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秩父槍ケ岳(ちちぶやりがたけ) 1341m

 
所在地 埼玉県大滝村  
名山リスト なし
二万五千図 中津峡
登頂年月日 2001年4月14日

 
 中双里集落より
 両神山梵天尾根より
 

 
 「日本山名総覧(白山書房)」によると埼玉県の山の数は116座である。この数は47都道府県中、茨城県と並んで何と43位。驚くばかりの低位置である。ちなみに、埼玉県以下の府県は沖縄県(107座)、大阪府(102座)、千葉県(62座)である。確かに埼玉県の面積の2/3は関東平野であるため、山数の上位には行かないとは思っていた。それでも、奥武蔵や奥秩父という日本の代表的山域を抱えており、中位ぐらいにはあると考えていた。日本百名山も両神山、甲武信ヶ岳、雲取山と3座もある(もっとも甲武信ヶ岳、雲取山は県境の山だが)。それだけにこの順位はショックであった。この山座数は二万五千図に山名記載された山の数である。
 
 改めて、埼玉県の地図をしげしげと眺めてみると、ひとつのことに気が付いた。埼玉県の西南部、すなわち中津川と甲斐・信濃国境稜線に囲まれた地域は山並みが累々と続いているにもかかわらず、地図に記載された山は非常に少ない。奥秩父の核心部である二万五千図「中津峡」を開いてみると、一片の平地もなく、地図は等高線で埋め尽くされている。しかるに、山名記載された山は白泰山ただ一座である。このことが山数の少ない原因の一つになっていそうである。
 
 秩父槍ヶ岳はまさにこの空白の山域に聳立し、しかも、地図に山名の記載がない山である。すなわち、埼玉県の山数116座に数えられていない山なのである。秩父槍ヶ岳は中津川右岸に聳える岩峰である。上の写真で見るとおり、鋭い山容を誇るしっかりした山で、山名の記載がないのがむしろ不思議である。さらに不思議なのは、「秩父槍ヶ岳」という山名は明らかに最近(おそらく戦後)付けられた名前であり、最近まで固有の山名すら持っていなかったと思える。最近こそ(ここ数年)、登頂記録や案内を目にするようになったが、少なくても10年前まではその存在さえ一般ハイカーには知られていなかった。おそらく、この山を最初に紹介したガイドブックは山と渓谷社の「分県ガイド 埼玉県の山」であろう。私もこの本で初めて秩父槍ヶ岳を知った。

 案内によるとかなりの岩山らしいので少々びびったが、埼玉県の山を登り残して置くわけには行かない。2001年4月、中津川奥へと車を走らせた。中双里集落まで来ると、眼前に目指す秩父槍ヶ岳の鋭峰が現れる。連なる岩峰群の中でひときわ鋭く天を突き刺している。想像以上の岩峰で、果たして登るルートがあるのかと思えるほど急峻である。すぐに登山口となる相原橋に着く。ここに休憩舎とトイレがある。中津川奥の樹林は「彩の国ふれあいの森」として七つの森、すなわち、野鳥の森、原始の森、学習の森、くらしの森、体験の森、鉱山の森、生産の森、が設定され、一部に自然とのふれあい設備が設けられている。落合橋右岸の森は「野鳥の森」に指定されていて、野鳥観察コースが相原沢左岸沿いに奥へ続いている。これが秩父槍ヶ岳へのルートであるが、「秩父槍ヶ岳」を示す道標は何もない。
 
 渓谷の絶壁に無理矢理刻まれた遊歩道を奥へ進む。15分も進むと、「野鳥観察小屋」である四阿がある。観察コースはさらに奥へ続くが、標示があり、「この先コースは厳しい山道となるので、子供や年寄りはここで戻るように」と記されている。樹林の中を急登したのち、トラバース道を進むと、やがて相原沢左岸稜となる岩尾根に出る。梯子などをまじえたものすごく急峻な岩尾根をひたすら登る。もはや「野鳥観察コース」などという生やさしい道ではないが道型はしっかりしている。入り口から2時間も登ると、秩父槍ヶ岳から続く岩稜に登り上げる。ここに「野鳥観察コース終点」との標示がある。登山道はここでおしまいである。

 秩父槍ヶ岳はこの稜線を北へ辿ることになるが、切れ切れの踏み跡を追って、潅木の生えるガリガリの岩稜を辿り小岩峰を三つほど越えるとアンテナの立つ岩峰に達する。この岩峰から中津川集落に向け弱々しい踏み跡が下っている。さらに岩稜をルートファインデングしながら小峰を越えるとようやく目指す秩父槍ヶ岳に達する。山頂はアセビなどの潅木が茂り展望はない。また山頂標示もない。苦労して登ってきたにしてはまったく愛想のない山頂である。帰路はアンテナピークから中津川集落に下ったが、登山口から下山口まで「秩父槍ヶ岳」を示す標示は一切なかった。この山はまさにへそ曲がりの薮山好きが時々訪れるだけのローカルな山である。
(2002年6月記)