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雁坂嶺(かりさかれい) 2289.2m

 
所在地 埼玉県大滝村  山梨県三富村    
名山リスト 関東百山 山梨百名山 甲州百山
二万五千図 雁坂峠
登頂年月日 1964年10月5日     

 
 大ナゲシより望む雁坂嶺
 赤岩岳より望む雁坂嶺
 雁坂嶺(左)と破不山(右) 
両神山ミヨシ岩より

 
 雁坂嶺は奥秩父主稜線中心部に聳える一峰であり、山頂を奥秩父縦走路が通っている。然るべき山ではあるのだが、その東の鞍部がかの有名な雁坂峠である。このため、その山名からもわかるとおり、主役の座は完全に峠に奪われ、脇役の地位に甘んじざるを得ない立場にある。さらに云うなら、この雁坂嶺を目指して登ってくる登山者はいない。峠の両側から登ってくるものも、縦走路を辿ってくるものも、目指すはみな雁坂峠である。雁坂嶺は縦走者にとっては完全に通過ピークの一つに過ぎない。針ノ木峠に対して針ノ木岳が、三伏峠に対して塩見岳が、あくまで主役であるのと反対である。この点で雁坂嶺は少々かわいそうである。

 奥秩父主稜線を越え、甲斐の国と武蔵の国を結ぶ雁坂峠は古代よりの交通の要衝であった。日本武尊が越えたとの伝説も残り、日本最古の峠道の一つといわれている。また、針ノ木峠(北アルプス・2541m)、 三伏峠(南アルプス・2580m)とともに日本三大峠のひとつに数えられている。ただし、この選定はスケールの大きさを基準としたもので、その重要度においては雁坂峠が抜きんでている。他の二つの峠はそば道が越えていたに過ぎないが、この雁坂峠はなにしろ秩父往還という主要街道が越えていたのである。その標高2082メートル、主要街道が越えた2千メートルの峠は他に例を見ない。
 
 この雁坂峠道、すなわち秩父往還は大正9年に県道9号甲府秩父線(起点:甲府市錦町,終点埼玉縣秩父郡秩父町)の指定を受け、さらに昭和28年に起点山梨県甲府市,終点埼玉県熊谷市の二級国道140号となった。しかし、両側の車道とも雁坂峠手前でストップし、長らく車の通れない国道として有名であった。平成10年4月、悲願とされた雁坂トンネルが開通した。延長6625m,総事業費625億円.関越,恵那山,新神戸トンネルに次いで日本では第四番目の延長を誇り,一般国道の中では最長の距離を有する。この開通によって、埼玉県と山梨県は初めて直接車で行き来できるようになった。

 古代には峠のことを坂と呼んだ。従って雁坂峠の元の形は単に「雁坂」である。御坂峠、本坂峠、日本坂峠、志賀坂峠、篭坂峠 等同じである。碓氷峠も日本書紀では碓日坂と記されている。雁坂の語源として「雁が越えるから」という説が語られているが、「雁」という漢字に引きずられた俗説である。カリとは「上る」という意味である。すなわち「雁坂」とは「登り坂」という至ってシンプルな名前なのである。奥武蔵の刈場坂峠のカリも同じと思われる。

 私が雁坂嶺の頂を踏んだのは、実に今から40年も前の昭和39年秋10月であった。奥秩父主稜線完全縦走を目指し、三峰神社を出発してから4日目の早朝であった。雁坂小屋から一気に大弛小屋を目指す若者4人は、峠で写真一枚撮っただけで、雁坂嶺への急斜面に元気いっぱいに挑んでいった。アルバムには富士山をバックにした峠の写真がセピア色となって残っている。ただし、雁坂嶺の記憶は全くない。写真もない。単なる通過ピークとして休むこともなく通過していったのだろう。ただ、峠からの急登が苦しかったことだけが微かに記憶の底に残っている。

(2002年10月記)