秩父盆地の入り口に立ち塞がるように大きく盛り上がった独立峰が蓑山である。その山容は巨大な土饅頭のようで、山と言うより丘のイメージである。それでも、標高は500メートルをはるかに越えており、決して低くはない。その緩やかな山容のため、山頂付近は県立自然公園として大規模に開発され、ツツジやアジサイなど各種花の名所となっている。特に、埼玉県百周年記念として植えられた約1万本の桜は有名で、今では「関東の吉野山」と称されるほどである。もちろん、山頂まで立派な車道が開通しており、歩かずとも、これらの花を愛でることができる。
蓑山の山名の由来については次のような伝説がある。
「昔、秩父国造知知夫彦は雨が続き、農作物が被害を受けたので
この山に登り祈晴祭を行い、農民を救ったと伝えられ、このと
き秩父国造知知夫彦が蓑をそばの松にかけたことからこの山を
蓑山と呼ぶようになった」。
一方、大霧山の項で述べたとおり、ダイダラボッチが蓑を置いたところとの伝説も残る。また、日本武尊が東征の折りこの場所で休み、蓑を置いたところとの伝説もある。おそらく、この山は雨乞いの山であったのだろう。その際、雨具である蓑を奉納したことから山名となったものと思われる。山頂直下には蓑山神社が鎮座している。
蓑山はこのように歴史と伝説を秘めた立派な名前であるにもかかわらず、近年「美の山」なる名称が氾濫している。山頂部の公園は「美の山公園」と名付けられ、山名そのものも地元自治体は「美の山」と呼称している。さすがに国土地理院の地図は「蓑山」であるが、多くの登山地図、案内書は『蓑山(美の山)』場合によっては『美の山(蓑山)』の表記に変わっている。伝統ある地名をこのような新興住宅地の地名のごとき安っぽい名前に勝手に変えてよいものだろうか。
蓑山を語るときやはり我が国最初の貨幣といわれる和同開珎について触れざるを得ない。慶雲五年(西暦708年)、武蔵国の秩父郡が和銅を献じたので、朝廷はこれを祝して年号を和同と改め、この和銅で日本最初の通貨・和同開珎が発行された。この和銅はここ蓑山で採掘されたと云われている。新編武蔵風土記稿には次の通り記載されている。
「蓑山 村の東にある山にて、皆野村まで二里許も續けり、土人
或は金山とよび、或は和銅山と云、往古 和銅をほり出せしは、
即此山の内なり、元明天皇慶雲四年武蔵國秩父郡より始て和銅
を獻り、よりて改元和銅元年としたまう、此事は國史に載する
所なり、さて其和銅を出せし地は、當村の蓑山なりとも云へど
凡千年餘の星霜を經ぬれば、其所も定に知りがたし、たゞ土人
の傳へをとれるのみ、茲に銅山の形勢を見るに、東向して巌徑
を攀ること八九町、盤回して頂に至る、巨岩往々に突兀として
峙立せり、其色頗る赤気を帯びて、銅色を含めり、往古鑿ちし
と云へる所は、盤岩の山を南北にほり盡して中斷し巨巌東西に
對峙にり、中斷せし所を今に和銅澤とよべり、西の巌上に小祠
ありて、杉松擁蔽せり、秋葉愛宕の神を祭ると云、こゝをば硫
黄山とよべり、此山の東南にある數處の岩穴は、土人の傳へに、
和銅をほり出せし遥の後年に、好事のものありて人をして砂銅
をほらせ、これを俵にし典物などゝし出せしが、事の就らざる
を知り、遂に逃去りぬと云、此時や近里遠郷より箪食壺漿して、
觀る者蟻附し、往々に休所茶店など設て、殊に賑ひしと云、」
(黒谷村の項)
最近、7世紀末に作られたと思われる富本銭の大量出土により、和同開珎の「日本最初の貨幣」との地位は揺らぎだしているが、実際に流通したとの意味で「日本最初の通貨」の地位は安泰のようである。
蓑山は山頂まで立派な車道が通じているが、秩父鉄道の親鼻、皆野、黒谷の各駅から山頂に至るよく整備されたハイキングコースが開かれており、家族連れのハイキングの好適地でもある。公園整備された山頂には、トイレ、売店、展望台の設備もあり、花園の間に広がる芝生の広場はお弁当を広げる絶好の場所である。また、展望台からの眺望は絶景であり、奥武蔵の山々を一望することができる。
私は1993年3月、当時小学校6年の長男と登った。当時の山日記を紐解いてみると
「黒谷駅から里道を15分ほど辿ると和銅遺跡に着いた。
真新しい大きな和同開珎の碑が建てられ、中腹の遺跡
までの遊歩道の整備工事が行なわれていた。さらに山
腹の下山集落の中を登る。典型的な秩父の山村である。
集落の小学生が「お早ようございます」と元気に挨拶
する。見知らぬ人でも挨拶するという都会人の忘れて
しまった古来の美風。今日一日気持ちよく過ごせそう
である。
集落を過ぎると山路に入った。空は晴れ渡り、ぽかぽ
かと暖かい。道端にはたんぽぽとすみれが咲き乱れ、
春満開である。雑木林の中の道をのんびりと登ってい
く。駅を出てから他のハイカーには会わない。伐採地
を過ぎると頂上直下の自動車道路に出た。この日は自
動車も少ないので、車道歩きもまだ我慢ができる。ヘ
アピンカーブを二つほど曲がると頂上の一角に達した。
頂上部は広く、展望台とトイレ、そして、「関東ふれ
あいの道」の紹介センターまである。一面に桜の木が植
えられており、後2〜3週間したらさぞかし奇麗であろ
うと想像された。この日は春霞が濃く、周囲の山々は白
く濁ってみえない。冬ならばすばらしい展望が得られる
だろう。一番高いところは、各テレビ局の電波中継所と
なっており、三角点を探してみたが見付からなかった。
帰路は皆野駅を目指した。十分も下ると、蓑山神社が山
腹に鎮座している。欝蒼とした杉と檜の混生林をどんど
ん下る。時々とかげが現われて春であることを知らせる。
更に下ると、皆野の町並に達した。下り一時間半である」。
(2002年3月記) |