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妙法ヶ岳(みょうほうがたけ) | 1330m |
所在地 | 埼玉県大滝村 |
名山リスト | 関東百名山 日本の山1000 |
二万五千図 | 雲取山 |
登頂年月日 | 1993.4.11 |
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妙法ヶ岳は三峰山の一峰であり、三峰神社の奥社の鎮座する霊峰である。現在では、三峰山という場合、三峰神社の周辺を指し、三峰神社と同意語的に使われている。しかし、古くは妙法ヶ岳、白岩山、雲取山の三山をして三峰山と称した。新編武蔵風土記稿にも次のように記載されている。
「三峰山 郡の西南よりにあり、新古両大滝村に攝まりし一巨山 なり、雲採・白石・妙法ヶ嶽三を会わせて三峰山の唱えあり」 三峰山は修験道の山である。かつては雲取山に三峰神社の奥の院があったと云わる。修験者達がこの三山を駆け巡り、修業に励んだのであろう。現在、雲取山、白岩山には、それを思わせる遺物は何もない。妙法ヶ岳のみが、当時の雰囲気を伝えている。 三峰神社は、今でも火難、盗難除けのご利益あらたかな神社としても多くの参拝者、観光客でにぎわっているが、三峰神社の歴史は日本武尊にまで遡る。三峰神社の縁起は、次のように語っている。
いずれにせよ、三峰山一帯は平安時代に熊野系の山伏達によって修験の山として開かれたようである。天文二年(1533年)には道士道満が堂宇を再建し、その後、天台宗聖護院派の寺院として観音院高雲寺と号した。この山が最も栄えたのは江戸時代である。関東一円はもとより、甲斐、信濃、東北に至るまで三峰講が組織され、多くの講中登山が行なわれた。そして明治を迎え、神仏分離令により、三峰大明神と社号を改め現在に至っている。昭和14年には麓の大輪からロープウェイが掛けられ、又昭和42年には、山頂まで三峰観光道路が開通した。かつて山伏達が駆けた、三峰神社から白岩山を越えて雲取山に至る尾根道は、現在、雲取山登山のメインコースとなり、四季を通じて登山者の姿が絶えない。 妙法ヶ岳は、この三峰神社から雲取山に続く尾根からわずかに東に張り出した岩尾根上にある。このため、雲取山に急ぐ登山者が寄り道することもほとんどない。この山に登る人は、奥社まで詣でる熱心な講中登山者と三峰山周辺を探索するハイカーに限られる。常に混雑する三峰神社の近くにありながら、割合に静かな山頂を保っている。その山容は、いかにも修験道の霊地にふさわくし、周囲を絶壁に囲まれた岩峰である。しかし、登山道は確りしており、山頂直下に鎖場などあるが、スリルの割には危険はない。山頂には奥社である立派な祠と、秩父の宮登山記念碑が建てられている。山頂からの展望は、北側が一部樹木で隠されるが、両神山や、雲取山がよく見える。 妙法ヶ岳は三峰神社から1時間ぐらいの行程である。従って、神社までロープウェイまたは車で登ってしまえば山頂には簡単に登ることができる。しかし、この山に登るには、やはり三峰神社の表参道を大輪から三峰山に登り、三峰神社にお参りした後、その奥社である山頂に達するのが順序であろう。この表参道は、ロープウェイや自動車道路が開通した現在では、登る人は少ないが、確り整備された道である。 私がこの山に初めて登ったのは、平成5年4月の初旬であった。過去に三峰神社から雲取山への尾根道は何回か通ったが、御多分に漏れず、この妙法ヶ岳はいつも素通りであった。大輪のロープウェイ駅横から参道に入ると、道の両側は樹齢数百年の欝蒼とした杉並木である。参道の到る所に講中登山の記念碑が建てられ、いかにも修験の山と云う雰囲気である。途中には三峰山の自然や歴史を説明した案内板などあり、自然歩道として整備されている。さすが何百年に渡って多くの人が歩いた道、山腹を縫うように非常に歩きやすく道が付けられているのに感心する。途中、山中の修業の地であったという清浄の滝や、女人禁制であった当時女性はここで引き返したと云う薬師堂跡などがある。山中人の気配は全くせず、三峰山の自然の美しさを充分味合わせてくれる。 さらに登ると、上方が騒がしくなり、三峰山山頂に達した。ロープウェイや車で行くと、神社の境内に裏手から入ることになるが、この表参道を登っていくと、立派な山門を潜って境内に入る。やはりこの道を登るのが正式な参拝ルートである。神社に参拝した後、雲取山への縦走路に入る。妙法ヶ岳分岐で縦走路と別れ、尾根を一つ越えて、妙法ヶ岳への支尾根分岐に達する。ここは実に展望のよいところで、北秩父、西上州の山々の展望がすばらしい。ここから岩尾根を30〜40分辿ると妙法ヶ岳山頂に達する。山頂には、奥社の標示はあるが妙法ヶ岳の標示はない。前後して到着した中年の女性4人パーティが、こんな会話をしていた。「ここが本当に妙法ヶ岳山頂なの。だって山頂を示す標示がないじゃない。もっと先に進んでみようか」「この先道はないよ。やっぱり山頂じゃないかな」
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