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弓立山(ゆみたてやま) 426.9m

 
所在地 埼玉県都幾川村  
名山リスト なし
二万五千図 越生
登頂年月日 2002年2月24日  

 
 明覚駅より
 都幾川村役場手前より
 南面より望む

 
 弓立山は都幾川右岸に位置する標高わずか427メートルの小峰である。しかし、明覚駅付近から見ると、都幾川の左岸の雷電山とともになかなかの存在感を示している。弓立山はその山名からして何か由来がありそうである。ホームページ「旅の道標」(http://village.infoweb.ne.jp/~hidakk/mitisirube_index.html)に詳しく説明されている。

 弓立山の伝説
   天慶8年(945)に武蔵国司・源經基が慈光寺の四囲境界を定めるため、
   龍神山で蟇目(ひきめ)の秘法をおこなった。經基が四方に放った矢は、北
   が小川町青山の「矢の口」、東が大字瀬戸の「矢崎」、南が越生の「矢崎山」、
   そして西が「矢所」に落ち、それ以降、この山は弓立山と呼ばれるようになった
   という。

   弓立山は海抜426メートルの独立峰で、ここから西に射はなされた矢は、「ズ
   ウズウ」と音を立てて地上すれすれに飛び、「振り矢」で向きをかえ、「曲り矢」
   で方向転換して「矢所」に落ちたという。その後、地面に突き刺さった矢は根が
   生えて篠やぶとなったとされている。(現在でもこの場所は霊地「矢所」として、
   篠やぶが大切に保存されている。)

   「蟇目神事」は弓矢の霊威をもって邪気を払う秘法で、民間に流布されるという
   事例はあまりないが、破魔矢をみても弓矢が邪気を払うという事はよく知られて
   いる。禁中では「蟇目神事」は古来より様々な応験を顕す秘法として重用され、
   白川天皇御不例の際に源義家が大庭に立って弓を鳴弦したところ、病がたちま
   ち癒されたという。

 弓立山は二万五千図にも山名記載のある三角点峰である。しかし、よほどの物好き以外登る者もいない小峰である。山頂直下まで車道が通じており、単に山頂を極めるだけなら、車で行って10分も歩けばよい。ただし、公共交通機関を使うとなると極めて不便である。一応、南北2方向から登山道はあるが、北の登山口までは八高線明覚駅から30〜40分歩かざるを得ないし、南の登山口となる大附集落までは越生梅林から小一時間掛かる。また、弓立山自体もわざわざ登に行くほどの山ではない。この山を堪能するには、里道を辿り奥比企の山村のすばらしさを味わうことである。

 明覚駅から歩き始め、北から登って南・越生梅林に下るルートを歩いてみよう。典型的なローカル線である八高線の明覚駅の駅舎は何ともすばらしい。関東の駅百選にも選ばれた芸術的デザインの木造建築である。まさに木工品の村・都幾川村の面目躍如である。都幾川沿いの県道を西に向かう。行く手左に目指す弓立山、右手に雷電山、中央奥に笠山と堂平山が見渡せる。村役場、続いて都幾川中学校を過ぎると、八幡神社の下に登山口を示す立派な道標がある。登山道はよく踏まれている。緩急をまじえ、尾根筋を登っていく。山頂までわずか30分ほどであるが、山頂直下に「雄ヶ岩(現地の標示は男鹿岩)」と呼ばれる巨岩の露石帯がある。ベンチもあって休憩に最適である。巨岩の上に登ると、木々の合間に笠山や雷電山が見え、関東平野の彼方には大宮の高層ビル群も見える。地図を見ると、雷電山の中腹に「雌ヶ岩」との地名があり、おそらくこの雄ヶ岩と対になっているのだろう。

 雄ヶ岩から山頂までほんの5分ほどである。山頂は鬱蒼とした杉檜林の中の広々とした平坦地で、真ん中に三角点と山頂標示の木柱が立っている。展望も一切なく、明確な踏み跡もないため、うっかりすると方向感覚すら失う恐れさえある。山頂だけをとらえるならまったく登る価値のない山と云えよう。山頂から南にほんの2〜3分進むと、細い地道の林道に出、さらに数分で立派に舗装道路に出る。山頂部の一角に建つ大きな鉄塔に至る道路である。

 弓立山の一番のすばらしさは、その南面に展開する大附集落である。明るく大きく開けた緩斜面に風格を感じる家々が散開し、何とも味わいのある集落である。現在は北限のみかんの産地として売り出しており、10件の観光みかん園がある。また、地場産品の販売や簡単な食事もできる「大附ふれあいの里」という施設もある。都幾川村役場へのバスは一日2〜3本であるが、越生梅林まで歩いても一時間は掛からない。
(2002年7月記)