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大高取山 (おおたかとりやま) 376.4m

 
所在地 埼玉県越生町  
名山リスト なし
二万五千図 越生
登頂年月日 1983年7月2日 

 
     

 
 大高取山のある越生町は武蔵野と奥武蔵山地との境に位置する静かな田舎町である。寄居町、小川町、越生町、毛呂山町、飯能市と奥武蔵山地の東端に線状に続く集落は、古代より人々が居住した地域であり、縄文時代の遺跡や古墳も多い。そして、現在においても首都圏の広がりはまだ飯能市付近までしか及んでおらず、静かな人々の生活が続いている。この越生の里は、中世には武蔵七党児玉党の一族越生氏が本拠としたところであり、15世紀には太田道灌の父道真が領有して館を構えたところでもある。地域一帯は埼玉県立黒山自然公園に属し、付近には黒山三滝や越生梅林もあり、軽いハイキングの適地である。

 大高取山はこの越生町の西側に盛り上がった小高い里山である。大高取山から続く尾根は桂木峠を経て鼻曲山から越上山へと奥武蔵の山々につながってはいるが、西、北、東を越辺川、南側をその支流の滝ノ入川に囲まれ、独立した山塊となっている。大高取山の山名の由来はおそらく大鷹取山であろう。「たかとりやま」という地名はコンサイズ日本山名辞典を引いてみると、鷹取山、高取山、高鳥山を合わせて全国15山ある。又、同辞典には次のように解説されている。
 「たかとり 高取 高鳥 鷹取  昔、鷹狩りをするために鷹を捕
  えたということからこの名がついたものである。鷹ノ巣山も同様。
 (高)は宛字と思われる。」

 従って鷹取山という名称は元々普通名詞であったが、その鷹取山のうちのいくつかが、固有名詞となって今の山名となったのである。

 江戸城を築いた大田道灌にまつわる逸話として山吹の花の説話が有名であるが、この話はこの越生の里での鷹狩りの際の話とされている。このことを考え合わせるとこの大高取山と云う山名になんとなく親しみを覚える。なお、越生駅東側の丘陵地帯は、この説話に因んで現在「山吹の里」と呼ばれている。

 大高取山にはもう一つ「神ノ倉山」と云う別称がある。神ノ倉山は「神ノ座山」である。しかしこの山には磐座と思える岩場もないし、また宗教的な名残りもない。西麓の大満集落に「神の倉」という小字があるが(同集落には「高取」という小字もある)、ここからこの名前が由来したのかも知れない。ただし、越生町と隣の毛呂山町一帯は、中世、本山派修験山本坊の本拠地であり山岳宗教の色彩の濃厚な地域ではある。埼玉県にはもう一つ神ノ倉山と呼ばれる山がある。小川町西方の「官ノ倉山」である。こちらは明確に磐座が存在する。

 私がこの山に登ったのは昭和58年7月、当時まだ2歳の長男を連れてであった。越生町役場に車を駐め、舗装道路を世界無名戦士之墓に向かって登った。途中神社のところで大高取山を示す道標があり小道が左に別れたが、かまわずそのまま直進した。世界無名戦士之墓は、第二次世界大戦で戦死した無名の人々鎮魂のため大高取山の東側中腹に建てられた白亜の大きな建造物で、二階が展望台となっている。天気がよければ新宿の高層ビルまで見えるとのことだが、この日の武蔵野は夏霞に煙っていた。

 ここからいよいよ山道となった。水流で掘れた若干歩きにくい道を行くと凄い急登となった。木に掴まりながらようやく登り切るとそこは高取山と呼ばれる平坦地である。最近は「西山高取」と呼ばれているようである。ここで道が二つに分かれ、道標もなく判断に迷った。尾根伝いに北西に向かう道は越生梅林のほうへ行く道と判断し左の緩く下る道に入る。すぐに尾根を巻くように登ってくる確りした道に出合う。おそらく神社のところで別れた大高取山への登山道であろう。道標があり判断の正しかったことを知る。やがて尾根道となり緩やかな登りを繰り返す。南面の視界が開けるが、奥武蔵の山々は霞の中である。やがて桂木山から大高取山へ続く稜線に出た。北へひと登りで目指す大高取山山頂である。誰もいない静かな山頂で昼食とした。西面が開け、奥武蔵の山々がうっすらと見える。

 桂木山に向かい尾根を南進する。所々視界が開け、展望案内板が設置されている。冬ならばさぞかしすばらしい展望が得られるだろう。緩く登ると桂木山である。この桂木山は、奈良の大仏建立で有名な僧行基が諸国巡遊のときこの山に登り、大和の葛城山に似ているのでこの名を付けたと伝えられている。特別標示もないので知らない間に通り過ぎてしまう。植林地帯の急坂を下ると桂木観音に達した。山里のなんとも感じのよいお寺である。この寺には行基の作と云われる千手観音が安置されている。息子は寺の盆鐘を衝いて喜んでいた。ここまで毛呂山町から舗装道路が上がってきていた。この道を少し下ると標示があり、越生への小道が別れる。小道は緩く登って桂木山から張り出した支尾根を乗っ越す。道は急に悪化し、到る所水流でえぐられた状態となり、しかも道一杯に蜘蛛の巣が無数に張られている。最近はほとんど利用されていないようである。棒で蜘蛛の巣を払いながら進む。山里に下りついて虚空蔵尊に達した。急な階段を昇ってみると小さなお堂がある。のどかな田圃の中の道をのんびりのんびり歩いて越生の町に戻った。

 初夏の一日、幼い息子の手を引きながら辿った小さな山と静かな山里の一日であった。

(2002年9月記)