猿見石山から天狗石山へ 

大井川流域から藁科川流域へ

1997年3月30日

              
 
白沢温泉入口バス停(800)→大沢入口(815)→大沢集落(820)→神社(825〜835)→尾根(850)→NHKアンテナ(930〜940)→猿見石山(1015〜1025)→送電線鉄塔(1055〜1100)→天狗石山(1200〜1215)→智者山(1240〜1245)→崩野分岐(1300)→崩野集落(1420)→県道(1510)→日向バス停(1550〜1623)

 
 この冬は典型的な暖冬であった。1月末には梅が満開となり、3月に入ると春の気配が濃厚となった。駿府公園の桜は既に八分咲である。安倍奥最奥の山・山伏を頂点として大井川と富士川の間に展開する山並を私は勝手に自分の縄張りと規定している。昨年10月に千葉山に登り、この山域の主だった山々はすべて踏破し終わった。ただし、まだ重箱の隅を突いたような山々がいくつか残されている。猿見石山もその一つである。大井川左岸稜上の天狗石山から大井川に向かって延びる支稜上の1115.7 メートル三角点峰を猿見石山と呼ぶことを雑誌で知った。もちろん、地図に山名の記載はない。大井川河畔の大沢集落から踏み跡があるとのことである。どうせなら、踏み跡があるかどうかわからないが、猿見石山から更に支稜を辿って天狗石山まで登り詰めてみたい。3年前の4月、大井川左岸稜を七ツ峰ー天狗石山ー智者山と縦走したが、天狗石山山頂付近から八木白沢温泉へ下る踏み跡があった。おそらくこの踏み跡が猿見石山に通じているのであろう。問題は下山ルートである。前回は智者神社から大井川筋へ下ったので、今度は藁科川筋へ下ってみたい。ただし、藁科川筋へはまともなルートもなく、また、崩野集落からバス停のある日向集落まで約2時間の車道歩きが待っている。

 夜明け前の4時40分に家を出る。このところ何やかやと休日が潰れ、実に1ヶ月半ぶりの山行きである。未明けまで二つ玉低気圧による春の嵐が吹き荒れていたが、雨は上がっていた。金谷発6時15分の大井川鉄道一番列車に乗り、7時30分千頭駅着。寸又温泉行きのバスは7時55分発であった。わずか5分で白沢温泉入口バス停に着く。今日はまさに台風一過。空は真っ青に晴れ渡っている。バス停二つ先の大沢入口でバスを下りるのが正解だったようで、約15分無駄な車道歩きを余儀なくされた。この地点は大井川が円を描くように360度蛇行しており、道路の左側も右側も大井川が流れていて変な感じである。橋を渡って大沢集落に入る。戸数10数戸の小さな集落である。人影はなく集落中の犬が闖入者の気配を感じて吠え声を上げる。目指すは集落上部の神社である。恐ろしく急な階段を登ると神社境内に着いた。

 神社の背後より猿見石山から南西に伸びる尾根に登り上げる。杉檜林の中、ジグザグを切っての急登である。既に蜘蛛が活動を開始したと見えて糸が顔にかかる。約15分で尾根に達した。反対側からも確りした踏み跡が登ってきており、道標が「谷畑を経て奥泉」と示している。ここより尾根を辿ることになる。尾根上にも確りした踏み跡がある。5分も登ると、再び谷畑からの踏み跡が合わさる。道標はどれも猿見石山を「大沢山」と標示している。杉檜に覆われた緩やかな尾根をひたすら登る。踏み跡に沿ってケーブルが張られている。上部にテレビの受信設備があるようである。支柱の番号が励みになる。にわかに急となった斜面を登ると、NHKのテレビ受信アンテナがあった。小休止をとる。天気はよいが、上空では風がうなりを上げている。

 ここから踏み跡は急に細くなった。所々打ち枝に隠され、ルートファインディングに気を使う。山頂間近に迫ると、まだ若い檜の植林地帯となり、にわかに展望が開ける。待ちに待った瞬間である。二十万図は持ってこなかったが、見つめるほどに山々が同定ができる。目の前に高々とそびえ立つのは沢口山だ。その左に三角錐が天を衝いているのは天水、沢口山の右奥には前黒法師岳がどっしりとそびえている。そのさらに右には寸又川が深く切れ込み、その遙か奥には何と池口岳の双耳峰が見えるではないか。視界の一番右にそびえる大きな山は朝日岳だ。眼下には大きく蛇行する大井川が白く光っている。ここはまさに南アルプス深南部の展望台である。山頂に向け最後の急登となるが、背後の展望が気になる。前黒法師岳の背後に黒法師岳が見慣れた三角錐が現わす。朝日岳の右手には大無間山も見えてきた。振り返り振り返り登ると、そこは猿見石山山頂であった。

 山頂は通り過ぎてしまいそうな尾根上の小さな高まりで、三角点と小さな山頂標示がぽつんとあった。この山に登る者は年に何人もいないだろう。北側は自然林となっており、あせびが真っ白な筒上の花をびっしりとつけている。山ももう春である。南側は3メートルほどの檜の植林となっいて、木々の間ながら深南部の展望が得られる。天水の左には蕎麦粒山、高塚山も見える。上空では風がものすごい唸り声を上げて吹き荒れているが、注ぐ日の光は暖かく汗ばむほどである。

 一路天狗石山を目指して尾根を辿る。ここから先尾根は痩せ、ザイルや鉄索が張られた岩場の下りが現われる。いくつかのコブを越える。鉄製の桟道も二か所現われる。登山者が来るとも思えないこんな尾根になんでこれほどの整備がなされているのか不思議である。行く手には大井川左岸稜の主峰・七ツ峰と、これから向かう天狗石山が木の間隠れに見える。足元には赤く色づいたイワカガミの群生も見られる。30分も進むと送電線鉄塔が現われ、ようやくまともな展望が開けた。目の前に朝日岳から大無間山へ続く稜線が壁のごとくそびえ立ち、その右手遙か奥には山伏さえも望まれる。5分ほどで八木白沢温泉への下山路が右に分かれ、さらに1分で奥大井湖上駅への下山路が左に分かれる。この地点を白倉峠と言うらしい。尾根筋の消えた樹林の中の急登となると、続いてきた確りした踏み跡が怪しくなる。緩急を繰り返しながら、薮っぽい踏み跡をひたすら登り続ける。やがて傾斜が緩み、緩やかにうねった広々とした台地が現われた。山頂部の一角である。

 ちょうど正午、ついに天狗石山山頂に達した。この頂は3年ぶり二度目である。気持ちのよい雑木林に囲まれた山頂は木漏れ日が溢れ暖かい。人の気配はまったくなく、静かな静かな頂である。最近は登る人も増えたと見えて、山頂には4年前にはなかった七ツ峰を示す道標も設置されている。小休止後、智者山方面に向け稜線を南に辿る。あてはないが、どこかに崩野集落へ下る踏み跡がありそうなものである。見つからなければ、智者山から智者神社を経由して千頭へ下らざるをえない。次の1,327メートル標高点峰との鞍部に達すると、何と「崩野」を示す確りした道標があり、踏み跡が左に下っているではないか。4年前にはなかった道標である。これで下山路は確保された。ひと安心である。

 このまま下ってもよいのだが、時刻はまだ12時半前、ここまで来たからには智者山に寄っておこう。ここから15分程のはずである。そのまま稜線を南に向かう。天狗石山から智者山にかけての稜線は広々とした緩やかな大地のうねりで、落葉広葉樹の林となっいる。なんとも気持ちのよいところである。4年前には木々の芽吹きの美しさに感動したが、冬枯れの林もまたすばらしい。木の間隠れにこの稜線の主峰・七ツ峰と青空に解け込むような真っ白な富士山が見える。1,327メートル峰を越え、少し登ると智者山に達した。2年半ぶり三度目の頂である。この山頂も雑木林に囲まれた静かな気持ちのよいところである。小休止後、崩野分岐まで戻る。

 見たところ踏み跡は明確だが、先はどうなっているかわからない。崩野集落から天狗石山や智者山に登る者はほとんどなく、まともな道はないということを聞いている。いずれにせよこの踏み跡を下る以外にない。山腹をトラバースしながら緩く下っていくと、広く開けた場所に出る。と同時に踏み跡は怪しくなる。バイケイソウと思われる新芽が大地からたくさん顔を出している。山にも春の息吹が感じられる。スズタケの密生に突入する。やはりこの登山道はかなり荒れている。やがて伐採跡に出た。展望が開け見慣れた藁科川奥の山々が望まれる。天狗岳から夕暮山に続く緩やかな稜線、中村山と釜石峠を挟んだ突先山、その背後には大棚山。眼下には藁科川奥の山上集落・楢尾、崩野、登り尾、八草が見える。ただしこのカヤトの斜面はルートがわかりにくい。所々に楢尾小学校の立てた道標がある。児童数わずか10数人の小さな小さな山の小学校だ。子供たちがこの荒れた登山道を登ったのだろう。杉檜の植林に入り踏み跡がにわかにはっきりしたと思ったら二つに分岐した。テープもなく、どちらに行っていいのかさっぱり分からない。右は八草集落、左は崩野集落と見当をつけ左の道をとる。どっちみちどこかに下るだろう。樹林の中をどんどん下っていく。茶畑、続いて墓地が現われ、すぐに道路の末端に飛び出した。崩野集落の上部である。道標があり、下ってきた道を「天狗石山」、道路の続きをそのまま登る踏み跡を「智者山」と標示している。

 集落に入る。この崩野集落は藁科川奥の戸数約20戸程の典型的な山上集落である。よくもこれほどの山奥に集落を発達させたものである。周りは茶畑に囲まれ、崩野川を隔てた反対側の山上には楢尾集落が見える。ひときは大きな建物は楢尾小学校であろう。さてここより日向のバス停まで長い長い車道歩きである。通る車とてない車道を50分辿ると、藁科川に沿った県道南アルプス公園線に達した。さらに県道をひたすら歩く。3時55分、ついに静岡行きのバスの出る日向バス停に辿り着いた。

 今日も一日山中でまったく人に会わず、静かな山旅を満喫できた。猿見石山から天狗石山への稜線も踏み跡があり、また、崩野への下山路も無事確保できノートラブルの山行きであった。山にも既に春の息吹が感じられ、藪山シーズンもそろそろおしまいである。