11
棒ノ嶺(ぼうのみね) 969m

 
所在地 埼玉県名栗村 東京都奥多摩町
名山リスト 関東百名山 関東百山 東京都の山50座 日本の山1000
二万五千図 原市場
登頂年月日 1980年9月14日  1981年12月30日  1985年2月17日

 
仁田山峠上部より
 周助山稜より(右奥は川苔山)
 金毘羅尾根より

 
 棒ノ嶺の名前とともにセピア色の情景が記憶の彼方にある。一面に広がる茅との原、群れを為して飛び交う赤とんぼ。おそらく昭和20年代のことだったのだろう。誰と、どこを登ったのか。記憶は全くない。

 都県境尾根上、有間川右岸に位置する棒ノ嶺はハイキングの好適地として人気の山である。埼玉県側の名栗川流域から、東京都側の大丹波川流域からといくつもの登山コースが開かれていて、山頂は四季を通じてにぎわっている。この山のセールスポイントはソフトボールぐらいできそうな広々とした山頂である。ただし、現在では土の裸地で、雨上がりや霜どけの後などは踏み込むこともままならない泥んこ広場と化す。明らかにオーバーユースなのである。それだけこの山が人気がある証拠でもある。近年、有間谷を塞き止めダムが造られ、眼下に名栗湖の景観も生じた。

 この山について、多摩郡村誌には次のように書かれている。
  「棒之折山 東北の方にあり、高四百六十九丈五尺。亦嶺上より分界して
   東北は秩父郡下名栗村に、西南は本村字権次入に属す。山脈戌の方槇之
   尾山より連続し、巳の方コカハヅル山に綿亘し、支脈東北下名栗村に分
   出して名栗川に、西南は村内大丹波川抵る。山中樹林なく、総て茅叢に
   属す。小渓数修南谿に発し、相合して西南へ流下し、大丹波川に入る。
      頂上眺望活闊、八州の山川曠野を睫眉の間に収む。気象千万の壮観なり」

 現在の泥の広場は広大な茅との原であったことがわかる。私の少年の頃の思い出とも一致する。この山は元々茅とを刈る入会地であった。茅とは屋根を葺く重要な材料である。
 
 棒ノ嶺はいくつかの名前を持っている。二万五千図には棒ノ嶺とあるが、最近は棒ノ折山の名称が一般的となりつつある。しかし、私にとってこの山はあくまで棒ノ嶺である。幼少の頃からそう呼び慣わしてきた。この山名とその由来については昔からケンケンガクガクの議論がある。角川日本地名大辞典には次のように書かれている。
  「棒の折山・坊の尾根・坊主の尾根ともいい、棒の峰とも書く。(中略)
   山名の由来には、山頂付近はドーム状の広いカヤトで坊主の尾根といわ
   れたのが坊ノ尾根になり、それが棒の折になったとか、南面のゴンジリ
   沢に金精様を祀った石棒があり、畠山重忠が杖にしていたが、この山で
   折れたという伝説などがある」

 おそらく、樹木がなく茅との原の山頂の様子から坊主の尾根とか坊の峰と呼ばれるようになったと思われる。さらにこの山頂が丸いこともあり男根の亀頭が想像され、金精様を祀る民間信仰に結び付いたのではないか。このことにより「坊」→「棒」となり、また「尾根」→「折れ」となったと思われる。 

 私は、幼少の頃は別にして、この山に三度登った。最初は昭和55年9月、7歳の長女と4歳の次女を連れて河又から滝ノ平尾根を登った。私自身にとって幼少のときのあの思い出を確かめる楽しみな登山でもあった。しかし、何十年後の山頂は微かな昔の記憶とは大きく異なっていた。山日記を紐解いてみると。
 「11時過ぎ、無事山頂着。山頂は昔の記憶とは異なり、大きな裸地の広場。
  赤とんぼが群れを為して飛んでいるのが救いである。大勢のハイカーが思
  い思いに弁当を広げ、子供達がとんぼを追い掛けている」

 二度目に登ったのは昭和56年12月である。長駆、有間谷を一周すべく、有間谷落合から仙岳尾根を登った。すでに有間ダムの工事が始まっており、有間谷は進入禁止であった。
 「期待通、工事は休みとなっており、有間小屋直下まで入り込めた。7時50分、
  ようやく夜の明けた林道を歩き始める。5分ほどで、前々から確認してあった
  棒ノ嶺への登り口に着く。林道から有間谷に下る道は砂防工事で寸断されてい
  る。道は尾根を左から巻き込むようにしてぐんぐん高度を上げる。谷の向こう
  側の有間小屋がぐんぐん足元へと下がっていく。朝日が有間谷を照らしだす。
  小さな沢を下ると、道は尾根道となり、急な直登となる。落ち葉に覆われた道
  は滑りやすく、急な直登に苦労する。やがて尾根道は緩やかとなり、ピッチが
  上がる。(中略)十分ほど緩やかに登ると山頂の広場に達した。9時である。何
  時も大賑わいの山頂は早朝のためか誰もいない。すっかり明けた朝の空気は気
  持ちが良い。日向沢ノ峰、蕎麦粒山方面がよく見える。」

 三山度目に登ったのは昭和60年5月であった。4歳の長男を連れて名栗鉱泉から登り、小沢峠に縦走した。
 「天気はよく、朝日がまぶしい。湯基入沿いの林道を緩やかに登っていくと登山
  口に着く。ここからは小沢沿いの山道となる。しばらく登ると、道ははっきり
  した尾根状の道となる。人声一つしない森林の中の道である。上方に岩茸石の
  尾根が見えてくると道はジグザグの急登となる。あえぎあえぎ登り切ると岩茸
  石で、河又からの道が合する。岩茸石に登ると、棒ノ嶺が前方に丸い頭を覗か
  せている。ここから権次入峠までの登りはかなり急である。所々うっすらと残
  雪が見られる。登山道は凍っていて滑りやすく、苦労する。権次入峠に出ると
  前方の視界が開け、川苔山を始めとする奥多摩の山々が、視界を埋める。一気
  に山頂を目指す。今までの凍り付いた道から一変して泥んこ道となる。ようや
  くたどり着いた山頂は、まさに泥んこ広場で動きが取れない。権次入峠に戻る。
  続々と登山者が登ってくる。峠で改めて展望を楽しんだ後、小沢峠への縦走路
  に入る。」
 
 棒ノ嶺の山頂はやはり茅との原であってほしい。今となっては無理であろうか。
  (2002年2月記)