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観音山(かんのんやま) | 698.0m |
所在地 | 埼玉県小鹿野町 |
名山リスト | なし |
二万五千図 | 長又 |
登頂年月日 | 2001年1月14日 |
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観音山は上武国境の二子山から吉田川と赤平川の分水稜となって東に続く山稜上の一峰である。西の鞍部・牛首峠と東の鞍部・落葉松峠の間に鋭い岩峰となって盛り上がっている。南西面中腹には秩父札所31番の観音院が拠る。山名は、もちろん、この観音院に由来する。観音山登山は、普通、観音院への参拝と一体をなす。秩父札所34ヶ所巡りは江戸時代江戸市民の格好のレジャーとして隆盛を極めたが、現在においても、秩父札所を巡る人は多い。秩父路の素朴な観音堂をのんびりと巡る旅は現代人にも心の安らぎを与える。
34ヶ所の中で、この31番観音院がもっとも厳しい参拝となる。観音堂は観音山の中腹にある。このため、仁王門をくぐった後、岩の間を縫うようにつけられた296段もの急な石段を登らなければならない。足の弱いものにとってはまさに難行である。このため、仁王門の前には杖が用意されている。石段沿いには句碑が絶え間なく並んでいるので、鑑賞しつつゆっくり登るのに限る。たどり着いた観音堂は高さ約20メートルほどの垂直な絶壁を背にしている。岩壁からは清浄の滝が落下し、また、岩壁には平安時代に刻まれたと言われ、県内唯一の磨崖仏「鷲窟磨崖仏」(県指定文化財)が見られる。観音山へは観音堂にお参りしたのち、さらに上部の西奥の院を経て、急な登山道を登ることになる。 観音山の西の鞍部・牛首峠は細い峠道が吉田川流域の殿谷戸集落と赤平川流域の岩殿沢集落を結んでいる。この峠の姿は何とも特異である。数メートルの巨岩が見事なまでに真っ二つに割れ、その幅1.5〜2メートルほどの狭い隙間を峠道が通過している。従来、この石の割れ目は、峠の上部に位置した日尾城防衛のため人工的に加工されたものと云われていたが、最近では断層により自然にできたものといわれている。牛首峠から観音山に至る稜線上の小ピークに日尾城跡がある。痩せ尾根上の小ピークに郭が連続する連郭式城郭で、鉢形城主北条氏邦の筆頭家老・諏訪部遠江守定勝の居城であった。甲斐武田勢の侵入に備えた城であるが、おそらく、この城も1590年の鉢形城落城と運命をともにしたと思われる。現在は老松が茂り、「日尾城跡の碑」が建っている。 観音院からの直登コースとともに、牛首峠から日尾城跡を経て山頂に至るルートにもしっかりしたハイキングコースが開かれている。峠の岩の割れ目を梯子で登り、稜線沿いに緩やかに登ると日尾城跡である。さらに稜線を辿る。要所要所には倉尾中学生徒会の道標がある。鎖場を過ぎ、ベンチのある小峰を過ぎると、左より日尾集落からの登山道が合流する。この先、稜線は鋭い絶壁となって山頂に突き上げているため、ルートは山腹を右から巻きに掛かる。すぐに観音院からの登山道と合流し、山頂に向かっての急登となる。丸太で階段整備はされているが、ジグザグを切ったなかなかの急登である。15分もがんばれば、稜線に登り着く。北側に視界が開け、眼下に満々と水をたたえた合角ダムが見える。吉田川を堰き止め、合角集落を水没させて、平成11年に完成した多目的ダムである。ほんのわずか左に登れば山頂である。雑木林に囲まれた小さな頂で南に展望が開けている。 山頂から東の鞍部・落葉松峠に向かってもハイキングコースが開かれている。いったん下って登り返したのち、峠に向かって緩やかに下っていく。この道は実にすばらしい。雑木林の中の道で、左手には御荷鉾山を中心とした西上州の山々、右側には武甲山を中心とした奥武蔵の山々が山群となって広がっている。ただし、峠からの交通が不便なため、この道を辿る人は少ない。下り着いた落葉松峠は、牛首峠とは対照的に穏やかな鞍部で、細い舗装道路が乗越している。赤平川流域の飯田集落と吉田川流域の合角集落を結んでいた峠道である。ただし、合角ダム建設に伴い、いまでは立派な車道がトンネルでこの峠の下を貫いている。峠からさらに稜線沿いに進めば千鹿谷鉱泉方面へと抜けられる。
(2002年10月記) |