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日向沢ノ峰(ひなたざわのうら) 1356.0m

 
所在地 埼玉県名栗村  東京都奥多摩町
名山リスト 東京都の山50座
二万五千図 武蔵日原
登頂年月日 1979.9.9 1980.2.11 1980.2.24 1981.12.30 1987.5.4

 
 周助山山稜より望む日向沢ノ峰(中央)と蕎麦粒山(右)    

 
 日向沢 ノ峰と書いて「ヒナタザワノウラ」と呼ぶ。「峰」又は「山」と書いて「ウラ」と呼ぶ例は幾つかある。道志山塊の菜畑山はナバタケウラである。語源的には沢の先端をウラと呼ぶことがありここから来たと云われている。○△沢の頭と云うのと同じである。しかし、どうも最近は漢字に引かれてヒナタザワノミネと呼ぶ人が多い。ちなみに、コンサイス日本山名辞典を引いてみると、「ひなたざわのみね」と見事に間違えている。白馬岳を「ハクバダケ」という時代であるから仕方がないことだが、歴史的名称は大事にしたいものである。

 日向沢ノ峰は埼玉県と東京都の都県境の山である。三峰山系の芋ノ木ドッケから一本の山稜として東に続いてきた長沢背稜もこの山に至って大きく三つに分かれる。一つは南東に向かい川苔山に続き、もう一つはそのまま都県境尾根として東に向かい棒ノ嶺へと続いていく。三つ目は北に向かい、有間山を経て、その後まさにアメーバーのごとく武蔵野の到る所にに尾根を伸ばし、奥武蔵の多くの山を盛り上げている。日向沢ノ峰はまさに奥武蔵の起点となる山である。だが、日向沢ノ峰は世に名山とは云われていない。日本の山1000」にも選ばれていないし、どのハイキング案内を読んでも、この山を目的とした案内は見られない。残念ながら、単なる通過ピークの地位に甘んじている。

 しかしながら、私はこの日向沢ノ峰が大好きである。奥武蔵の山々を一望できるすばらしい展望と、北側から山頂に突き上げる有間谷のせせらぎ、すばらしい想い出の沢山詰まった山である。私は、この山に五度も登った。現在、日向沢ノ峰へ埼玉県側からの直接登るルートはない。しかし、かつては有間谷からの直接登山ルートがあった。有間谷本谷を山頂まで詰めるルートと有間谷前ヤツ沢ぞいに登り、棒ノ嶺からの縦走路に合するルートの二つがある。私はいずれのルートも登った。

 私が初めてこの山に登ったのは、昭和54年9月であった。当時6歳であった長女を連れて、今にも降りだしそうな天気の中、有間谷に入った。すでに当時、有間ダムの工事は始まっていたが、まだ谷筋へ入ることはできた。有間谷に沿って、細い林道が栃ノ木入りの少し先まで延びており、ここまで車で入ることができた。終点には小さな作業小屋があり、ここから更に小道が奥に通じていた。沢に沿った小道を1時間も登ると、「都県境尾根を経て川苔山へ」の古びた道標はあり、微かな踏み跡が左に分かれていた。このルートは、すでに当時廃道化しており、上部は道型さえ不明な状況であった。激しい藪漕ぎの末、ようやく到着した日向沢ノ峰は、岩の露出した頂で、雲が渦巻き何も見えなかった。

 2度目にこの山の頂に立ったのは、翌年の2月であった。厳冬期の長沢背稜の単独縦走を目指し、雪深い三峰山から芋ノ木ドッケを経て、3日目にこの山の頂に達した。このとき、山はすばらしい展望をもって、私を歓迎してくれた。雲取山から続く、辿ってきた山々が一望の下にあった。私はこの山旅の成功の喜びを胸に、有間谷に下っていった。

 3度目は、それから2週間後の同じ2月の下旬であった。長女を連れて、雪の有間谷本谷を詰めた。
  「好天の中、8時一寸過ぎ、林道終点に車を捨てて歩き出す。2週間前に比べ、
      谷の氷壁もだいぶ緩み、春が近いことが感じられる。30分歩いていよいよ本
   谷に入る。最初は道も確りしており、日陰に残る雪を踏んで1時間ほど進む。
   やがて谷は大きく開け、二俣となる。この辺りより、雪が谷を埋め始め、沢
   は完全に氷結する。雪はそれ程深くはないが、道は完全に雪に隠れ、ただひ
   たすら氷結した谷を詰める。凍った滝を高巻くため、危ないトラバースが連
   続する。やがて源流の雪の急斜面が現われる。長女はキャラバンシューズが
   ずぶ濡れで半べそをかいている。余程左右の支稜に逃げようかと考えたが、
   キックステップを切って、強引に長女を引き揚げる。最後のスズタケ密生地
   を抜けると待望の山頂であった。いっぱいに広がる太陽の光がまぶしい」

 4度目の山頂は昭和56年12月も暮れの30日であった。長駆、有間谷を一周すべく、朝、棒ノ嶺を発ち、昼前に見慣れた山頂に達した。枯れ草の上に座り、一人紅茶を沸かし昼食とした。暮れの山頂は寒々とし、行き会う人さえいなかった。小休止の後、有間山に向かい駆けるように山頂を下っていった。

 このときを最後に、有間谷はダム工事のため、立入禁止となってしまった。私の足も日向沢ノ峰から遠のいた。昭和62年5月、久し振りに、この山に登るべく、家族全員を連れて、有間谷に向かった。有間谷は一変していた。すばらしいダムはできていたが、ダムから奥の昔の小道は荒れに荒れていた。一目で廃道化しているのがわかった。山腹を巻いた林道が、谷の遙か上部まで達していた。それでも、踏み後を拾い拾い、谷を詰め、何とか山頂にたどりついた。日向沢ノ峰は昔のままに、静かであった。

(2002年3月記)