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二子山(ふたごやま) | 882.7m |
所在地 | 埼玉県横瀬町 |
名山リスト | なし |
二万五千図 | 正丸峠 |
登頂年月日 | 1978年5月28日 |
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「ふたごやま 二子山(横瀬村) 物見平ともいう。秩父郡横瀬
村の中央部にある山。標高八八三m。県立武甲自然公園のうち。 山頂は山名が示すごとく極めて顕著な双耳峰をなし、南峰が高 く三角点や展望台がある。戦国期、鉢形城主北条氏邦が甲斐の 武田勢に備えてこの山の西方に根古屋城を築城したとき、見張 りの櫓を置いたので物見平の別名がある。雄岳・雌岳と別称す ることもある」 角川日本地名大辞典 埼玉県 「ふたごやま 二子山(物見平) 埼玉県秩父郡横瀬村。西武秩 父線芦ヶ久保駅の南一km。八八三m。雄岳と雌岳の双耳峰よ りなる。北の山腹に仙現神社がある。戦国時代に北条氏邦がこ の山頂に見張りの櫓を置いたので物見平ともいう。生川をはさ んで武甲山と対する」 コンサイス日本山名辞典 秩父盆地から東南東の方向を眺めれば、まるで赤ちゃんのお尻のように二つの山頂がポコリポコリト並んだなんとも微笑ましい山が見える。二子山を知っている人ならば一目で同定できるであろうし、知らない人でもきっとあの山は何と云う名前なのだろうと興味を持つに違いない。目の前に大きく立ちはだかる全身創痍の武甲山の姿が、余りにも痛々しいのに比べなんとも気持ちが和む景色である。 埼玉県に二子山と呼ばれる山は二つある。一つは上武国境の志賀坂峠側に聳える岩峰である。この二子山は関東百名山にも選ばれ、比較的有名である。もう一つがこの奥武蔵の二子山である。二つの二子山を区別するため、この奥武蔵の二子山はその地名を冠し、一般的に「横瀬二子山」と呼ばれる。 名は体を現わすと云うが、二子山と云う名前ほどずばりその山容を現わす山名はなかろう。「日本山名総覧」によると、「二子山」は全国に18座もある。山頂部が二つに分かれたの山を一般的に双耳峰と呼ぶが、そのうちでも、わりあい高度が低く、二つの山頂が接近しており、人里に近く、そして印象として可愛らしい山が二子山と呼ばれる傾向があるように思える。埼玉県の二つの二子山のうち、志賀坂峠付近の二子山は西峰・東峰の形も大きく異なり二子山のイメージから少し離れるが、この奥武蔵の二子山はまさに二子山のイメージそのものである。 この山は昔から目立つ山であったとみえて、新編武蔵風土記稿にも次のように記載されている。
ところで、二子山と横瀬川を挟んで対峙する山は「丸山」である。この丸山と云う山名も山容をそのまま現わすいたって単純な名前である。また、二子山と生川を挟んで対峙する山が秩父の象徴・武甲山である。武甲山の元々の名前は「むこうやま=向山」であったと思われる。神戸市の六甲山=むこうやま と同じである。この向山も至って単純な名前である。とすると、秩父盆地から見て目立つ山は「向山」「丸山」「二子山」とみな至って単純な名前を持っていたことになる。これ等の単純な名前は人々が山を特定したときの最も初期的な命名方法である。それだけこれ等の山々は人々との関わり合いが深かった証拠かも知れない。 この二子山は、またの名を物見平と云う。二子山から張り出す尾根が、横瀬川と生川の合流地点に達する場所に根古屋と云う地名がある。この地点に戦国時代まで根古屋城があり、その物見櫓がこの二子山の頂にあったためである。根古屋城の支配は、丹党の一派横瀬氏、上杉氏、北条氏と変わるが、この秩父盆地支配の重要な役割を果たしていたようである。その場所は、古来より秩父盆地と外界を結ぶ重要な峠道であった妻坂峠道、正丸峠道、そして山伏峠道が交流する地点である。 二子山は武川岳から北に延びる支稜が秩父盆地に没する尾根の先端に位置する。山頂へは、西武秩父線芦ヶ久保駅から2時間で達する。兵ノ沢コースと浅間神社を経由する尾根コースがあるが、どちらもなかなかの急登である。登り着いたところが北側の山頂・雌岳である。雑木に覆われ展望はない。鞍部を経て10分ほど行くと三等三角点のある南側の山頂・雄岳に着く。普通は二子山だけに登ることは少なく、武川岳と結んで縦走される。妻坂峠ー武川岳ー二子山ー芦ヶ久保 のコースは奥武蔵の代表的ハイキングコースである。 私がこの二子山に登ったのは昭和53年5月、当時5歳の長女を連れてであった。この時は、正丸駅ー正丸峠ー山伏峠ー武川岳ー二子山ー芦ヶ久保駅 のコースをたどった。武川岳山頂で昼食後、二子山を目指した。縦走路は蔦岩山、焼山等の小岩峰を越えていく岩場混じりの痩せ尾根である。しかしコースは確りしていて子供でも危険はない。縦走路は展望が開け、景色がよい。しかし、常に左手に全身創痍と云うよりもはや山としての体を為さなくなった武甲山の痛々しい姿が見えており、気の滅入る縦走路でもあった。芦ヶ久保への下りは木々で身体を確保しながらの凄まじい急坂であった。4時、無事に芦ヶ久保駅に達した。この山は登るよりも、麓からその可愛らしい姿を眺めていたほうがよいと思えた。 (2002年10月記) |