6
二子山(ふたごやま) 1165.6m

 
所在地 埼玉県小鹿野町
名山リスト 関東百名山 関東百山 日本の山1000
二万五千図 両神山
登頂年月日 1979.10.14  

 
 城峯山南尾根より(01.2)
 両詰山山稜より(00.12)
 国道299号より(79.10)

 
 二子山、いたってありふれてた山名である。「日本山名総覧」によると二子山と云う名は全国に18座ある。埼玉県にも奥武蔵に同名の山がある。二子山からイメージする山容は可愛らしい双耳峰である。しかし、この北秩父の二子山は荒々しい岩山である。志賀坂峠道から見上げる二子山の姿は、人々の眼を釘付けにする。凄まじい岩峰が、数百メートルの絶壁となってそそり立ち、しかも、真中で、すぱっと割れているのである。石灰岩の岩肌は白く輝き明るい。山と云うより、二つの巨大な岩の固まりである。埼玉県西北部から西上州に掛けては、奇岩奇峰が多いが、この二子山の山容はその中でもひときわ特異である。二つに割れた東の岩峰を東岳、西の岩峰を西岳、真中の割れ目を股峠と云う。西岳のほうが少し高く、三角点がある。新編武蔵風土記稿に「山の形文字の如く相並べり」との記載がある。
 
 この山は、上武国境稜線付近にある。しかし地図をよく見てみると、国境稜線はこの山の西の肩を通っている。東峰は無論、西峰の山頂も明らかに埼玉県側にあり、この山は間違いなく埼玉県の山である。然るに、多くの案内において西上州の山として紹介される。埼玉県民としとはちょっぴり腹立たしい。二子山は、もちろん、関東百名山および関東百山(西上州の山として)には選ばれている。私は日本三百名山には選ばれてもおかしくないと考えるが、少し標高が足りないのかも知れない。欲を言えば、あと400メートル背丈が欲しかった。 
 
 私が初めて二子山の姿に接したのは昭和50年の夏の信州への家族旅行の帰路であった。国道18号線の混雑を嫌って、佐久から十国峠を越えて神流川に下り、さらに志賀坂峠を越えて秩父に抜けるルートを辿った。蛇足ながら、このルートは古来、佐久地方と秩父地方を結ぶ主要な交易ルートであった。志賀坂トンネルを抜けると、左側に凄まじい岩峰が現われびっくりした。その頃はまだ、この地域には関心も知識もなかったので、何と云う山か全くわからなかった。気になり、帰ってからも調べてみて、初めて二子山と云う山であることを知った。

 私がこの「気になる山」に初めて登ったのは昭和54年10月である。バスの終点である坂本集落を過ぎ、志賀坂峠へのヘアピンカーブに差し掛ると、見覚えのある二子山の絶壁が頭上に覆い被さってきた。一軒家の民宿の先に登山口はあった。ここに車を止め、股峠目指して急な小沢沿いの道を登っていった。股峠はまさに岩の割れ目のようなところで、展望もなく、峠と云うイメージではなかった。東峰へのルート経験者にのみ許される厳しい岩登りと聞いていたが、先ずはどの程度かと挑んでみた。雑木林の急登を経るとすぐに岩壁の基部に達した。最初はかなり手強かったが、石灰岩の岩壁は手掛かりも確りしており、身の危険を感じる程のこともなく山頂へ通じる岩稜に達した。誰もいない東岳の山頂は、まさに360度の大展望を与えてくれた。西上州の山々が眼下に波を打ち、目の前には山頂は雲に隠れてはいたが、両神山が大きく立ちはだかっていた。岩上に座り、ゆっくりと昼食をとった後、股峠に戻った。下りはわずか15分であった。

 すぐに西峰に向かった。10分ほど雑木林の急坂を上ると、直登コースと、右側からの巻き道に別れる。直登コースは岩登りのエキスパートのみに許されると案内書にあったので、安全を考え巻き道を登った。ただし、後で知ったことだが、東岳の上りよりは易しいとのことであった。今思えば、直登コースを登ってみたかった。滑りやすい急登を30分続けると山頂に達した。ここも展望がすばらしい。西岳山頂は1キロ近くのほぼ平坦な岩稜になっている。ただし狭いところはナイフリッジ状である。こちらは多くの登山者が休んでおり、単独行者には居心地が悪かった。休む間もなく、岩稜づたいに30分ほど西に進み、ルートに沿って稜線から急降下した。この下りは、鎖場もありかなり悪い。魚尾道峠まで下ると、植林地帯となり、昔の峠道に沿って、緩やかな下り道を40分も行くと国道に出た。下から見上げる二つの岩峰は、今朝方見た以上に凄まじく見え、なんとなく征服感を満足させてくれた。

 二子山に付いて、大きな心配がある。群馬県に属する山だが、尾根続きの西隣に叶山と云うすばらしい岩山があった。二子岳と同様全山石灰石の山で、神ヶ原から見上げる叶山の岩壁は凄まじい迫力である。私は昭和56年11月にこの山に登ったが、昭和50年代後半に石灰岩採掘の為登山禁止となった。その後、上武国境の赤岩岳山頂からこの山を眺めてびっくりした。何と、山が無くなってしまっているではないか。山頂部から、根こそぎ採掘されてしまったのである。山の形が残っている武甲山はまだましである。この魔の手が、いずれ二子山にも伸びてくることが予想される。このすばらしい山に、一日も早く、登っておくにこしたことはない。
(2002年1月記)