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大仁田山(おおにたやま) 505.7m

 
所在地 埼玉県飯能市      
名山リスト なし
二万五千図 原市場
登頂年月日 2000年1月2日 2001年4月8日    

 
 大仁田山山頂
 細田集落上部の地蔵堂
   岩茸石山より大仁田山を望む

 
 大仁田山は都県境尾根から分岐した名栗川右岸稜上の一峰である。ただし正確に言うと右岸稜から北へ数十メートル離れている。いくつかの登山ルートはあるが、ポピュラーなハイキングの山となっておらず、道標の類いはいたって不備である。また、付近の地形もかなり複雑で、小峰と思って舐めて掛かるとしっぺ返しを食らう。山頂は鬱蒼とした杉檜の植林の中で、ちらりとさえも展望はない。何のためにやって来たのかと、思わず泣き言の一つも言いたくなるような愛想のない山頂である。

 名栗川流域から登山ルートは二つある。一つは山頂から北に延びる尾根を直登するルートである。赤沢集落の外れで名栗川を渡り、尾根に取り付けば一時間弱で山頂に登り上げることができる。踏み跡は確りしているが、名栗川を渡る地点には橋はなく、飛び石伝いの徒渉となる。また、徒渉地点も含め、ルート上に道標は一切ない。ルートとなる尾根も薮と植林の中で、変化のない単調な登りをしいられる。山頂のつまらなさとあわせ、こんなルートを往復したら、一変に山登りへの興味を失ってしまうだろう。

 二つ目のルートは唐竹橋で名栗川を渡り、唐竹集落を抜けると、民家の裏手より、細い踏み跡が山中に向かっている。ルートはすぐにジグザグを切った激しい登りとなって名栗川右岸稜に登り上げる。この急登は十二曲と呼ばれている。ここからは、稜線の左側を巻くよく踏まれた道を辿ると、細田集落上部の地蔵堂に達する。細田集落は成木川支流の直竹川最上流の南斜面に展開する山上集落で、実に風情がある。集落から大仁田山山頂までは、ルートは若干わかりにくいが、30分の距離である。

 実はこの唐竹ルートは名栗川流域と成木川流域を結ぶ、十二曲峠越えと呼ばれた古い峠道なのである。十二曲峠の位置については2説があり、十二曲の急坂を登り上げた地点なのか、地蔵堂付近なのか現在では不明となってしまった。このルートは古い峠道だけに、途中苔むした石の道標なども見られ、実に情緒がある。また、地蔵堂付近は日当たりのよい南面で、すぐ下の細野集落ののんびりとしたたたずまいを眺めながらひと休みするのに最適である。大仁田山に登るなら是非このルートを採ることをお薦めする。

 大仁田山から右岸稜を200mも辿れば、都県境尾根に合流する。都県境尾根はこの地点から南は成木尾根と名前を変えて末端の安楽寺まで通じている。この分岐に安楽寺を示す道標があるが、途中砕石場があり、成木尾根の縦走ルートは現在では途切れてしまっている。都県境尾根を西に縦走して小沢峠方面に行くことは可能である。

 大仁田山の語源は明らかである。「ニタ」とか「ヌタ」とか言う言葉は、動物が泥浴びをする湿地帯を意味する。奥多摩には本仁田山があり、また奥武蔵にも粥仁田峠、仁田山峠などの地名が見られる。

 私がこの山に初めて登ったのは2000年の1月2日、お正月であった。この山は前々から気になっていたのだが、この山だけを登るのではいかにも物足りなく、なかなか踏ん切りがつかずにいた。地図を眺めていて、都県境尾根を西に縦走して、黒山から奥多摩の高水三山に抜けるルートを思いつきチャレンジした。唐竹集落から十二曲峠越えの道を登ったが、思いのほか地形が複雑でルートの選定に時々戸惑った。

 二度目に登ったのは2001年4月であった。このときは、成木尾根縦走を目指しその出発点としてこの山の頂を踏んだ。このときは先を急ぐため、最短ルートである赤沢集落からのルートを採った。二度の山行とも他のハイカーとは一人も出会わなかった。静かな山であることは請け合いである。

 今度は、この山の頂から名栗川右岸稜を飯能市街に向け末端まで辿ってみようかと思っている。三度目の頂はいつのことになるであろう。
 
(2004年1月記)