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熊倉山(くまくらやま) 1426.5m

 
所在地 埼玉県大滝村 荒川村
名山リスト 本の山1000
二万五千図 三峰
登頂年月日 1979年7月15日 1988年5月5日  2002年5月19日

 
強石集落より
矢岳より
 

 
 熊倉山は長沢背稜上の酉谷山から北に派生した支稜上の一峰である。根張の確りした実に堂々とした山である。交通の便も比較的よく、秩父鉄道の武州日野駅、白久駅及び三峰口駅(バリエィションコース)から登山道が開かれていて、首都圏からも日帰りが可能である。しかし、この山の性格はいたって地味である。取り立てて記載すべき歴史的事象も、また奇岩重々たる絶佳もない。ほぼ全山鬱蒼とした樹林に厚く覆われ、山頂からもまた中腹からも展望はほとんど得られない。そのためか、ハイカーに人気のある山とは言えず、山はいつも静かである。関東百名山にも関東百山にも選ばれておらず、「日本の山1000」にようやく載っている。私には、このような世間の評価はこの山のよそが充分わかっていないためとしか思えない。

 この山の素晴らしさは、自己主張をしない奥ゆかしさの中にも、キラリと光る風景を持ちあわせていることである。寺沢の清流のすばらしさもまたその一つである。秩父鉄道日野駅から始まる寺沢コースを登ってみよう。寺沢集落を抜け、今にも崩れ落ちそうな一の橋を渡ったところから寺沢沿いの道となる。光り輝く清流が、苔むした岩の間を小さな滝を連続して掛けながらほとばしり下る。思わずうっとり眺める風景である。今度は、5月の晴れた日に、三峰口コースを下ってみよう。1307メートル峰を過ぎ、ロープを頼りに悪い岩場の急坂を下り切ると、痩せたナイフリッジ状の岩尾根となる。周りはむせかえるようなピンク色のヤシオツツジにうめられている。振り返れば、山腹をツツジのピンク色に染めた熊倉山がそそり立っている。絵のような光景である。これ程ヤシオツツジの奇麗な場所を私は知らない。また山麓には素朴な谷津川鉱泉や、未だにランプの宿として名高い鹿の湯もある。私はこんな熊倉山が好きである。
 
 「熊倉山 村の東南にあり、登り一里餘、領主の林山なり」新篇武蔵風土記稿秩父郡白久村の項の記載である。また、武蔵通志(山岳篇)には「熊倉山一に城山と云高二千八百尺白久の南にあり東は中川村日野に至る」と記載されている。いずれもいたって簡単な記載である。この僅かな記載の中に、いかにも熊倉山の性格が凝縮されているように感じられる。別名「城山」とあるのは北に張り出した尾根の末端近くに中世の山城の跡があるためである。 
 
 熊倉山の名前の由来は、おそらく隈座、または隈嵒であろう。山頂部の南隅には顕著な岩座があるし、また深い森林の中に所々顕著な岩場が隠されている。地図を眺めれば、意外に岩記号の多いことに気付くであろう。三峰口コースでは、途中、岩場が連続する。また、登山道は一応整備されているが、道標などは完全とは言えず、奥武蔵のハイキングコースのつもりで安易に取り付くと手痛いしっぺ返しを受ける。山が意外に深いのである。やはり、地図とコンパスの必要な山である。時々遭難騒ぎも起きている。私は二度この山に登ったが、二度とも途中で地図とコンパスをにらみながら、ルートを考える場面を経験している。
 
 初めて登ったのは昭和54年7月。当時6歳の長女を連れて、最もポピュラーな七ッ滝コースを登り、谷津川林道コースを下った。当時の山日記の一節を抜粋してみると
  「帰りは谷津川林道を下ることとする。あまり歩かれていない様子で、橋はすべて
   朽ち落ち廃道に近い。特に、今日は誰も通っていないと見えて、蜘蛛の巣がひど
   い。途中で余程引き返そうかと思ったが、道型は確りしているのでそのまま進む。
   途中、小二の女の子を連れた中年の男性に抜かれる。荒れ果てた小屋を過ぎ、尾
   根状となつたコースを下ると、不明確な踏み跡が尾根を乗越す。道標があるが朽
   ち果ててどちらを指しているのかわからない。確りした尾根上の踏み跡をそのま
   まを直進する。しかし、50メートル程進んでなんとなく異状を感じる。どうもお
   かしい。懸命に地図を読むと、先の踏み跡を左の沢に下るのが正しそうである。
   戻って怪しげな踏み跡を下るが、先行した親子づれが歩いた気配がない。しかし、
   地図を何度読んでも正しそうである。そのまま下っていくと、上のほうから先の
   親子連れが大声で呼び掛けてきた。聞けば、やはり尾根道を直進し、岩場で行き
   詰まってしまった。戻る途中に我々を見つけ助かったとのことであった」
このとき雨も降りだしており、一歩間違えば遭難であった。

 二度目に登ったのは昭和63年5月。当時7歳の長男を連れて、寺沢コースを登り、三峰口コースを下った。このときも、間違ったと思われる赤テープに引きづられてコースを外れ、地図を懸命に読んで、どうにか無事下り降りた。

 熊倉山は、残念ながら、武蔵野からは見えない。すぐ隣の矢岳からも見えるが、樹木が邪魔してすっきりとはしない。この山を眺めるのに一番よいのは秩父御岳山であろう。杉の峠から眺める熊倉山は、山頂部に幾つかのこぶを並べて実に雄大である。

 熊倉山を眺めて安心することは、その山腹には一切林道による傷跡がなく、全身一面の黒木に覆われていることである。何時までもこの美しい姿を保っていてほしいと願うばかりである。
(2002年2月記)

(2002年11月追記)
 今年(2002年)の5月、念願の酉谷山から熊倉山までの縦走を果たした。大日向分岐から酉谷山を往復したのち、熊倉山に向かった。広々とした尾根は背を没するスズタケの密叢で、その中に一筋の切り開きが続いていた。あいにくガスの渦巻く悪天で、熊公と鉢合わせする恐怖を抱きながらひたすら笹を漕いだ。中間の1451メートル峰から稜線の様相は一変し、ガリガリの岩稜となった。危険を感じるほどの悪相ではないが、奥武蔵の山々でこれほどの岩稜は初めての経験である。あいにく激しく雨が降り出し、濃いがスト相まってルートの確保にひどく難渋した。小岩峰に立つたびに、下るルートが不明となる。熊倉山は深い樹林の地味な山とのイメージが強いが、改めて「クマクラヤマ」の山名の由来を認識した。見覚えのある熊倉山山頂に達したときには心の底からほっとした。相変わらず叩きつけるような雨が降り続き、山頂は無人であった。