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両神山(りょうがみさん) | 1723.5m |
所在地 | 大滝村、両神村 |
名山リスト | 日本百名山 関東百名山 関東百山 日本の山1000 |
二万五千図 | 両神山 |
登頂日 |
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両神山は埼玉県の誇る名山である。当然、深田百名山にも選ばれている。他に例を見ない独特の山容。ヤシオツツジの群生。日本武尊にまつわる伝説。いわば深田久弥が掲げた名山の条件を十二分に満たしている。埼玉県には、深田百名山として他に甲武信ヶ岳と雲取山があるが、いずれも県境の山であり、純粋に埼玉県の山としては両神山が唯一である。それだけにこの山は埼玉県民の誇りと期待を一身に背負っている。数年前、雑誌・山と渓谷紙上で「故郷一の山」はどこかとのアンケート調査があった。埼玉県民は圧倒的多数を持って両神山を推薦した。ちなみに2位は雲取山、3位は甲武信ケ岳、4位は武甲山であった。私自身、この山は日本の10指に入る名山だと思っている。欲を言うなら、標高があと300メートル高く2000メートルを超えれば文句がないのだが。
両神山は関東平野からよく見える山である。私の住む鴻巣市からも奥武蔵・奥秩父山群の左端に常にその独特の姿を望むことができる。その山容はきわめて独特である。一種のテーブルマウンティンなのだが、山頂部は鋸歯のごとく岩峰が連続し、両端はすぱっと切れ落ちている。巨大な山体は常に真っ黒で、まるで巨大な悪魔の城にも見える。このため、この山の同定はきわめて容易である。独立峰であることもあり、決して他の山と誤認することはない。 両神山は岩と藪の山である。黒木の原生林に覆われた奥秩父の山々とは対照的である。そして、晩春にはその岩肌をヤシオツツジがピンクに染める。両神山の最も美しい季節である。埼玉県の郷土ルタにも「両神山 ヤシオツツジとコノハズク」と歌われている。両神山は、また、信仰の山でもある。役行者開山と云われ、イザナギ、イザナミの二神を祀る両神神社が鎮座する。里宮は麓の日向大谷に、奥宮は山頂直下に鎮座する。この神社の眷属は三峯神社と同じく狼である。神社の前には狛犬ならぬ狛狼が座し、お札にも狼が描かれている。 両神山の山名の謂われについては次の二説がある。一つは「イザナギ、イザナミの二神を祀ることによる」との説である。もう一つは「日本武尊東征のさいこの山が八日間見え続けたため八日見山と名付けられ、それが訛って両神山となった」との説である。しかし、どうもこの二説ともピンとこない。私は、リョウガミは龍神あるいは龍頭ではないのかと考えている。両神山は八丁尾根、天理尾根、梵天尾根の三本の長大な岩尾根を派出している。このため、どの方向から見ても両神山を頭とする龍の姿に見えるのである。奥秩父の飛竜山と同様の命名である。一つの根拠として、山中に竜頭神社が祀られている。おそらく両神神社よりこの神社の方が古いのではなかろうか。
2001年4月、両神山にとって非常に残念な事態が生じた。メイン登山コースであった白井差からの二つのコースが閉鎖されてしまったのである。地権者と県とのもめ事が原因である。このため、現在の登山コースは日向大谷からのコース(一般向け)と八丁尾根コース(上級者向け)の二コースだけとなってしまった。両神山も顔をしかめていることであろう。 私は両神山の頂を4度踏んだ。最初に登ったのは1975年8月であった。いまは亡き父を連れて日向大谷から往復した。普段は山など登らない父が突然両神山につれて行けと言い出したのである。根っからの埼玉県人であった父だが、一生に一度この埼玉の名山に登ってみたかったのであろう。産泰尾根への急登にへばり、引き返そうと云う父を何とか山頂まで引き上げた。考えてみると、あのときの父はちょうどいまの私と同い歳であったはずである。2度目に登ったのは1986年6月、バリエィションコースである天理尾根から単独登頂した。天理岳付近でルートの発見に手間取ったが、ヤシオツツジの咲くすばらしい岩稜コースであった。3度目は1995年5月であった。無謀にも一人で赤岩尾根を縦走し、余勢を駆って八丁尾根から山頂に達した。4度目は1999年4月である。静岡での長い単身赴任生活を終え、故郷の名山に帰国の挨拶に行った。今は閉鎖されてしまった白井差から一位ガタワコースを登り大峠コースを下った。これで、両神山のすべてのコースを歩いたことになる。 現在、天気さえ良ければ、私は毎日この故郷の名山を眺めている。駅に向かう通勤途中よく見えるのである。奥武蔵。奥秩父山群の右端に、真っ黒なこの山の姿をとらえると、なぜか生きていることを実感する。
(2002年10月追記) 2002年4月、中津川流域の中双里集落から梵天尾根を辿って山頂に至る超長距離ルートに挑んだ。満開のヤシオツツジとカモシカに迎えられて無事に5度目の登頂を果たした。両神山は何度登ってもよい山である。 |