない。いくつめかのピークに達すると思いがけず神社があった。福成神社とある。社殿に手を合わせ、無事ここまで来られたことを感謝する。 やがて道の両側には、野菜畑なども現われ、立派なサヤエンドウやジャガイモが育っている。この標高200メートルの尾根上の畑は、耕すのが大変であろう。それにしてもこの平凡な尾根は長い。いくつもいくつもピークを越える。再び雨が降りだす。いまさら雨具を着けるのは面倒だ。濡れらば濡れろである。時間も四時近く、いい加減飽き飽きし、かつ、足の裏に疲れを覚えた頃、森林の中のピークに達した。賎機城跡との標示があり、この付近の最高峰と記されている。ということは賎機山の隣のピークのはずである。やれやれである。ひと登りすると、観音像の立つ見覚えのある賎機山山頂に達した。ついに、竜爪山から、賎機山までの長い長い縦走が完成したのである。観音像の前では降り頻る雨の中、一人の老人が線香を上げ熱心に手を合わせている。この観音像は、静岡大空襲の犠牲者の慰霊に建てられたものである。 夕闇迫り、本降りとなった雨の中をゆっくりと浅間神社に下っていった。すでに時間は午後4時を回っていた。 |