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笠山(かさやま) 837m

 
所在地 埼玉県小川町
名山リスト 関東百名山 関東百山 日本の山1000
二万五千図 安戸
登頂年月日 1980.12.14  1987.1.18  1987.4.29  2002.1.4

 
鴻巣市より
大日山より
桧平付近より

 
 笠山は比企の名峰として名高い。その笠に似た美しい姿は、特徴のない山並みの続く奥武蔵の山々の中でひときわ目を引きつける。しかも、この山は武蔵野からよく見える。連なる奥武蔵山群の右端に山並みから切り離されたようにその端正な姿をそそり立たせている。
 
 笠山あるいは笠ヶ岳と言う名の山は多い。「日本山名総覧」によると笠山だけで全国に13座あるという。しかし、我が故郷の笠山はなんとも個性的な別名を持っている。乳首山である。笠山をよく眺めるとその山頂部がポコッと膨れている。その様は三角形の山容と相まって、まさに乙女の張りのある乳房である。子供たちは幼い頃この山を「おっぱい山」と呼んでいた。「武蔵通誌・山岳篇」にも次のような記載されている。
 
  「比企郡大河村の西にあり西は秩父郡槻川北は同郡大河原村に跨がる高さ
       一千四百尺山巓樹木繁茂し之を遠望するに蓑笠に似たり故に笠山と称す
   又乳首山と云亦形似を以て名く」

 笠山はまた信仰の山でもある。その美しい姿は当然神の宿る山として尊ばれた。山頂に笠山神社(笠山権現)が鎮座している。籠堂を兼ねると思われる割合に大きな社であり、往時の盛んなる信仰が忍ばれる。新武蔵風土記稿にも次のように記載されている。
  「笠山権現社 笠山の頂上にあり、棟札に羽黒山権現と記せり、小祠東向、
   神体白弊、村の鎮主にして、例祭九月十八日、禰宜惣兵衛持除地一段五畝
   あり」。
 
 しかし、笠山の神に対する信仰も近年は衰えたと見え、社殿正面から東急斜面を下る表参道の石段は崩れるに任され、怖くてとても登れなくなっている。また、社殿も落書き等により荒廃の匂いがする。
 
 遠目にはほとんどわからないが、笠山山頂は軽い双耳峰となっている。837メートルの最高地点は東峰にあるが、笠山神社の社殿の建つ山頂は樹林の中で展望はない。西峰山頂は雑木林に囲まれた小平地となっていて、北から西にかけて大展望が得られる。特に、上越国境から日光連山に続く山並みの眺望はすばらしい。不思議なことに、この西峰に837メートルの山頂標示が建っている。ただし、間違いである旨の落書きがなされているが。登山道はこの西峰に登り上げているため、わざわざ東峰まで行く登山者は少ない。

 笠山はハイカーに人気のある山である。多くは七重峠を挟んで向き合う南隣の堂平山とセットで登られる。健脚者はさらに大霧山まで縦走する。笠山、堂平山、大霧山の三山は比企三山と総称されている。笠山北面の緩斜地に萩平集落が広がっている。いかにも奥武蔵らしい素朴な山村で、現在ではブドウの栽培が盛んである。笠山へのメイン登山道はこの萩平集落から通じている。よく整備された雑木林の中の気持ちのよい登山道である。ただし、最後の「乳首」の登りはやはり急登である。最近、七重峠まで車で登り、笠山と堂平山を往復するという手軽な登山をするものが増えたとの話を聞く。残念である。
 
 私は笠山に四度登った。最初に登ったのは1980年12月、当時わずか4歳の次女を連れてであった。栗山集落から笠山神社への表参道を登ったが、最後の崩れた石段の急登は相当危険な状態であった。堂平山を往復した後、七重峠から七重集落に下ったが、姫竹のトンネルの続くこの峠道の素晴らしさは今でも記憶に残る。二度目は1987年1月、当時6歳の長男を連れて雪道を長駆、笠山から大霧山まで縦走した。七重峠に林道が開削されているのを見て、なんとも悲しい気持ちとなった。その年の4月、外秩父7峰縦走ハイキング大会に参加した。15キロ地点のこの山頂に小川駅からわずか3時間で到達し、休む間もなく七重峠に一気に下っていった。

 今年(2002年)の1月、15年ぶりにこの比企の名峰に一人登った。西峰山頂からの展望は遠く上越国境、日光連山まで見通せ、なんとも素晴らしかった。しかし、新たな林道が萩平集落から七重峠まで開通しており、途中何度もこの林道を横切らざるを得なかった。そして、七重峠から七重集落に下ったのだが、峠では重機が新たな林道開削を始めており、また、あの素晴らしかった峠道は痕跡すら見つけることができなかった。15年という月日が、私の心の中の素晴らしい思い出をすっかり変えてしまったことに、戸惑いと悲しみ感じる山旅であった。

 天気さえ良ければ、毎朝の通勤途中この比企の名峰を眺めている。もうこれ以上傷つけられないことを祈りつつ。 
(2002年1月記)