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蕎麦粒山(そばつぶやま) 1472.9m

 
所在地 埼玉県秩父市 東京都奥多摩町
名山リスト 関東百山 東京都の山50座 日本の山1000
二万五千図 武蔵日原
登頂年月日 1980年2月11日  1980年2月24日

 
周助山山稜より
       仁田峠上部より
日向沢ノ峰より

 
 蕎麦粒山は私の好きな山である。この山のよさは、何よりもその明るさである。小さな山頂部は周囲が大きく開け、奥武蔵、奥多摩の山々が一望できる。樹林の中の道をたどってきて、この山の頂に立つと、空の青さが目に染みる。冬晴れの一日、山頂の露石にもたれ、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて日向ぼっこをすれば、至福の一時が訪れる。
 
 蕎麦粒山は都県境尾根上の山であり、三ッドッケと日向沢ノ峰の間に位置する。山容は小さく実にかわいらしい。遠くから眺めると、山体と云うものはなく、稜線上に三角形の小さな山頂部がちょこんと乗っているだけという感じである。蕎麦粒山の名前の由来はもちろん、その形が蕎麦粒のごとき三角形であるからであり、別名を三角山とも云う。しかしこの名前は即物過ぎて味がない。やはり蕎麦粒山と呼ぶのがよい。「武蔵通志」には次のように記載されている。

  「蕎麦粒山 氷川村ノ北隅ニアリ。東北ハ秩父郡浦山村ヲ界ス。高五千九百尺。
   又三角山[秩父郡火打山ト云、]ト称ス。峯頭に高巖アリ燧石質ナリト云。山
   脈大雲採山ノ脈東ニ連リ、此ニ至リ復タ矗然挺立シ、又東ニ走リ日向沢峯トナ
   リ南ニ岐スルモノヲ鳥屋戸山ト云。北ハ武甲山ノ脈ニ接ス。」
 
 この山は武蔵野からも見えるが、山自体が小さいので、見つけにくい。ただし、一度見つけてしまえば、山容に特色があるため、同定するのは容易である。東京池袋のサンシャインビルからも見えるとのことである。
 
 蕎麦粒山は関東百山に選ばれており、案内の類いも多い。ただし、いざ計画を立ててみるとかなり登りにくい山である。一般コースを採るとかなりの長距離となるし、直接登るルートはバリエィションコースである。このため山頂はいつも静かである。蕎麦粒山に埼玉県側から登る人は皆無に近いであろう。考えられる唯一のルートは、仙元尾根を仙元峠に登り、稜線をたどって山頂に達するルートであるが、行程も長い上に、コースもベテラン向きである。東京都側からのルートは鳥屋戸尾根コースとなる。ただし、このルートとて一般コースとは言い難い。日原から横すず尾根を登り、一杯水を経て登頂すれば日帰りも可能であるが、更に川苔山方面に縦走するとなると相当な長丁場となる。一杯水付近に立派な避難小屋があるので、これを利用すれば、満足いく山旅が得られるであろう。私は、有間谷本谷を詰め、日向沢ノ峰に這い登ってそこから山頂を往復した。もちろん、バリエィションルートである。

 この山を眺めるのに最も良いのは、日向沢ノ峰方面からである。日向沢ノ峰から蕎麦粒山までの稜線は防火線となっており、大きな切り開きがなされている。行く手にかわいらしい三角形がいつも見えており、気持ちのよい稜線歩きが楽しめる。反対に三ッドッケ方面から向かうと、樹林の中の暗い道であり、この山は最後まで見えない。しかも、縦走路は山頂を東京都側に巻いているので、うっかりすると通り過ぎてしまう。ただし、道中が暗いだけに、山頂に出たときの空の青さと、太陽のまぶしさが印象的である。山頂は小さく、露石がある。露石の上に登れば、すばらしい展望が得られる。
 
 私はこの山に二度登った。初めて登ったのは、昭和55年2月である。芋ノ木ドッケから積雪の長沢背稜を一人縦走してきて、一杯水で二回目の夜を過ごした。そして三日目の朝この山の頂に立った。暗く寒い長沢背稜を辿ってきただけに、この山の明るさと暖かさが何よりも印象深かった。朝の弱々しい光の中に、奥多摩の山々が絵のように浮き上がっていた。
 
 二度目に登ったのは、その僅か2週間後、当時6歳の長女をつれてであった。20〜30センチの積雪で埋まり、寒々と凍り付いた有間谷本谷を必死の思いで、子供の手を引いて登り詰め、日向沢ノ峰に達したときの太陽のまぶしさは忘れられない。半べそをかいていた長女も、途端に元気になり、雪遊びを始めた。ここから蕎麦粒山までの稜線歩きはすばらしかった。厚く積もった落ち葉のジュウタン、所々に残る残雪、暖かな光が燦々と降り注ぎ、行く手の三角形の山が次第に大きくなってくる。最後の急登を経て到着した山頂は誰もいず、太陽の光だけが溢れていた。子供は山頂の大きな露石によじ登って喜んでいた。帰路は、仁田山南の肩から、私だけの知る秘密のルートを通って有間谷に下った。

 蕎麦粒山の南面、川苔谷沿いに延びてきた林道が、遂に百尋の滝を越え、更に上部へと延び続けている。このままだと、山頂付近まで達する日は近い。どこまで山を破壊したら気がすむのであろう。
(2002年2月記)