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大平山(おおひらやま) 1603.0m

 
所在地 埼玉県秩父市  
名山リスト なし
二万五千図 武蔵日原
登頂年月日 1981年5月10日  

 
 鳥首峠上部より
 大持山山頂より
 

 
 大平山は不思議な山である。立派な山容を浦山川流域の奥に誇りながら、ハイキング案内書や登山雑誌に一切登場しない。試しにインターネットを検索してみても、この大平山への登山記録は発見できなかった。そもそもこの山には登山道がない。埼玉県に幾多の山あれど、登山道がないのはこの大平山ぐらいであろう。大平山は決して人跡未踏の奥地にあるわけでもなく、人を寄せつけぬ絶壁で囲まれた山でもない。また逆に、とるに足らぬような小さなピークでもない。それどころか、奥武蔵の奥にあってひときわ目立つ大きな山である。なぜこの山に未だ登山道がないのか、考えれば考えるほど不思議である。

 大平山は、長沢背稜上の七跳山から北に派生した支稜上の一峰である。大クビレの鞍部を挟んで七跳山と対峙している。全山黒木で覆われ、その大きな山容は、どこから眺めても嫌でも目につく。私も奥武蔵の山々に登り出した初期からこの山が目についた。

 今まで云ってきたことと矛盾するが、この大平山はその山頂に登ることだけを考えるなら、それは容易である。長沢背稜の北面を蛇のようにのたうち回りながら長々と伸びている天目山林道が、大クビレに達している。従って、この林道をたどれば、もちろんシゴー平に通行止めのゲートがあって車の乗り入れはできないが、大クビレまで行ける。大クビレから山頂まではほんの7〜8分である。しかしこのルートは99%林道歩きであり、とても登山と云えたものではない。この天目山林道が、藪山党の格好の目標になりそうなこの大平山の登山意欲を大幅に削いでしまっていることは否定できない。

 この大平山が、私の知るかぎりただ一度、登山雑誌に取り上げられたことがある。もうずいぶん昔のことだが、雑誌「山と渓谷」の昭和50年10月号に、その名もずばり、「道のない山」という特集が組まれ、大平山が小さく取り上げられていた。しかし、そこで紹介された登山ルートは川俣集落から峰ノ尾根を登って大ドッケに至り、さらに藪尾根を辿って山頂に達すると云う2日掛かりのものであった。この尾根は猛烈な藪尾根で登山道はおろか踏み跡も一切ないという。いくら藪山好きでもとても登る気のしないルートである。しかし、この記事が私にこの山への関心を抱かせたことは確かである。

 長沢背稜周辺は、古代朝鮮語に起源を持つと云われる「ドッケ」名の山が多い。大平山の北東稜にも大ドッケと呼ばれる小ピークがある。その中にあって「大平山」とはずいぶん平凡な名前である。日本山名辞典を引くと、「おおひらやま」という名前の山は全国に16座もある。さらに大平山を音読みした「たいへいざん」という名前も10座ある。語源辞典によれば、「ひらは、傾斜地、斜面、坂を表わす言葉」とある。大平山の山名の由来はここから来たのであろうか。

 昭和56年5月、私は積年の思いを果たすべく、一人、車でシゴー平らに向かった。現地へ行ってみれば、なんとか頂上までのルートを見つけ出せるかもしれないと考えたのである。いわば偵察行であるが、もちろんルートが見つかれば頂上まで行くつもりである。想定したルートは次の通りであった。
  
  1、天目山林道を車でシゴー平まで入る。ここにゲートがある為、
    車はここ迄である。
  2、細久保谷はシゴー平らで右俣と左俣に分かれるが、右俣に沿っ
    て付けられた天目山林道を更に遡る。
  3、細久保谷が中ノ沢とショーグリ沢に分かれるところで、天目
    山林道を離れて、中ノ沢を遡行する。
  4、中ノ沢がどんな沢かわからないが、詰め上げれば大クビレに
    出るはずである。ただし、おそらく、この辺りから、山頂に
    向かう仕事道ぐらいはあるのではないかとの期待がある。
  5、大クビレまで達せれば、どんなに藪が深くても山頂までは僅かな
    距離である。
 
 シゴー平から1時間の林道歩きで中ノ沢出合に達した。期待通りと云おうか、幸運なことに、中ノ沢ぞいに奥に向かう踏み跡があった。仕事道らしく、確り下刈りまでしてある。やがて谷が二俣となるところで踏み跡も二つに分かれた。右の踏み跡を辿ると中ノ沢と熊取沢を分ける支尾根に達した。その後も踏み跡は所々で分岐したが、適当に辿ると、最後は大平山の山頂の南面を巻くようにして大クビレに達した。ここで大きく迂回してきた天目山林道と再び合流する。ここからスズ竹の密生の中の微かな踏み跡を辿ると、遂に大平山山頂に達した。

 立ち木と藪の中の展望も利かない、静かさだけが取り柄の山頂であったが、遂に大平山に登ったのだとの満足感を大いに満たしてくれた。山頂は1603メ−トルの三角点を中心に少し切り開かれており、登山記念の板切れが幾つか立てられていた。私以外にもこの山に登り着いた者がいることがわかった。彼らはどうやってこの山頂に達したのであろうか。

 その後も、大平山に登山道ができたとの話は聞かない。相変わらず、奥武蔵の山々の中で、この山だけは孤高を守っているようである。
(2002年9月記)