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官ノ倉山(かんのくらやま) 344m

 
所在地 埼玉県小川町  東秩父村  
名山リスト 日本の山1000
二万五千図 安戸
登頂年月日 1982年3月6日 1987年4月29日  

 
     

 
 奥武蔵に幾多の峰々を盛り上げた山並みが、まさに武蔵野に没する寸前、小川町と東秩父村の境で少々盛り上がったのが官ノ倉山である。標高はわずか三四四メートルではあるが、奥武蔵のハイキング入門コースの山としてなかなかの人気がある。官ノ倉山は双耳峰である。西峰が主峰の官ノ倉山、東峰は石尊山と呼ばれている。両峰とも山頂部は岩峰となっている。特に石尊山の東斜面には鎖場があり、若干のスリルが味わえる。ただし、あくまでも一般的なハイキングコースであることには変わりない。
 
 この山に登るには、普通、東武東上線竹沢駅から歩く。官ノ倉山の西の肩にあたる官ノ倉峠まで約1時間20分である。峠にはベンチなどあり、一息入れるのによいが、展望はあまりよくない。そのまま真っ直ぐ南に下れば、槻川流域の安戸集落にでる。山頂へは左、露岩の中を登る。10分も登れば官ノ倉山山頂である。山頂はさして広くない岩場で、雑木が邪魔して笠山方面が僅かに見える程度である。ここにもベンチなどあり、いかにも初級ハイキングコースという趣である。

 帰路はいくつかのコースが考えられる。一つはここから石尊山を経て小川町へ下るコースである。小川駅まで、歩いて2時間ほどである。石尊山までは露石の痩せ尾根を10分ほどたどればよい。ここは展望がよく、笠山の優雅な姿が眺められる。小川町は武蔵野の小京都と云われる美しい町並を持っている。この町並を散策し、名物の忠七飯を食べるのも悪くない。二つ目は、官ノ倉峠からバスの通う槻川流域に下るコースである。このあたりは古くからの和紙の産地であり、和紙製作の実演を見られる場所もある。三つ目は、この山に登るだけではいかにも物足りない人向きである。西に続く尾根を「臼入り山」と呼ばれる421.1メートルの小峰まで縦走するのも面白い。道標はないが、尾根上には確りした踏み跡がある。官ノ倉山は小さな山なので、これらいろいろなコースを組み合わせて1日をのんびり過ごすのがよい。

 官ノ倉山は別名、「神ノ倉山(「かみのくらやま)」とも呼ばれる。この名前は、おそらく、熊野系の修験者によってもたらされたのであろう。和歌山県熊野に天の岩屋で有名な神倉神社の鎮座する千穂ヶ峰がある。この山の一峰である神倉山(かみくらやま)の別名が「かみのくらやま」である。雲取山の名前が、熊野の大雲取山から取られたのと同じである。このことからも、官ノ倉山が修験の山であったことがわかる。ただし官ノ倉山には、雲取山と同様、現在は宗教的施設は全くない。

 一方、隣の石尊山は石尊信仰の山である。現在でも山頂に小さな石祠が祀られており、石尊信仰華やかなりし頃の雰囲気を残している。石尊信仰とは丹沢山系大山に座す石尊権現(明治初年の神仏分離令により現在は大山寺と阿夫利神社に分離された)に対する信仰である。江戸期、この石尊信仰は関東一円に爆発的に広がった。各地に講が設けられ、大山参り、あるいは石尊参りと呼ばれる信仰登山が富士登山や伊勢参りと並んで庶民の楽しみであった。そして各地の岩山に石尊様が祀られ、石尊山と称された。日本山名総覧によると石尊山なる山名の山は全国に10座あることになっているが、この数は二万五千図に山名記載された山の数だけである。この小川町郊外の石尊山も数えられてはいない。

 私はこの山に2度登った。最初に登ったのは昭和57年3月、当時5歳の次女を連れて、今にも降りだしそうな天気の中を臼入り山から縦走した。小さなピークを幾つも越え、雑木林の中の落ち葉の敷き占められてた尾根道を辿った。途中から見事な竹林の中の道となった。1時間余りのんびり歩くと官ノ倉峠に出た。露石の間を僅かに急登すると山頂である。時折小雨のぱらつく生憎の天気ゆえ、人影はなかった。帰路は石尊山を経て小川駅まで歩いた。小川の町まではかなりの道程であるが、道標が完備しており、山里をのんびりと歩いた。

 2度目に登ったのは昭和62年4月、外秩父7峰40キロハイキング大会においてであった。官ノ倉山は5.3キロ地点、最初のピークであった。小川駅を朝6時40分にスタートし、官ノ倉山にはちょうど1時間で到着した。石尊山の露石の急坂を駆け登り、また一気に安戸集落へと下っていった。

(2002年10月記)