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白岩山(しらいわやま) 1921.2m

 
所在地 埼玉県大滝村  
名山リスト なし
二万五千図 雲取山
登頂年月日 1964年10月2日 1979年11月3日 1980年2月9日 1993年5月3日 2005年8月20日

 
 堂平山より(左手前は武甲山)
 長沢山手前より
 三峰神社駐車場より

 
 白岩山は雲取山、妙法ヶ岳とともに三峰三山を形成する。すなわち、かつては修験者の駆けた山である。新編武蔵風土記稿には「白山権現社を祀りて小社あり」と記されているが、現在、宗教的痕跡は一切ない。その山名の由来は山頂付近に石灰岩の露石があるためと云われる。
 
 白岩山は、ある意味で不遇である。その山頂は、おそらく、年に数万の登山者が訪れるであろう。しかし、この山を目指してやってきた登山者は皆無である。三峰神社から日本百名山・雲取山を目指すコース上の単なる通過ピークなのである。このため、多くの登山者は、できることならこの樹林の中で展望もないピークは巻いてしまいたいに違いない。息せききって到着した登山者はベンチとテーブルのある頂で一休みしたのち、雲取小屋を目指し今日最後の行程を急ぐのである。
  
 白岩山の悪口を書いた。いかにもつまらなそうな山と思うかも知れないが、客観的に見れば白岩山もなかなかの山である。奥武蔵の山々から眺めると、南隣りの芋ノ木ドッケと形よい双耳峰を形成していて、よく目立つ。そして何よりも、この山の最大のセールスポイントは、鬱蒼とした原生林である。そもそも奥秩父のすばらしさは、太古より斧を知らない深い原生林の美しさにある。巨木の森とその中に横たわる朽ちた倒木、すべてを覆い尽くす苔。その美しさはまさに山岳美の極致ともいえる。このすばらしい原生林が、白岩山周辺には未だ色濃く残っている。

 三峰神社から縦走路を辿ってくると、霧藻ヶ峰までは杉檜の人工林か雑木の林である。お清平に下り、覚悟を決めて前白岩山の急登に挑む。ただ足元を見つめ、全身汗だくになりながら背中の重荷に耐える。息が切れ、坂の途中で立ち止まり、ふと、目を周囲に向けたとき樹相が一変しているのに気づくはずである。このとき初めて、「ああ奥秩父に来たのだな」との感慨が胸を過る。急ぐのを止め、じっくりとすばらしい原生林を楽しむのがよい。ただし残念なことに、最近、原生林は昔に比べ何となく薄くなってしまい、垂れ下がっていた霧藻も短くなってしまったような気がする。白岩山の自然がいつまでも健全であることを祈らずにはいられない。

 私はこの白岩山の頂を5度も踏んだ。そして、この頂には大きな思い出がある。最初にこの頂を踏んだのは、はるか記憶の彼方であるが、昭和20年代後半、私が小学生の時と思われる。父につれられ、雲取山に向かう途中であった。欝蒼とした原生林の中を霧が流れていた。大木の枝から垂れ下がる苔のような草を指して、「あれが霧藻だよ。正式にはサルオガセというんだ」と、父が教えてくれたのはきっとこの辺りであったろう。どういうわけだか、「サルオガセ」という難しい名前とともに、この時の情景を今もはっきり覚えている。

 2度目は、昭和39年10月の学生時代であった。金峰山までの奥秩父大縦走を目指す若者4人は、縦走の初日とあって元気いっぱい、周囲の景色に目も触れず、駆けるようにこの頂を通り過ぎていった。3度目はそれから15年後の昭和54年11月、当時6歳の長女をつれて雲取山を目指す途中であった。この時も原生林の中を霧が流れていた。「あれが霧藻というんだ。正しくはサルオガセ」。私は30年前に父から聞いた言葉を繰り返した。しかし、娘は「ふん」と言っただけであった。
 
 4度目の山頂は思いで深いものであった。昭和55年の2月、厳冬期の長沢背稜単独縦走を目指し、三峰神社から入山した私は、その第一夜をこの山頂で過ごしたのである。暖かそうな白岩小屋の誘惑を払い、アイゼンを頼りにこの山頂に到着したのは夕暮れの5時であった。雪の上にテントを張り終わる頃には、最後のパーティも通り過ぎ、この頂は私一人のものとなった。日が暮れるとともに猛烈な寒さが襲ってきた。夜中にふとテントの外を覗いてみると、満天の星であった。あのすさまじいまでの星空は、あの晩の寒さとともに、今でもはっきり覚えている。
 
 5度目の頂を踏んだのは、平成5年5月のゴールデンウィ−クである。雲取山から将藍峠までの奥秩父縦走を目指す49歳の私と、中学1年の長男のパーティであった。まだまだと強がりを云って荷物の大半を引き受けた私であったが、前白岩山の急登に顎を出し、いささか歳を感じた山頂であった。 

 白岩山の最近のセールスポイントは鹿である。山頂で休んでいると必ず数頭の鹿がやってきて餌をねだる。さすがに手渡しでは食べないが、2メートルぐらいまでは近づいてくる。本来、人間にたいして警戒心の強い鹿が、すっかり野生性を失ってしまった。登山者は大喜びだが考えさせられる光景である。

 今年の1月、堂平山山頂より、思いがけずこの山を眺めた。芋ノ木ドッケと並んだ丸い形よい山容を眺めつつ、過ぎ去った昔のいくつかの情景を思い出していた。
(2002年7月記)