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黒 山(くろやま) 842.3m

 
所在地 埼玉県名栗村  東京都青梅市 奥多摩町      
名山リスト なし
二万五千図 原市場
登頂年月日 1985年2月17日  2000年1月2日     

 
 馬乗り馬場より黒山を望む
   

 
 黒山は都県境尾根上の棒ノ嶺の東に聳える小峰である。西の鞍部は権次入峠、東の鞍部は小沢峠である。西から続いてきた都県境尾根は、この黒山において二分する。一脈はそのまま都県境尾根として東へ伸び、小沢峠へと下っていく。もう一脈は南東に分かれ、奥多摩の高水三山へと続いている。

 黒山という名称はずいぶん即物的な名前である。「日本山名総覧」を調べると同名の山は全国に10座もある。その他黒岳が13座ある。この数は二万五千図に山名記載されている山だけであるので、まだまだ多くの黒山があるであろう。

 この埼玉県の黒山は二万五千図には黒山と記されているが、この山名は成木地方の呼称で、大丹波地方ではコカハズル山と呼ばれていた。黒山の名前は、おそらく、この山が鬱蒼とした黒木に覆われていたことによるのだろうが、むしろ隣りの棒ノ嶺との対比において考えたほうが理解しやすい。棒ノ嶺は、古来、茅との茂る禿山であったと考えられる。このため坊主の峰、坊の峰などと呼ばれていた。その一方、その隣のこの山は黒木に覆われていたため、黒山と呼ばれたのであろう。

 黒山は、残念ながら、ハイカーのターゲットとなる山ではなく、単なる通過ピークである。ただし、シャンクションピークであるため、この頂を踏むハイカーは少なくない。いずれも棒ノ嶺から縦走してくるハイカーである。多くは小沢峠に下るが、時たま足自慢のハイカーが長駆、高水三山へと向かっていく。山頂は南面が大きく開け実に展望がよい。川苔山から高水三山まで奥多摩の山々が一望できる。

 黒山から小沢峠に続く山稜上に馬乗り馬場(マノリバンバ)と呼ばれる平坦地がある。昔、畠山重忠がここで馬術の稽古をしたとの伝説が残る。おそらく昔はこの辺りも禿山であったのだろう。現在は鬱蒼とした植林の中である。またこの平には黄金が埋められているとの伝説もある。

 私はこの黒山の頂を二度踏んだ。最初に踏んだのは1985年の2月、当時4歳の長男を連れて棒ノ嶺から縦走してきてこの頂に達した。山頂南面に座り込むと、冬の日差しがぽかぽかと暖かかった。このときはそのまま小沢峠に下った。二度目の頂はそれから15年後の2000年正月であった。一人で大仁田山から都県境尾根を西に縦走し、小沢峠を越えてこの頂に達した。ただただ展望の利かない植林の尾根道を辿ってきて、この山頂で初めて展望を得た。視界の先には、あいにくのにごった空気の中に、これから向かう高水三山が霞んでいた。

 (2004年2月記)