23
酉谷山(とりだにやま) 1718.3m

 
所在地 埼玉県大滝村  埼玉県荒川村  東京都奥多摩町
名山リスト 関東百山  日本の山1000
二万五千図 武蔵日原
登頂年月日 1980年2月10日  2002年5月19日

 
大持山より
   

 
 埼玉県と東京都を分ける都県境尾根のうち、芋ノ木ドッケから三ッドッケ付近までの稜線を一般的に長沢背稜と呼んでいる。いわば奥秩父と奥武蔵を結ぶ山域である。この山域はほとんど登山やハイキングの対象となっていない。余りにも地味な山域であるため人気がないのである。奥武蔵の山々のように明るい雑木林の尾根があるわけでもない。そうかといって奥秩父のような欝蒼とした原生林でもない。笹に深く覆われた暗い展望のない藪尾根が続いている。更に、交通が至って不便である。日帰りで行くには少々無理である。道標の類も不備であり、とても登山意欲を刺激するような山々ではない。一応、稜線上に縦走路はあるが滅多に人影を見ない。この長沢背稜の主峰が酉谷山である。

 酉谷山は「多摩郡村誌」に次のように記載されている
  「酉谷ノ峰(秩父ニテハ黒ドッケト呼ブトイウ)高五百九十八
   丈六尺、峰頭ヨリ三分シテ東南ハ本村字簾ニ、西ハ秩父郡
      大瀧村東北ハ同郡日野村ニ属ス。山脈末の方瀧谷ノ峰より
   連り、東ノ方日向沢ノ峰ニ接続シ、支脈北ニ分岐シテ大瀧
   ト日野の彊界ヲ分チ、南ハ小川ノ原頭谿ニ臨メリ。山陽本
   村に属する部分は概ネ篠篶叢生シテ樹林ナリ。山蔭両村部
   内ニ雑樹深茂セリ。渓水南渓二湧出シ、巳ノ方ヨリ東南又
   未ノ方ハ廻流シテ数渓ヲ合セ、日原川ニ会ス」

 酉谷山は1700メートルを超える高度と黒木に覆われた立派な山容を持ち、関東百山にも選ばれている。しかし、この不人気な山域の盟主にふさわしく、その頂は常に静けさを保っている。生い茂る笹をかきわけようやく到着した山頂も、立木が生い茂り展望も利かない。何を好き好んでこの山に登るのかといわれるような山である。しかしながら、否、だからこそ、藪山を好む一部の臍曲がりが時々この山頂に現われる。三ッドッケ方面から縦走路をたどって、あるいは日原から小川谷沿いの長い林道歩きを経て。ただし、この山に至る極致のルートは、熊倉山から猛烈な藪尾根をかきわけて到達するルートである。このコースは時々遭難者さえ出る。そして、この山の頂に立つ多くは単独行者である。

 この山は幾つかの名前を持つ。今でこそ「酉谷山」の名前が定着したが、この名前は多摩側の名称である。秩父側では「黒ドッケ」または「大黒」と呼ばれる。この長沢背稜一帯は、古代朝鮮系の言葉である「ドッケ」名の山が集中する地域であり、芋 ノ木ドッケ、高ドッケ、三ッドッケ等の山々がある。黒ドッケの黒は、全山黒木で覆われているところから来たものと思われる。「大黒」の黒も同様であり、大血川峠を挟んですぐ北隣の1650メートル峰が「小黒」と呼ばれている。そして又酉谷山は「天目山」とも呼ばれる。実は、同じ長沢背稜の三ッドッケも天目山と呼ばれる。天目山という山名が両方の山の間をふらふらして固定しないのである。おそらく、昔はこの長沢背稜一帯を天目山と呼んでいたのであろう。さらに、「ニョングラ」という名も多摩側にはあるとのことだが、今では聞かない。なお、酉谷山の名前は、日原側から山頂に突き上げるトリ谷から名付けられたものであるが、トリ谷の名前は「通り谷」から来たと云われる。昔は、日原川流域と大血川流域を結ぶルートとしてトリ谷を遡り、酉谷峠を越え、酉谷山の山頂直下を巻いて大血川峠を越え、大血川流域に下る峠道があったと云う。

 私は、この山に昭和55年2月に登った。どういうわけかこの不人気な藪尾根・長沢背稜を縦走してみたくなった。水のことを考えると雪のある冬場がよい。初日の晩は、白岩山の山頂に一人テントを張った。寂しくはなかったが、さすがに真冬の二千メートルの夜の寒さはこたえた。翌日、いよいよ長沢背稜の縦走に移った。腰までのラッセルをして芋ノ木ドッケに登り着くと、思ったよりも明確な縦走路があった。縦走路は30センチほどの積雪で覆われていたが道型は明瞭であり、ルートに不安はなかった。展望のない藪尾根がどこまでも続く。もちろんトレースはない。スズタケが密生し、どこが山頂か分からないような水松山を過ぎたところで縦走路を見失った。二重山稜のような地形のところで、笹藪の中の腰までのラッセルとなってしまった。ようやく稜線直下の多摩側を巻き気味に進む縦走路を見つけ、安心する。酉谷山の山頂を南側から巻いて酉谷峠に到着する。ここから山頂往復である。細い踏み跡が山頂に続くが、背丈ほどもある笹が両側から覆い被さり、足でルートを探りながらの前進である。おまけに笹に積もった雪が降り注ぎ苦労する。30分ほどで、ようやく到着した山頂はまったく愛想もない藪の中で、この数日間に誰かが登った気配はまったくなかった。ただ、静かさだけが山頂を支配していた。

 酉谷山は今後も脚光を浴びることはないであろう。人影もまばらな長沢背稜の主峰として静けさを保ち続けるに違いない。そしてそれがこの山にとっても幸せである。
(2002年4月記)

(2002年11月追記)
 今年(2002年)の5月、22年振りに酉谷山を訪問した。大血川奥の大日向から小黒の北の鞍部に登り上げるルートの存在を知り、長年懸案であった酉谷山から熊倉山への縦走にチャレンジした。大日向からのルートは道標も一切なく、一般コースとは言い難いが、意外によく踏まれたルートであった。この日も私を含めて4パーティが登っており、酉谷山へのメインルートの趣であった。

 小黒の登りは、短いながらも、潅木や笹を掴んで身体を引き上げるようなもの凄い急登である。山頂付近はアズマシャクナゲが群生していた。たどり着いた酉谷山は、昔と大分雰囲気が変わっていた。視界を確保するために南面の樹木が切り払われていたり、ゴミを大規模に埋めた跡があったりで、何やら俗っぽい雰囲気が漂っていた。縦走路からの踏み跡も明確で、22年前、深い笹を掻き分けて到着した思い出とは大きく異なっていた。どうやら、酉谷山も普通の山になってしまった様子で、少なからずがっかりした。