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若御子山(わかみこやま) 830m

 
所在地 埼玉県秩父市 荒川村      
名山リスト なし
二万五千図 秩父
登頂年月日 1981年12月6日     

 
     

 
 若御子山は長沢背稜上の坊主山から北に張り出した支稜の末端、すなわち、秩父鉄道武州中川駅の南側に位置する。集落の裏山という感じで、人の足にも目にも慣らされた小高い里山である。ポピュラーなハイキングコースにはなっておらず道標の類もないが、しっかりした仕事道があり、また、山も低く浅いので安心して登れる。人影も薄く、静かな軽い一日のハイキングに適当である。若御子山の名称はその山懐にあった若御子集落から取られたものであろうが、この集落も廃村となってしまい、今は荒れ果てた廃屋が並ぶだけである。付近には断層洞として有名な若御子断層洞がある。

 私がこの山に登ったのは、昭和56年12月、当時5歳の次女を連れてであった。ハイキング雑誌で初めてこの山を知り、その名前に魅かれて行ってみようと思ったのである。武州中川駅から集落の中を抜け、道標もないので半分勘で山に取り付いた。山道はしっかりしているが途中いくつも分岐する。道標の類はいっさいないので、山勘でたどるべき道を決めた。山も浅いし、道もしっかりしているので、高みに登っていけば何とでもなると云う安心感があった。稜線に達すると、案内書にあった祠が鎮座していて、登ってきたルートに誤りのないことを知った。明確な踏み跡をたどって稜線を南に進んだ。案内書によると稜線上の853.7メートルの三角点ピークが若御子山山頂である。稜線はほとんど起伏がなく、どこが山頂だろうと進むと、道の真中に三角点を見つけた。もちろん山頂標示もいっさいなかった。自信はなかったが、ここを山頂と決めた。周りは杉檜の植林で展望はいっさいなく、寒さが身にしみた。小さな焚火をして、震えながら二人して昼食を取った。

 帰路は祠の手前から、登ってきたときとは逆に東斜面を下ってみた。踏み跡があるかないかの急斜面であったが、赤テープに従い下ると、次第に踏み跡がはっきりしてきた。そのうち、今はすっかり荒れ果ててはいるが、昔、家があったと思われる石積や平坦地が現われ、人臭くなってきた。おそらく、廃村となった若御子集落の一部であろう。道はやがて、浦山側に大きく張り出した尾根を下るようになった。尾根を乗越す明確な道にであった(若御子峠と云うらしい)ので、この道を左に取ると、今朝、山に取り付いたところに出た。ちょうど、西側から登り東側に下って一周してきたことになった。特別な展望もなく、ただ静かさだけが取り柄の山であった。

 ところが、最近、若御子山の位置、及び山名が各案内書や案内地図によって異なり、混乱が生じている。
   1、「秩父の低山(けやき出版)」
    祠のある地点(830メ−トル地点)を若御子山とし、三角
    点ピークを大反山としている。表題も「若御子山から大反山」
    となっており、明らかにこの二つの山は別の山としている。
   2、「埼玉県の山(山と渓谷社)」
    若御子山=大反山 とし、三角点ピークをその山頂としてい
    る。文中でも、若御子山(大反山)と表現しており、この二
    つの山は同一の山としている。
   3、昭文社地図(1991年版)
    祠のさらに北側の尾根の末端(730メートル地点)を若御
    子山とし三角点ピークを大反山とする。
   4、日地出版地図(1990年版)
    三角点ピークを若御子山とし、大反山の名前はない。 

 もし、三角点ピークが若御子山ではなく大反山と云うなら、私は大反山に登ってきたことになる。
若御子山の山名は国土地理院の地図にはもちろん載っていない。果たして若御子山の頂はどこなのか。
 
 新編武蔵風土記稿には次のように記載されている。
  「若御子山 村の南にあり、登り十八町許、雑木多く山上には杉
   檜など茂れり、頂に四十坪許の平地ありて社を立りなを末に出
   せり、(上田野村)」
 
 この記載は明らかに祠のある地点をが若御子山の頂としている。であるなら、三角点ピークは大反山と云うことになり、若御子山と大反山は別の山なのだろうか。

 思うに、「登山」という概念が導入されるまでは、山頂は人々にとってさして重要な存在ではなかった。従って、必ずしも正確に一番高い地点を山頂としたわけではなく、山頂の一角であればそこを山頂とすることに何の問題もなかったはずである。祠のある地点は紛れもなく山頂の一角であり、ここを若御子山の頂としたことに何の不思議もない。であるならば、若御子山=大反山と考え、祠のある地点から三角点までの一帯を山頂と考えればいいのではないか。それにしても、新編武蔵風土記稿にも記載された山が、現在の地図から消えてしまっているのも残念である。
 尚、大反山の名前は、焼き畑を意味するソリに由来するものと思われる。
           
(2002年10月記)