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三ッドッケ(みつどっけ) 1576.0m

 
所在地 埼玉県秩父市 東京都奥多摩町  
名山リスト 東京都の山50座
二万五千図 武蔵日原
登頂年月日 1980.4.20 1981.5.10

 
大持山より
仙元峠より
大平山より

 
  三ッドッケは長沢背稜上の雄峰である。名前の通り山頂部に三つのピークが並んだ独特の山容は周囲の山からながめるとよく目立つ。長沢背稜は埼玉県側からも東京都側からも登山ルートは少なく、また至って地味な山域のため人影が薄い。三ッドッケも奥多摩や奥武蔵の山々のにぎわいをよそに、いつも静かである。長沢背稜の縦走路も山頂の南面を巻いてしまっており、うっかりすると通り過ぎてしまう。何しろ、22年前には縦走路から山頂に至るルートさえ不明であったのだから。そのためであろうか、これだけ存在感のある山であるにもかかわらず関東百名山はおろか日本の山1000にも入っていない。おかしなことである。
 
 この山に直接登るルートは奥多摩側のただ一本である。南に伸びる横スズ尾根に登山道が開かれており、このルートを往復すれば日帰りも可能である。埼玉県側から登る人は皆無に近い。考え得るルートはセンゲン尾根を仙元峠に登り、稜線を西に辿って山頂に達するルートである。ただし、センゲン尾根ルートは一般的とは言い難い。実はもう一本隠れたルートがある。川久保沢左俣から三ッドッケの東の肩に登り上げる微かな踏み跡があるのだ。1980年に縦走路と横スズ尾根との合流点に立派な無人山小屋が建てられた。この小屋で一泊すれば、酉谷山方面、あるいは川苔山や棒ノ嶺と結んでの縦走が可能となる。東の肩、縦走路に面して一杯水と呼ばれる小さな水場もある。水量は細いが貴重な水場である。

 三ッドッケとは変わった山名である。この付近にはドッケ名の山が集中している。芋ノ木ドッケ、黒ドッケ、高ドッケ等である。また山梨県のハイキングの山として有名な三ッ峠も三ッドッケから変じたと考えられている。甲駿国境に高ドッキョウと云う山があるが、この名前もドッケの訛ったものと考えられている。ドッケという言葉は朝鮮古語にそのルーツが求められる言葉といわれているが、おそらく「棘」「尖る」と語源を同じくするのだろう。この辺りは古代朝鮮系渡来人の痕跡の濃いところで、ドッケ以外にもウラとかマルといった朝鮮語系の山名が散見される。

 現在ではこの山の名称は三ッドッケで統一されつつある。この名称は埼玉県側の呼称である。しかし、二万五千図に記載されている山名は「天目山」である。ところが、同じ長沢背稜上の酉谷山も天目山と呼ばれる。天目山の名称が昔からふらふらしているのである。どうもこの辺りは山名に混乱がある。
 
 1980年2月、積雪の長沢背稜を芋ノ木ドッケから縦走してきて横スズ尾根分岐にテントを張った。当時まだ山小屋はなかった。翌日、三ツドッケに登ろうとしたが登り口がわからず、そのまま蕎麦粒山に向かってしまった。

 その年の4月、当時6歳の長女を連れて登り残した三ツドッケに向かった。細久保谷奥のシゴー平からセンゲン尾根上の大楢と呼ばれる1167メートル地点に上り上げ、仙元峠を経由して山頂に達した。帰路は一杯水から微かな踏み跡をシゴー平に下った。幼児連れにもかかわらず、バリエィションルートを自在に辿っている。当時、この辺りは自分の庭のごとくあらゆるルートを知っていた。このときの山日記には次のように記載されている。

  「小雨が降りだす中、一気に仙元峠まで登る。峠には誰もいない。
   山の神に再会を感謝する。昼食後、のんびりと一杯水に向かう。
   一杯水は豊富な水が流れていた。横スズ尾根分岐まで来てびっ
   くりする。なんと辺りの木々は伐採され小屋が出現している。
   ここから、細い踏み跡を辿って三ツドッケ山頂に向かう。一峰
   を越えた下りが岩場となっており、少々悪い。スズタケの密生
   を登ると山頂に達した。三角点以外なにもない。誰もいない。
   南側が開け、展望が非常に良い。雲取山から石尾根縦走路の
   山々、奥多摩の山々、みな一望である」
 
 二度目の頂は翌年1981年5月である。登山道のない山・大平山に苦労して登り、七跳山から三ッドッケを経由してシゴー平に下った。ガスが渦巻く悪天であったが、新緑と岩肌を染めるヤシオが美しかった。
 
 気がついてみたら、もう20年以上も三つドッケにご無沙汰している。もう一度登ってみるのも悪くない。
(2002年2月記)