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蕨山(わらびやま) 1044m

 
所在地 埼玉県名栗村
名山リスト 関東百山 日本の山1000
二万五千図 原市場
登頂年月日 1979.2.18 1979.3.18 1981.12.30 1984.5.27 2002.10.27

 
仁田山峠上部より
 鳥首峠の南上部より
  大持山の妻坂峠分岐より

 
 今年の10月、実に18年振りに蕨山を訪ねた。思い出を辿る懐かしさの一方で、その様変わりに驚き、時には顔をしかめる山旅でもあった。大ヨケの頭付近の尾根左側直下には新たな林道が開削され、がっかりはしたが、藤棚山付近の尾根道の雑木林の美しさは昔のままであった。たどり着いた蕨山山頂は昔どおり多くのハイカーで賑わっていた。しかし、かつて360度の大展望を誇った頂は周囲の木々が生長し、潅木の間からわずかに伊豆ヶ岳が望めるだけで、大いにがっかりした。そして、その頂に、昔の通り、「蕨山山頂 1044メートル」と記した立派な山頂標示をみて、思わず心の中で苦笑した。
 
 名栗川最奥の集落・名郷の北に聳える蕨山は奥武蔵の山々の中でも人気の山である。もちろん、道標完備の一般ハイキングの山で、道標にしたがっていけば誰でも山頂に達することができる。しかし、この山には一つ落とし穴がある。地図上の山頂と現地の山頂が異なるのである。蕨山は東西に二つのピークが並ぶ双耳峰である。1044メートルの最高地点は西のピークで、ここが蕨山の本来の山頂である。ところが、山頂標示は標高1033メートルの東のピークにある。しかも、「蕨山山頂 標高1044メートル」と堂々と標示されている。登山道の途中にある道標もすべて、この東のピークが山頂との前提で標示されている。当然、この東のピークに達したものは全員ここが蕨山の山頂であると信じ切る。一方、本当の山頂である西のピークは杉檜の植林の中で何の標示もない。しかも、登山道は山頂直下の北側を巻いているので、誰もこの頂が本当の山頂とは気が付かない。 私は2度目の登頂の際にこのことに気がついた。ガイドブックと道標を頼りに登と、普通この誤魔化しには気が付かない。同じ誤魔化しは比企の名峰・笠山でもなされている。手元にある昭文社の登山地図「奥武蔵・秩父」2002年版はさすがこの誤魔化しを明確化している。東のピークを「展望台、蕨山の標識あり」と記し、西のピークを「本来の蕨山山頂」と記している。案内地図としては完ぺきである。 

 従来、蕨山のセールスポイントはその山頂(もちろん、偽物の山頂の方だが)からの大展望であった。まさに奥武蔵の山々が一望できた。東から南にかけては棒ノ嶺、日向沢ノ峰、蕎麦粒山と続く都県境尾根が立ちはだかり、北西は有間山、北には武甲山、大持山、武川岳と奥武蔵の名だたる山はすべて視界の中であった。多くの案内書にもいまだそのように記されている。しかし、現状は南から西側に掛けては、植林樹が大きく育ち、視界を完全に妨げている。北側も潅木のためにすっきりした視界は得られない。蕨山は重要な財産の一つを失った。しかしながら、蕨山はまだすばらしい財産を持っている。雑木林の美しさである。蕨山から藤棚山、大ヨケノ頭と南東に続く緩やかな稜線の雑木林は大持山付近の雑木林と並んで、これこそ奥武蔵と感じ入る美しさを保っている。新緑の春もよし、紅葉の秋もよい。雪の積もった冬枯れの季節はさらによい。 しかるに、先月、このルートを辿って蕨山に登った際には、山頂は大勢のハイカーで賑わっていたにもかかわらず、縦走路で出会ったのは1パーティだけであった。このすばらしさを見ずして、何のために蕨山に登るのであろう。

 蕨山へ直接登るルートは1本だけである。名郷集落から急登に次ぐ急登2時間半で山頂に達する。北面だけに冬季は凍り付いていやなルートである。しかし、このルートの往復だけでは蕨山のよさはわからない。蕨山は東西に縦走路を持っている。東に向かえば藤棚山、大ヨケの頭と、雑木林のすばらしい緩やかな尾根道が続く。さらに金比羅尾根を経て河又集落に下れば、名栗村村営の温泉施設「さわらびの里」が待っている。私の第一に推奨するコースである。山頂から西に向かう縦走路は少々厳しい。有間山との鞍部・逆川乗越までは気持ちのよい雑木林の中の穏やかな下りである。しかし、乗越から有間山の一峰・橋小屋の頭までは、一転して息もつかせぬ大急登となる。次の一峰・ヤシタイの頭も短いとはいえ急登・急降下である。さらに滝の入頭から鳥首峠への下りは、恐怖を覚えるほどの大急降下である。鳥首峠まで来れば、後はよく踏まれた峠道が名郷集落まで続いている。まだ歩き足らなければ、さらに鳥首峠から大持山を経て妻坂峠まで縦走して、名郷に下ることもできる。名郷を起点としての周遊コースとして最適である。
 
 私は蕨山に5度登った。最初の登頂は1979年2月、一人で大ヨケの頭から処女雪を蹴立てて山頂に達し、そのまま有間山まで縦走した。冬の雑木林の美しさは今でも心に焼き付いている。2度目はその一ヶ月後であった。当時5歳の長女を連れて、名郷から登り、鳥首峠まで縦走した。峠への下りがアイスバーンとなっており、大変苦労したことを覚えている。3度目は1981年12月である。棒の嶺から日向沢の峰、有間山、蕨山、大ヨケの頭と有間谷を一周する超長距離縦走の途中、この頂きを通過した。4度目は1984年の5月であった、わずか3歳の長男を連れて鳥首峠から蕨山へと縦走した。急登、急降下のこの縦走路は、さすがに3歳の幼児には手強わかった。それでも何とか歩ききり、無事に名郷に下った。

 蕨山の山名の由来については定説はなさそうである。一番単純な考えは「山菜のワラビがたくさん萌え出ずる山であるから」であろうが、少し単純すぎる。蕨山ではワラビは採れないとの話もある。私は「藁火」が語源ではないかと考えている。この山も棒ノ嶺と同様に茅とを刈る入り会い山であったのではないか。であるなら、春先に枯れた茅との野焼きが行われたはずである。このことから藁火山→蕨山となったと思われる。

 最後に、蕨山について少々意外なことがある。本項を綴るに当たってアルバムをめくって蕨山の写真を探したところ、何と、有間山から撮った一枚きり見つからないのである。蕨山周辺はそれこそ何十回と歩き回っており、このことは意外であった。この10月、11月、改めて金毘羅尾根→蕨山→鳥首峠→大持山→妻坂峠→武川岳→山伏峠→伊豆ヶ岳と歩き、意識して蕨山の姿を探し求めてみた。そしてその結果に驚ろいた。蕨山の姿を望めたのはわずか二ヶ所だけであった。一ヶ所は滝の入頭から鳥首峠に下る途中のほんの一瞬。まともに見えたのは大持山の妻坂峠分岐からだけであった。始めて蕨山の不思議な一面を知った。 

(2002年11月改記)