おじさんバックパッカーの一人旅
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2009年4月22日~5月3日 |
第9章 ヒッピーの溜まり場・パーイ
4月22日。昨日、サン・パサック村からチェンマイに戻った。今後、パーイを経由してメーホンソンに向うつもりである。ホテルのフロントでパーイへの行き方を聞くと、アーケードバスターミナルから1時間に1本ミニバスが出ているとのことである。7時30分チェックアウト、トゥクトゥクを捉まえてバスターミナルへ向う。このターミナルは大きいので、うまくミニバスの乗り場を探し当てられるか心配したが、運転手が確りと乗り場まで案内してくれた。 8時30分発車。12人乗りのワゴン車であるが、乗客は女性4人と中年の僧侶と私の6人、ガラガラである。しかも、車は新車、冷房もよく効き、リクライニングシートも快適である。しかし、同乗の僧侶の態度が何とも悪い。発車してから2時間、携帯電話を掛け続け、最後は後部座席で寝ころんでしまった。こんな輩でも僧なのか。あきれ果てた。
昼食後、早速、街に出てみる。その結果は驚きであった。街中にファランの若者が溢れている。しかも多くが、半裸で刺青をしたヒッピーである。街の繁華街も旅行者相手の店で埋め尽くされている。土産物屋、食堂、旅行社、レンタルバイク屋、ゲストハウス、ーーー。高層ビルも、ショッピングモールもなく、15分も歩けば横断できるほどの小さな街に、これほどの外人旅行者が溢れているとは意外であった。ただし、日本人の気配はまったくない。私なぞ、場違いのところに来てしまった感じである。
街中は見るべきものはないので、自転車を借りて郊外に行ってみたのだが、これは失敗であった。周囲は坂だらけで、多段変速式自転車でも乗り回すのは到底無理なことが分かった。それでも、自転車を押して、郊外の丘の上にある寺・Wat Mae Yenまで行ってみた。大きな涅槃仏があったが、期待した展望は得られなかった。くたびれ果てて座り込んでいたら、バイクの音高らかに中年の男性が登ってきた。日本語が話せる。国籍を聞いたら中国系タイ人だと名乗った。明日は、私もバイクを借りて郊外を回ろう。 夕方、街中を散歩していたら、旅行者の街から少し離れた場所で市が立っていた。この辺りが地元の人々の街なのだろう。山岳少数民族の姿もちらほら見られる。そして何と、アザーンが聞こえてきた。
第10章 象に乗り、温泉に浸かりーーー。パーイの1日 4月23日。昨夜は隣室のテレビの音が大きく、夜中の2時まで寝られなかった。ゲストハウスのいたるところに「10時を過ぎたらテレビを消すこと」と標示されているのだがーーー。冷房がなく、窓が開けっ放しなので、こういうことになる。
9時過ぎ、予定通りバイクを借りに行く。国際免許証を保持していないが、バイクは問題なく借りられた。しかも、ホンダの125CCの新車が、1日わずか100バーツ(約300円)、何と安いことか。オートマチックなので運転も簡単である。一応、無免許運転なので、捕まらないように、ヘルメットをかぶり、低速でのろのろ進む。あちこちに「ノーへルは500バーツの罰金」との張り紙はあるが、ヘルメットをかぶっているものなど皆無である。また、警察もまったく取り締まりはしていない。 先ずはガソリンを満タンにして、宿でもらった地図に「エレファント・キャンプ」とある場所を目指す。どんなところかよく分からないが、象に乗れるようだ。坂道もすいすい、文明の利器はいたって便利である。山裾を20分も走ると、小屋の中に何頭かの象が見られる。どうやらここらしい。何かまともな観光施設かと思っていたが、そうではないようだ。バイクを止め、聞いてみると、500バーツ払えば象に乗れるという。高い気もするが、せっかくここまで来たのだからーーー。
象に別れを告げ、再びバイクを走らす。地図には、この先に「Hot Spring」との記載がある。どんなところか知らないが行ってみることにする。10分も走ると、入り口に達した。100パーツの入場料を取る。どうやら今度はまともな施設のようだ。山裾に広がる広大な森の中を小川が流れる。何と、この小川がお湯なのである。小川は所々石で塞止められて、お湯溜まりとなっている。近くに簡単な脱衣所がある所を見ると、露天風呂なのだろう。更に緩やかに登って行くと、源流に達した。山肌からお湯が沸きだし、微かに硫黄の匂いがする。湯温80℃の標示があり、かなり熱そうである。
もはや行くところもない。周辺をのんびりドライブして街に帰る。明日、メーホンソンに行くつもりなので、バスのチケットを得ておこうとターミナルへ行ったが、「明日来い」と、けんもほろろに追い返されてしまった。予約は出来ないようだ。
第11章 激しい山道を辿り、メーホンソンへ 4月24日。朝、オーナーが「昨夜はよく寝られたか」と声を掛けてきた。気にしてくれているようだ。しかし、昨夜も隣室の女の声が1時半頃までうるさくて寝られなかった。今日はメーホンソンに行く。7時にバスターミナルへ行き、漸くバスの運行スケジュールが判明した。8時30分に公営の大型バスが出る。ただし、冷房なし、座席指定なしの普通バスである。9時30分に私営のミニバス(ワゴン車)が出る。こちらは座席指定の冷房車である。ミニバスを予約する。今日も朝からカンカン照りである。 パーイ盆地を抜けると激しい山道となった。ヘアピンカーブと上り下りが休む間もなく続く。そのためか、座席の掴み棒にはビニール袋が吊るされている。油断すると私も酔いそうである。約50分で、Pang Ma Pha の小さな街並みが現れた。数人の乗客が降りる。トイレ休憩もなく、車は再び山中に突き進んでいく。後で知るのだが、パーイとメーホンソンを結ぶこの道には1864個のカーブがあるとのことである。メーホンソンで売られているお土産用のTシャツには「1864Curve」の文字が盛んに染め抜かれていた。さほどに、凄まじい山道である。 途中2カ所、軍の検問があった。国境が近いことが感じられる。周りの山々には焼き畑の跡が見られるが、もはや耕作はされていない様子である。時々、山の斜面にへばりつく小さな集落が現れる。2時間以上走るがトイレ休憩の気配はない。メーホンソンまで直行するようである。さしもの急カーブの連続も終わり、街並みに入った。メーホンソンである。ただし、車は街並みを抜けて行く。んんんーーー、と思ったら郊外の真新しいバスターミナルへ入った。パーイを出発してから2時間半であった。 立派なターミナルだが、人影もなく、閑散としている。さてどうしたもんか。街まで歩くとなるとかなり時間が掛かりそうである。しかも、太陽がぎらぎら照りつけている。しばしうろうろしていたら、漸く一台のトゥクトゥクが来た。何処か宿を決めなければならないのだが、運転手は盛んにPrince G.H.を勧める。私は案内書に載っていたPiya G.H.を指示する。所が、着いたところはPrince G.H.、よほど紹介料がもらえるのだろう。怒鳴りつけて、Piya G.H.に行かせる。料金は1泊600バーツと少々高めであったが、広い庭を囲むようにバンガローが点在する素晴らしい宿であった。部屋も広く清潔、もちろん冷房完備である。ゲストハウスというよりリゾートホテルの趣である。
チェンマイの北西約245キロ、パーイの西約110キロ、ミャンマーとの国境近くに位置するメーホンソンは、タイ最奥の辺境の街と言える。山また山によって北タイの中枢部からも隔離され、むしろサルウィン川流域(ミャンマー)に近い。歴史的に見ても、北タイ文化圏ではなく、シャン文化圏に属する。住民もタイ・ユアン族ではなく、タイ・ヤイ族(シャン族)が主体である。また周辺にはカレン族、モン族、ラフ族、リス族などの山岳少数民族の村々が点在している。 注1) タイ・ユアン族ーータイ族の一派。タイ北部の主要民族。ラーンナー王国を建国した。
この街は自然豊かな美しい街として知られている。特に、街を幻想的に覆う朝霧が有名で、「霧の街」との別称を持つ。その美しさがどれほど評価されているかの1例を示すと、書籍「死ぬまでに1度は行きたい世界の1000カ所 ハトリシア・シュルツ著、イースト・プレス社発行」に取り上げられている。いわば、世界のベスト1000にも入る美しい街である。
チョーン・カム湖畔を離れ、街中に歩を進める。典型的な田舎町なのだが、所々にハッとするタイ・ヤイ様式の建物を見る。ツーリストポリスがあったので立寄って地図をもらう。係官は愛想がいい。続いて大きな市場があった。ただし、真っ昼間のためか中は閑散としている。 それにしても強烈な熱さである。街に1軒あるコンビニに逃げ込む。ここは冷房が効いて涼しい。街を歩き回って意外に思ったことがある。観光客の姿がほとんどないのである。2~3組み見かけたがいずれも中老年の白人、パーイには白人の若者があれほど溢れ返っていたのにーーー。観光地としてはパーイよりメーホンソンの方が遥かに名が知れているのだがーーー。 夕方、いくらか涼しくなったのでワット・プラ・タート・ドーイ・コーン・ムーへ行ってみることにする。街の西、標高424メートルのコーン・ムー山頂に建つ寺院である。チョーン・カム湖と並んで、メーホンソン最大の見所である。街の何処からでも山頂に建つ仏塔を望むことができる。山頂からの展望は絶佳で、メーホンソンの街とミャンマーに続く山並みが一望できるとのことである。 登り口がわからず、丘の麓のワット・プラ・ノーンで、小坊主に聞いてみると、参道まで案内してくれた。山頂に向って長い長い石段がつづら折りに続いている。覚悟を決めて石段に挑む。山頂まで車道も通じているためか、この参道を歩いて登っているものはいない。登るに従い、眼下にメーホンソンの街並みが広がっていく。15分も頑張ると、上空で人声がして迂回してきた車道にでた。ここから、ワット・プラ・タート・ドーイ・コーン・ムーまでは一足張であった。
第13章 メーホンソンの1日 4月25日。朝起きるも、名物の朝霧はない。いい天気である。昨日、メーホンソンの見所は全て行ってしまったので今日はやることもない。本来、メーホンソンのもう一つの楽しみ方は、郊外の山岳少数民族の集落を巡ることであるようだが、民族を見せ物とするようなツアーに行く気はない。まぁ、のんびりとこの美しい街を楽しもう。ただし、一つやることがある。明日、チェンマイに戻るつもりなのでバスのチケットを予約しておく必要がある。宿で確認すると、予約はバスターミナルまで行かないと出来ないとのこと。少々遠いが、歩いて行ってみることにする。 炎天下をテクテク歩く。30分も歩いて漸くバスタヘミナルへ着いた。相変わらず閑散としている。無事に明日9時発のミニバスを予約できたのだが、発車1時間前に来て再確認をしないと予約無効だという。何と意地の悪いことかーーー。
第14章 チェンマイへの帰還 4月26日。今日はチェンマイへ戻る。朝6時に起きると、雲が低く立ちこめ、今にも降りだしそうな天気である。そろそろ雨期が始まるのであろうか。頼んでおいたトゥクトゥクが7時40分に迎えに来た。宿のおばさんが笑顔で見送ってくれた。何とも感じのよい宿であった。バスターミナルで予約の再確認は無事すんだが、発車まで1時間も待たなければならない。待つ間に、ついに雨が降りだした。 発車前に運転手が予約リストに基づき乗客を一人一人確認する。しかし、1時間も前から待っていたのは私一人、他の乗客は発車間際にやって来る。「1時間前に来て予約を再確認せよ」というのは外国人にのみ課しているのだろうか。何となく解せない。 ワゴン車は定刻の9時に出発した。街並みを抜け、山岳地帯に入ると雨が激しさを増した。それでも車はスピードを落とすことなく連続するヘアピンカーブを突き進んでいく。2カ所の検問を経て、Pang Ma Phaの小さな街並みに達すると雨も小降りとなった。しかし、車は停まることもなく再び厳しい山道へと入る。今度はものすごいガスの中に突入した。視界は10メートルほどか、前がまったく見えない。さすが、車は大幅に速度を落とし、ヘアピンカーブをこなしていく。それでも出発してから2時間半、懐かしいパーイのバスステーションに到着した。 15分のトイレ休憩の後、乗客が入れ替わることもなく出発、チェンマイを目指す。相変わらず厳しい山岳ドライブだが、雨は降ったり止んだりの小康状態となった。漸く山岳地帯を抜け里道になるとほっとする。Mae Taengの街で国道107号に合流、車は時速100キロものスピードで飛ばす。14時45分、無事にチェンマイのアーケードバスターミナルへ到着した。
4月27日。今日はタイ最北端の街・メーサイへ行く。メーサイは過去2度も訪れており、特別行きたいわけでもないが、メーサイからミャンマーへちょっと入国してみたい。メーソットでミャンマーへ入国し損なったので、悔いを残したくないとの思いがある。9時チェックアウト、ソンテウを捉まえてバスターミナルへ行く。いい具合に9時30分発のチェンライ行きバスに乗れた。 Mae Khajangまでは数日前にパヤオへ向った道、15分のトイレ休憩の後、チェンライに向け北上する。珍しいことに、中年の白人が一人乗車している。ロンリープラネット(世界的に有名な英文の案内書)を開いて、車掌に一生懸命聞いているが、何せ英語は通じない。峠を越え、そろそろチェンライと思ったら、13時、何とバスは真新しいバスターミナルに到着した。ここが、終点チェンライのバスターミナルだという。チェンライのバスターミナルは街のど真ん中にあったはずなのだがーーー。一瞬ポカンとする。聞いてみると、今月からこの新しいターミナルに移ったとのこと。チェンライの街から10キロほど南の地点である。しかも、メーサイ行き等県内行きのバスは旧ターミナル発着だという。思わぬ事態である。ただし、旧ターミナル行きのソンテウが頻発していた。すぐに乗り換えて、15分ほどで、無事見慣れた旧ターミナルへ到着した。 ここまで来れば勝手知っている。13時30分発のメーサイ行き小型ぼろバスに乗り換える。バスはチェンライの街並みを抜け、国道1号線をトコトコと北上する。乗客が乗ったり降りたり、完全なローカルバスである。いつもの検問を抜け、メーチァンの街へ。田園風景の中を更に北上すると再び検問があった。到着したメーサイのバスターミナルは街から10キロも南に位置する。ソンテウに乗り換えて街に向う。途中、巨大なスーパーマーケット、テスコ・ロータスが新設されていた。15時30分、国道1号線の終点、すなわちミャンマーとの国境ゲートでソンテウを降りる。ついに、タイ最北端までやって来た。ワン・トン・ホテルにチェックインする。朝食付き850バーツであった。宿泊者はほとんどおらず、ガラガラの様子である。夜、激しい雷雨となった。
橋の袂が国境の街独特のマーケットとなっている。路地の両側に小さな店がぎっしりと並び、土産物や中国製の雑貨を売っている。違法なコピー商品も多い。その中を怪しげな物売りが歩きまり、偽タバコ、バイアグラ、麻薬、或いはオンナを通行人に勧める。マーケットは賑わっている。ただし、以前は欧米人や日本人が多かったが、今やタイからの観光客が主力である。物売りも以前ほどしつこくはない。
このタチレクの街を訪れるのは三度目である。そして、来るたびに印象が異なる。2004年に最初に訪れた時の印象は「恐怖」であった。物乞い、物売り、客引き、その他得体のしれない人間がしつこく付きまとい、街の見学どころではなかった。そしてまた、タイと比べ「貧困」が強く感じられた。2006年、二度目にに訪れたときは「ミャンマーも少しはまともになったかな」であった。物売りのしつこさも減り、街中を一人歩き回れる雰囲気となっていた。ただし、タイとの経済的格差は未だ顕著であった。今回の印象は「なんだ、タイと余り変わりないではないか」である。国境の街特有の怪しさは残るものの、危険の匂いはまったくしない。人々の服装もこざっぱりし、「貧困」のイメージはない。街には車とオートバイが溢れ、アジアの普通の都市である。
第17章 古都・チェンライ 再び国境を越え、11時30分、タイのメーサイの街に戻る。パスポートには確りミャンマーの入国、出国印が押されていた。これからチェンライへ行くつもりである。ホテルで荷物を受け取り、ソンテウでバスターミナルへ向う。客を求めてのろのろとターミナルから出て来たチェンライ行きのバスと行き合った。車掌が飛び降りて、私を迎え入れる。田舎のバスは客さえいれば何処でも停まる。途中の検問では、ミャンマー人らしき乗客は荷物を詳細に調べられていた。13時30分、無事にチェンライに着いた。何度かお世話になったゲストハウスにチェックインする。今回の旅はここが終着点である。天気に恵まれ、予備日を使わなかったため、日程が余った。チェンライは私の好きな街だ。この街で2~3日のんびりと過ごすことにする。
市場を抜け、暫く歩くと目指すワット・プラケオに達した。チェンライでもっとも人々の崇拝を集めている寺である。そして、この寺はタイの国家守護仏であるエメラルド仏の故郷として知られている。現在、バンコクのワット・プラケオに祀られ、国家最重要の御仏として崇められているエメラルド仏は、1434年、ラーンナー王国統治下チェンライのこの寺で誕生した。落雷で破壊された仏塔の中から漆喰に包まれた姿で発見されたという。その後、この御仏は歴史に翻弄されながらタイ、ラオスの各地を旅する。その旅路はチェンライ→ランバーン→チェンマイ→ルアンプラバン→ビエンチャン→トンブリ→バンコクと続いたのである。
本堂の南側に二階建ての大きな建物がある。前を通りかかると、以前は気がつかなかったのだが、「博物館」との小さな標示が目に入った。上がり込んでみると、寺の寺宝が整然と展示されていた。通りかかった老僧が「どこから来ましたか。どうぞごゆっくり」と挨拶して去ると、室内は無人である。防犯などという概念はこの寺には微塵もない。本堂もエメラルド仏の御堂も同様であった。「ここは御仏の座すところ」との自信と信念がにじみ出ている。私は、タイの多くの寺の中で、この寺が一番好きだ。
夕闇迫る道を市街に戻る。帰りがけに、ワット・プラシンに寄る。14世紀創建と伝えられ、ワット・プラケオと並ぶチェンライの古刹である。境内は小坊主どもが夕方の掃除に余念が無かった。
第18章 チェンライの1日
『Nan Ing Gate』『Chiang Mai Gate』『Wai Gate』『Pa Daeng Gate』『Phi Gate』『Khatam Gate』『Tha Nak gate』『Tha Sai Gate』『Tho Gate』『Yang Soeng Gate』『Jao Chai Gate』『Sri Gate』 同時に、王都・チェンライの城域が、現在のSinghaklai通りとPhaholyothin通り、およびチョムトンの丘に囲まれる範囲であったことを知る。案内書には城門についてなど一編の記載もない。今日はどうせ暇だ、12の城門を尋ねてみようか。
午後から今度はSinghaklai通りの城門を探しに行く。『Khatam Gate』と『Tha Sai Gate』の石碑は確認したが、『Tha Nak gate』と『Nan Ing Gate』は確認できなかった。以上の探索により12の城門のうち8つの城門を確認しえたことになる。
第19章 赤服と黄服 4月30日。今回の旅は天候に恵まれ、ただの1日も雨に降り込められることがなかった。このため、予備日としていた今日1日が完全に余った。何処で過ごしてもよいのだが、ここチェンライで過ごすことにする。とは言っても、もはやこの街に見学するところもないがーーー。
近くなので、またまたワット・プラケオに行ってみた。早朝にもかかわらず既に開門していた。少年僧が托鉢から続々と返ってくる。エメラルド仏に朝の御挨拶をしてゲストハウスに帰る。 朝食を済ますと、もはややることもない。宿の親父と雑談する。思いのほかタイの歴史に詳しい。「タイの歴史教育は現王朝に遠慮して、ねじ曲げられている。戦前の日本と同じだ」などとドキッとするようなことを平気で言う。更に彼は「現在の黄服(反タクシン派)と赤服(タクシン派)の争いに見られるタイ社会の深刻な亀裂は、中国の影響力増大がもたらした現象だ」と言う。『風が吹けば桶屋が儲かる』の嫌いはあるが、彼の意見に少々耳を傾けてみる。
第20章 旅の終焉 全ての日程が終わった。北タイの歴史を見、そして現在を見、更には未来を感じ取る旅が終わった。訪れるたびに、この国は変化している。そして、その変化はますます速度を増しているように思える。或いは、激動の入り口に差し掛っているのかも知れない。 次に訪れるとき、この国はどんな顔をして迎えてくれるであろうか。明日、帰国に向けてバンコクへ戻る。そして、日本に帰る。大空を泳ぐ鯉のぼりが迎えてくれることだろう。そして我が家の軒先では、一足先にタイから戻った燕の夫婦が子育てを始めているはずである。
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