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武川岳(たけかわだけ) 1051.7m

 
所在地 埼玉県横瀬町  埼玉県名栗村  
名山リスト 関東百名山  関東百山  日本の山1000
二万五千図 正丸峠
登頂年月日 1977年7月31日 1978年5月28日 1982年7月4日 2002年11月4日

 
仁田山峠上部より(左奥は武甲山)
 小持山付近より
 蕨山より(左奥は武甲山)

 
 武川岳は奥武蔵では名の知れた山である。手軽に登れる山であり、また展望も良い。しかし、この山の良さは、なんといってもその位置である。奥武蔵のハイキングコースのまさに十字路に位置している。西に向かえば、妻坂峠を経て大持山に至る。北へ向かえば二子山への縦走路である。東へ向かえば、山伏峠を経て伊豆ヶ岳に至る。また、南に向かえば、天狗岩を経て名郷集落に達する。多くのハイカーが武川岳に四方から集まり、また四方に散っていく。このため四季を通じハイカーの姿が絶えない。こんなことがあった。私たちが南の道、すなわち名郷から天狗岩経由で山頂に達すると、二人のハイカーが休んでいた。一人は北の道、すなわち二子山から縦走してきたと云い、もう一人は東の道、伊豆ヶ岳から来たと云った。そして私たち三組は、いずれも西の道、妻坂峠を目指して出発していった。私自身この山に三度登ったが、一度目は西から登り東に下った。二度目は西から登り北へ縦走した。三度目は南から登り、西へ向かった。

 武川岳のもう一つの自慢は、その西側に妻坂峠と云うすばらしい峠を持っていることである。この峠は実にすばらしい。おそらく、奥武蔵の多くの峠の中で、鳥首峠と並んで1、2を競う峠と思える。昔から、秩父地方と江戸、鎌倉を結ぶ主要な峠道であり、畠山重忠が鎌倉に赴く際に、この峠で愛妻と別れを惜しんだとも云われている。峠には石仏が一つたたずみ、昔の雰囲気を伝えてくれる。そして、この峠は武甲山が一番美しく見える場所でもある。

 武川岳は元々風木平(ふうきだいら)と呼ばれていた。昭和に入り、武甲山の「武」と、その麓の生川の「川」を取って改めて武川岳と名付けられた。コンサイス日本山名辞典を見ると、「たけかわだけ」は載っておらず、「むかわだけ(武川岳)」として載っている。この辞典は間違いが多いので、単なる間違いかも知れないが、もし「むかわだけ」という呼び名があるのなら(私は聞いたことがないが)、「向かい岳」であり、これは「武甲山に向かい合う山」ということになる。

 私が最初にこの山に登ったのは昭和52年7月であった。当時4歳の長女をつれて妻坂峠から登った。真夏の太陽の照りつける暑い日であり、後から考えると、この山に登る最悪の季節であった。妻坂峠への登り道は、急ではあるが、道もしっかりしており、おまけに植林地帯のため直射日光も避けられ、幼児づれでも容易であった。峠から仰ぐ武甲山は夏霞の中にうっすらと浮かんでいた。峠から武川岳への登りは、悪戦苦闘となった。ポピュラーなハイキングコースのため登山道はしっかりしているものと思っていたが、シーズンオフのためか背を没する藪が生い茂り、激しい藪漕ぎを強いられた。藪漕ぎ準備がなかったため、二人とも手や顔が傷だらけになってしまった。おまけに幼児が歩いて登るには少々無理な急登であり、手で引き摺り上げての前進となった。ようやく到着した山頂も、夏草のみが生い茂り、一切の展望は夏霞みの中であった。帰路はもとの道を戻る予定であったが、とても藪の急坂を戻る気がせず、前武川岳を越えて山伏峠道に下ることとした。この道は緩やかではあったがやはり藪が深く泣きたい気持ちで、子供を励ました。真夏の太陽のもと、舗装道路をてくてくと一時間も歩いてようやく名郷に到着したときは、もう二度とこんな山には登るものかと思った。

 二度目に登ったのは、それから10ヶ月後の昭和53年5月であった。このときも、5歳の長女づれである。正丸峠駅から、正丸峠を越えて山伏峠まで歩き、ここから武川岳に登って、二子山まで縦走した。このときも、山頂からの展望は春霞の中に消えていた。そして、三度目に登ったのが昭和57年7月、当時66歳の父を連れて名郷から南東尾根を登った。そしてこれが、父との最後の登山でもあった。その時の山日記には次のように記されている。 
  
  「武川岳の登りは最近登山道が整備されたと云う東南尾根を登ってみることとする。
   人家の庭先をかすめ、かなりの急坂を登ると林道工事現場に出た。更に人家の間を
   登ると、尾根をトラバースする緩やかな登りとなる。40分も登ると、支尾根の鞍部
   のようなところにでる。小さな社がある。小休止とする。ここから急登して武川岳
   東南尾根にいったん登り上げた後、巻き道となる。どうやら、石灰岩採掘現場を避
   けるためのようである。道の斜面に石灰岩の露石が多く見られる。しばらく緩やか
   な巻き道を行くが、再び尾根に向かっての急登となる。登り切ったところが天狗岩
   の始まりで、小さな岩塔がある。天狗岩の登りは期待していたほどスリルのあるも
   のではないが、奥武蔵には珍しい岩尾根となっている。15分ばかり登ると、緩やか
   な林の中の道となる。ここから前武川岳までは、意外に距離がある。苛々してきた
   頃、見覚えのある前武川岳山頂に着く。ここで、山伏峠からの道を合わせ、武川岳
   まで一足長である。10時30分、山頂着」
(2002年6月記)

(2002年11月追記)
 今月4日、20年ぶりに武川岳を訪れた。大持山から下ってきた妻坂峠は昔のままで、懐かしいお地蔵様と再会した。峠から武川岳に登り上げる道は、深い植林の中のものすごい急登で、昔の薮道とは多いに雰囲気が変わっていた。到達した山頂は、昔に比べ成長した樹木が視界を大分狭めていた。それでも南方に展望が開け、奥多摩の大岳山やそのはるか彼方に丹沢山塊の大山を望むことができた。