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登谷山(とやさん) 668m

 
所在地 埼玉県皆野町、寄居町       
名山リスト なし
二万五千図 安戸
登頂年月日 1987年4月29日、2002年1月13日     

 
 大霧山より登谷山を望む
   

 
 比企三山の一つ・大霧山から太く緩やかな尾根が長々と北へ続いている。秩父盆地の東の壁となる山並みである。登谷山はこの尾根上の1峰である。釜伏峠の北に瘤のごとき頂を持ち上げている。この尾根は今から40〜50年も昔はよきハイキングコースを提供してくれていた。二本木峠〜皇鈴山〜登谷山〜風布集落〜波久礼のコースはその代表であった。しかし、今では、その穏やかな地形が故に、車道が縦横に走り、また県営牧場を初めとした幾つかの牧場が広がっている。登谷山の西面にも昭和40年に放牧を開始した登谷山牧場が広がっている。

 従って、この山は、登山ハイキングの対象というより、ドライブがてらの行楽や軽いピクニックの対象となっている。ただし、車道は尾根上のピークを全て巻いているので、各々のピークに至る道は短いながらもよく整備された登山道となっている。登谷山も車道から10分も歩けば山頂に達することが出来る。このため、山頂は、ザックを背負ったハイカーよりも、ドライブのついでに展望を求めて登ってきた行楽客の方が多い。

 登谷山の山頂はいたって狭い。数人で一杯になる。しかも、その狭い山頂に大きな無線中継基地が設けられていて大きなアンテナが立てられている。まったく情緒のない山頂である。しかし、展望は1級品である。西側は無線中継器地で視界が妨げられるが、東側には大展望が広がり、関東平野を一望できる。眼下に寄居、小川の街並みが広がり、遠く熊谷の街並みまで望むことが出来る。

 登谷山の山名は鳥屋(トヤ)に由来する。鳥屋とは「秋、鳥の渡りの季節に張る霞網に用いるオトリの鳥を入れておく小屋を指す」(コンサイス日本山名辞典)。同様な山名は全国各地にある。山梨県都留地方の「鶴ヶ鳥屋山」も同様であり、「都留地方の鳥屋山」の意である。

 私はこの山に2度登った。最初の足跡は1987年(昭和62年)4月29日であった。振り返ってみると、昭和天皇の最後の誕生日であったことになる。外秩父7峰40キロハイキング大会に参加して、30.3キロ地点の最後のピークであるこの頂を猛烈なスピードで通過していった。ここから先はもう、釜伏峠を経て、寄居町のゴールへ下るだけであった。山頂の様子も、展望も記憶に残っていない。

 2度目の頂は2002年(平成14年)の1月であった。旧正丸峠から縦走を開始して、大霧山、粥新田峠、二本木峠と、皇鈴山と辿り、昼前にこの頂に到着した。このときの山日記には次のように記している。
「いったん車道に下って、登谷山の登りに掛かる。常に左側に展望が開けていて両神山、城峯山が見え続けている。到達した登谷山山頂は何ともがっかりである。狭い山頂を巨大な電波塔が占拠して視界と雰囲気を台無しにしている。それでも北から東にかけての大展望は見事である。視界さえよければ上越国境の山々が一望できるはずである。今日は眼下の寄居の町並みと、その背後の鐘撞堂山から不動山にかけての低い山並みが見えるだけである。関東平野のはるか彼方に目を凝らすと熊谷の町並みが微かに見える。数人の登山者ですでに一杯の山頂に長居は無用と、すぐに下る」。

 残念ながら、もはやこの山は、わざわざ登りに行く価値のある山ではない。
    (2005年8月記)