43
観音山(かんのんやま) 81.6m

 
所在地 埼玉県熊谷市  
名山リスト なし
二万五千図 三ヶ尻
登頂年月日 2002年9月23日  

 
 南方より望む
 竜泉寺仁王門
 竜泉寺の観音堂

 
 上越新幹線の下り列車が熊谷駅を通過するとすぐに、左手車窓に山頂に鉄塔の立つ小山が見える。「関東平野のど真ん中に何で山があるんだ」と一瞬いぶかるが、この山は残丘である。残丘とは河川が削り残したため生じた丘である。深谷市の仙元山、岡部町の山崎山なども同種である。埼玉県北部のこの辺りは、大昔から利根川、荒川が入り乱れて流れていた。観音山は他の多くの観音山と区別するために一般的にはその所在地の名を冠して三ヶ尻観音山と呼ばれている。標高わずか81.6メートルの低山だが、何しろ田圃のど真ん中に盛り上がっているため、周囲からはよく目立つ。山頂には北隣にある太平洋セメント熊谷工場の無線通信用鉄塔が立っている。

 観音山山頂の二つの三角点

 観音山はとるに足らない低山だが、日本中で他に例を見ない極めて希有な特徴を持っている。二万五千図を眺めると、小さな山頂に三角点が二つ肩を接して並んでいる。しかも二つとも一等三角点である。一つは77.4メートル(点名 三ヶ尻)、もう一つは97.5メートル(点名 三ヶ尻屋上)である。埼玉県には一等三角点の山は5座しかない。城峯山、雲取山、三宝山、堂平山、物見山、そしてこの観音山である。一等三角点の山であるだけでも至って名誉なことなのだが、観音山はその一等三角点が二つもある。どういうことかというと、一つは山頂部の一角にある77.4メートル三角点である。そしてもう一つの97.5メートル三角点は山頂に立つ鉄塔の上にが設置されているのである。三角点は必ずしも大地の上に設置されるとは限らない。静岡市役所本館の塔上にも48.0メートル三角点が設置されている。

 観音山のもう一つの自慢はその中腹に伽藍を並べる少間山竜泉寺である。関東88ヶ所霊場83番の真言宗の寺である。天保二年(1831)建立の立派な仁王門をくぐり、急な石段を登り詰めると天正十八年(1590)の建立で延享四年(1747)再建の芽葺の重厚な観音堂がある。聖武天皇のころ(724〜48)の開創と伝えられ、一般に三ヶ尻の観音さまと親しまれている。一見の価値のある立派な寺である。

 この竜泉寺はまた、江戸時代末期の学者にして有名な画家でもある渡辺華山(1793〜1841)ゆかりの寺である。華山が仕えた田原藩(現 愛知県田原町)の藩主三宅家の発祥の地はこの三ヶ尻と云われる。第17代藩主康直は華山に命じ祖先の地・三ヶ尻を調べさせた。華山は約20日間竜泉寺に泊り三ケ尻の名の起り、地勢、・産物・祖税・人情・風俗・旧跡旧家等を調べ、これを訪へい録三巻にまとめ康直に提出した。この折に描いた書や双雁図・格天井松図等の絵が現在も竜泉寺に残されている。いずれも埼玉県の指定文化財である。
 
 観音山はその昔は「狭山」と呼ばれていたようである。麓の標高が約50メートルなので、実質30メートルほどの丘である。麓からわずか5分ほどで山頂に達することができる。全山、松、クヌギ、楢などで覆われていて、山頂からの展望もない。山頂には神名を刻んだ板碑がいくつも建てられ、昔は信仰の山であったことがしのばれる。しかし、現在はその大部分が金網で囲まれた電波塔に占拠されていてまったく風情がない。この山は登ることなど考えず、黄色く色づいた田圃の向こうから眺めるのが一番である。

(2002年9月記)