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長尾ノ丸(なごうのまる) | 958.4m |
所在地 | 埼玉県名栗村 東京都奥多摩町 |
名山リスト | 東京都の山50座 |
二万五千図 | 原市場 |
登頂年月日 | 1981年12月30日 1987年5月4日 |
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長尾ノ丸は日向沢ノ峰と棒ノ嶺の間に位置する都県境尾根上の一峰である。また、名栗川支流の有間川右岸に聳える山でもある。穏やかな山容の山で、いわば山稜上の大きな瘤のような存在である。二万五千図には「長尾丸山」と山名表記されているが、これは二重表記であり本来の山名は「長尾ノ丸」である。三角点峰ではあるが、この山を目的として登山するものはまずいない。さらに云うなら、通過ピークにさえもなっていない。都県境尾根縦走路はこの山の山頂南側を巻いてしまっているのである。物好きなごく一部の登山者が、縦走路を外れて山頂にやってくる。登頂そのものはきわめて容易である。巻き道から外れ、雑木林の中の微かな踏み跡を緩やかに登ればよい。山頂は三角点と私製の山頂標示があるだけで、下薮もなく雑木林に囲まれている。静かさだけが取り柄の平凡な山頂である。
この有間川右岸稜には、長尾ノ丸、槇ノ尾山、棒ノ嶺と、同じようなゆったりした山容の三山が並んでいる。棒ノ嶺の別名は「坊主ノ尾根」である。槙ノ尾山はおそらく牧ノ尾山であろう。従って、この辺りは「樹木がなく、牧草地の広がる、長々とした尾根」であったのだろう。棒ノ嶺の東側には「馬乗馬場」なる地名も残っている。 以上が、長尾ノ丸の常識的な山名の解釈である。しかし、名栗川流域一帯は古代朝鮮文化、すなわち渡来人の痕跡の色濃く残る地域である。特に、有間川一帯は「鉄」と「馬」の匂いが濃い。この山名にも何やら別の意味合いが隠されているような気がして仕方がない。長尾ノ丸のNAGは名栗川のNAGと関係あるのだろうか、また名栗川奥には名郷NAGOHという同じ音の集落もある。真相を知りたいものである。 長尾ノ丸の「丸」も興味深い言葉である。語源的には古代朝鮮系の言葉ではないかと云われている。「丸」名の山は奥武蔵ではこの長尾ノ丸だけであるが、関東一円に多い。栃木・群馬県境の袈裟丸山、奥多摩の醍醐丸、丹沢山塊の檜洞丸、畔ヶ丸や大菩薩連峰のハマイバ丸、大谷ヶ丸等々である。このマルと言う言葉は不思議である。船名につけられる「丸」。牛若丸等人名につけられる「丸」。本丸、二ノ丸等城郭につけられる「丸」。これらの「丸」は語源的に同じなのか、違うのか。形状を現す「丸」とは別の言葉であるようであるが。 私はこの山に二度登った。いずれも日向沢ノ峰 ― 棒ノ嶺の縦走の途中に立ち寄ったものである。最初の登頂1981年12月である。有間谷一周を目指して、早朝の棒ノ嶺を出発した。地図では長尾ノ丸の山頂を通過するはずの縦走路が、左から巻きに掛かったので少々慌てた。この山頂を踏まないわけには行かない。微かな踏み跡を見つけ、強引に山頂に登り上げた。雑木林の中の平凡ではあるが心安らぐ頂であった。 二度目の頂は1987年5月であった。家族全員と愛犬を連れて日向沢ノ峰から棒ノ嶺へと縦走した。前後したパーティは皆この頂を巻く縦走路を進んでいったが、私たちは縦走路を外れ、この頂に寄り道をした。前回と同様、まったく人気のない静かさだけが取り柄の頂であったが、私は変わらぬ頂きに大いに満足した。 もう15年も長尾ノ丸にご無沙汰している。もし、昔のままの頂であるなら、のんびりと一人でこの山だけを目指して登ってみたいものである。 (2002年10月記) |