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丸山(まるやま) | 960.3m |
所在地 | 埼玉県横瀬町 |
名山リスト | なし |
二万五千図 | 正丸峠 |
登頂年月日 | 1981年8月9日 |
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丸山という名前は全国で二番目に多い山名である。日本山名総覧によると、全国でなんと158座もある。その他に同音同義である円山が18座ある。ちなみに、全国で一番多い山名は城山の276座である。コンサイズ日本山名辞典には、このマルヤマという山名について次のような解説がなされている。
「まるやま 丸山 円山 北海道などの平野部にある、こんも りと盛り上がった山容の山に多い名。高山は少ない」 この奥武蔵の丸山もまさに名前の通り丸い山容の低山である。 丸山は奥武蔵の西北部に位置し、ちょうど横瀬川を挟んで二子山と対峙している。丸山から大野峠、刈場坂峠、ぶな峠、飯盛峠と続く稜線は、奥武蔵の代表的な稜線の一つであり、昔は気持ちよいハイキングコースを多数提供してくれていた。ところが、奥武蔵グリーンラインという悪名高い稜線自動車道が作られてしまい、かつてのハイキングコースは至るところで寸断されてしまった。この自動車道路は、武甲山の石灰岩採掘とともに、奥武蔵における最も激しい自然破壊である。その馬鹿さ加減に、後世の人々は呆れるであろう。丸山のすぐ南東に位置する大野峠は、かつて都幾川流域の村々と秩父地方を結んだ重要な峠道であった。ところが、今ではこの奥武蔵グリーンラインとその支線の丸山林道の分岐点となってしまい、排気ガスが渦巻いている。丸山は山頂こそ自動車道路に明け渡すことは免れたが、山頂直下には丸山林道が走り、いちじはハイキングコースとしてはいささか気の進まない山となってしまった。 しかしながら、その後、丸山は大いなる幸運の下に蘇った。現在の丸山は、四季を通じ休日ともなれば家族ずれで賑わい、夏には早朝より多くの子供たちの元気のよい声が山いっぱいに響き渡る。丸山は奥武蔵でも、最も人影の濃い山となったのである。この奇跡はなぜ起こったのだろう。 昭和56年3月、丸山のなだらかな北面を利用して、オープンした森林リクエーション施設県民の森が丸山を蘇らせた。面積68万平米におよぶ広大な敷地にメインとなる中央広場、アスレチックの楽しめる子供の広場、水遊びが楽しめる水辺の広場など多くのリクエーション施設を配し、ちびっこ達には大人気である。デイキャンプ場や展示林もあり、学校の野外学習にも利用されている。休憩所や芝生の広場もあり、家族ずれで一日を自然の中で思う存分過ごせるようになっている。また近くには、埼玉県青少年野外活動センターがあり、林間学校などの野外学習として多くの青少年に利用されている。 さらに丸山を賑やかにしているもう一つは、丸山の西斜面に出現したあしがくぼ果樹園公園村である。丸山のなだらかな斜面を利用して、昭和45年、西武鉄道と地元農家がタイアップしてオープンした面積約40万平米もある観光果樹園施設で、葡萄・プラム・苺・リンゴなど四季を通じ種々な果物狩りが楽しめる。あずまや、コーラス広場、遊歩道、お花畑、野外ステージ等も整備されていて、ここだけでも楽しい一日を過ごせるようになっている。 丸山の山頂にはコンクリート製の大きな展望台が建てられている。この展望台は剥き出しのコンクリートとといい、不恰好な形といい、どうも周りの雰囲気にマッチしない。しかし、この展望台のおかげで山頂からの展望はすばらしい。奥武蔵の山々は一望であるし、遠く上州の山々も望まれる。 私がこの丸山に登ったのは、昭和56年8月であった。当時5歳の次女を連れて、旧正丸峠ー刈場坂峠ー大野峠と縦走して、丸山山頂に達した。真夏の暑い一日で、このコースをハイキングするにはいささかオフシーズンであり、一日中誰にもあわなかった。旧正丸峠から刈場坂峠までは、灌木の中の藪尾根で、蜘蛛の巣を棒で払いながらの進行となった。刈場坂峠から大野峠までは悪名高い稜線自動車道の行進、アスファルトの照り返しが厳しかった。大野峠で、車道と分かれると、防火線を兼ねた大きな切り開きの気持ちのよい山道となった。丸山山頂は、樹林の中の平凡な山頂であり、コンクリートの大きな展望台だけが異様に立たずんでいた。展望台には上ってみたが、夏霞の中に周囲の山々はかすみ、すばらしいと聞く展望には恵まれなかった。山頂の東側では、自然休暇村の工事が急ピッチで進んでいるようであった。 山頂から、西武秩父線芦ヶ久保駅までの道がこの日のハイライトとなった。林の中の道には至るところに山百合が咲き乱れ、すばらしい雰囲気であった。疲れて元気を失っていた娘も、目を輝かせて、「ここにもある、あそこにもある」とはしゃぎまわった。この時の印象は幼いながらも強烈であったと見えて、後々まで「丸山ならもう一度行ってもいい」と云っていた。さらに下ると、果樹園村の中の下りとなった。果物はシーズンオフであったが、秋ともなれば、見渡す限り、たわわな果樹つであふれるであろう雰囲気はあった。 果樹園も、自然休暇村の施設も、自然のままという考えからは自然改造であろうが、このような改造ならば、奥武蔵の山にとって好ましいことである。丸山は幸せであった。 (2002年10月記) |