4
雲取山(くもとりやま) 2017.7m

 
所在地 埼玉県大滝村 東京都奥多摩町 山梨県丹波山村
名山リスト 日本百名山 関東百名山 関東百山 日本の山1000 山梨百名山 東京都の山50座
二万五千図 雲取山
登頂年月日 1964.10.3  1979.11.4  1993.5.4  2005.8.20

 
日向沢ノ峰より(80.2)
三頭山より(81.3)
両神山より(99.4)

 
 深沢久弥は名山の基準として、次の三つの条件を挙げた。すなわち「山の品格」「山の歴史」そして「個性」である。しかし、幾多の名山を脳裏に浮かべてみると、さらに二つの条件を加えてもよさそうである。すなわち、「人々にこよなく愛されていること」と「自然がいっぱい残っていること」である。この五つの条件を満たす山は日本百名山と言えども多くはない。糞尿汚染の激しい富士山とて果たして「自然がいっぱい」と言えるかどうか。まして、ホテルのような山小屋の建つ北アルプスの山々は失格である。雲取山はこの五つの条件を確実に満たしている。まさにこの山は名山中の名山なのである。ただし、この山を脳裏に思い浮かべたとき、名山という言葉よりも「素晴らしい山」との表現の方が何んとなくぴったりと来る。
 
 雲取山を目指す多くの登山者を見る度に、私は一種の感動を覚える。登山者は幼稚園児から老人まで、皆、雲取山に登るんだとの情熱と覚悟を持って登ってくる。ピクニック気分の浮ついた気持ちなど見えない。この山は、エリート達の山ではない。そうかと云って、日帰りで軽く楽しく登れる山でもない。雲取山に登るとなれば二日は必要である。それなりの計画と装備はいる。しかし、登るのだと云う情熱と覚悟さえあれば、誰でも登れる。そして又、たどり着いた山小屋は、北アルプスの山小屋のように、個室や風呂があり、コンサートまで開き、料金ばかり高くなった山小屋とは雲泥の差である。山小屋は昔ながらの粗末な小屋であり時代に迎合する商業主義の姿は微塵もない。あるのは、昔ながらの暖かい心だけである。
 
 さらに、雲取山には苦労してやってきた登山者達を充分に満足させる自然が残っている。埼玉県側の、これぞ奥秩父と思える欝蒼とした原生林、東京都側の明るい草原の尾根。山頂からの展望は、恐らく奥秩父の山々随一であろう。よくぞ、これだけすばらしい山が大都会東京の近くに残ったものである。

 雲取山は、昔は妙法ヶ岳、白岩山と併せ三峰山と総称され、三峰権現社(現在の三峰神社)の奥の院がその山頂にあったと云われる。そもそも、雲取山の山名は熊野の大雲取山から採られたものであり、熊野の修験者達によって開かれた山である。新編武蔵風土記項には次のように記載されている。
  「雲採山 三峯山の奥の院と稱して御林山の頂に聳てる山なり、
   字鮫ヶ谷より巽にあたり、六里許にあり」

しかし、雲取山には、現在そのような宗教的雰囲気は一切ない。もしも、この山が今なお宗教的な山であったら、これ程までに人々に愛される山とはならなかったであろう。雲取山にとっては幸いであった。
 
 雲取山は奥秩父と奥武蔵のジャンクションピークであり、埼玉、東京、山梨の三都県境に位置する。歴史的に見れば埼玉県との縁が最も深いと思われるが、東京都唯一の二千メートル峰であこともあり、今や人々の意識としては東京都の山である。数年前に雑誌・山と渓谷が実施した「各都道府県民が愛する地元の山」アンケート調査において、東京都民は圧倒的多数をもって雲取山を一位とした。ちなみに、埼玉県民は両神山に続いて二位に挙げた。雲取山は、武蔵野からもよく見える山である。奥武蔵の山々の背後に、鈍角的な雄大な三角形の山容を見せている。このことも、この山が人々に愛され続けている一因であろう。
 
 私はこの山に4度登った。最初の登山は、一切の記録も写真もない。あるのは断片的な記憶だけである。昭和20年代後半、私の小学校時代と思う。父に連れられこの山に登った。三峰神社から歩き、雲取小屋に泊まった。父が飯ごうで飯を炊いてくれた。消灯後話をしていた人が小屋番に怒鳴られた。この小屋番はおそらく、かの有名な鎌仙人こと富田治三郎氏だったのだろう。山頂の記憶はない。
 
 二度目に登ったのは昭和39年10月であった。仲間四人と金峰山までの奥秩父大縦走の途中、最初のピークとしてこの頂を踏んだ。晴天の下での山頂からの大展望は今でもはっきり記憶に残っている。三度目は昭和54年11月、当時6歳の長女をともなってであった。我が子と故郷の名山に登る喜びを噛みしめて登山であった。このときも雲取小屋に泊まったが、消灯後も話をしている人を皆か怒鳴り付けた。雲取小屋はルール違反者には恐い小屋なのである。山頂は生憎の雨で、ガスが渦巻き一切の展望は得られなかった。石尾根を長駆縦走し、夕闇迫る奥多摩の駅に下った。そして四度目は平成5年5月であった。中学一年の長男とパーティを組み、雁峠まで縦走した。折からの連休、三峰山稜は雲取山を目指す登山者の列が続いた。家族連れも、恋人どおしも、年配の人達も、そして山岳会の若者達も、譲り合い、励まし合ってひたすら雲取小屋を目指していた。縦走路は、尾瀬のように大騒ぎはしなくても、ごみ一つ落ちてはいなった。数百人の登山者でごった返した小屋周辺も、7時半にもなるとテント場からも小屋の中からも物音一つ、話し声一つしなくなった。私は何か奇跡が起こったような感動を覚えた。これが雲取山なのである。翌日はすばらしい天気で、山頂からは白く輝く南アルプスの三千メートル峰がすべてみえた。
 
 名山とは、その山容や歴史が造り出すのではない。訪れる一人一人が造り出すのである。逆に云えば、人をしてそのようにさせる何かが宿っている山こそ名山なのである。そして、雲取山こそ名山中の名山なのである。
(2002年1月記)