中央線沿線の山 石老山と嵐山 

登り残してあったハイキングの名山に

2013年9月28日


 
石老山頂より富士山を望む
大明神展望台より相模湖と景信山を望む
                            
石老山入口バス停(828)→相模湖病院(844)→顕鏡寺(902〜911)→飯綱権現社(927)→融合平見晴台(943〜950)→石老山山頂(1020〜1035)→篠原分岐(1038)→大明神山(1111)→大明神展望台(1117〜1123)→林道(1152)→相模湖休養村キャンプ場(1156)→車道(1159)→最初の集落(1205)→国道412号(1212)→嵐山1.6キロ地点(1235)→鉄塔ピーク(1313)→嵐山山頂(1321〜1333)→嵐山登山口(1355)→相模湖駅(1412)

 
 今から30年ほど前、中央線沿線の山々を精力的に歩き廻った。高尾駅から先の中央線の左右に展開する山々である。この山域の山々はほぼ登りつくした観があるのだが、どういうわけか、高尾山と並んでこの山域で最も有名な山・石老山が未踏のまま残されている。関東百名山や日本百低山に列する名の知れたハイキングの山である。

 いつまでも未踏のままほ放って置くわけにもいかない。鴻巣からは少々遠いが、行ってみることにした。ただし、石老山だけでは半日行程、せっかく高い運賃を払っていくにはもったいない。地図を調べてみると、隣りに「嵐山」という低山があり、ハイキングコースが開かれている。聞いたこともない山だが、ついでに登ってこよう。

 各地に大雨をもたらし、我が農園のゴーヤ棚を破壊した台風18号も去り、季節は本格的な秋を迎えた。今日も一日秋晴れが続くとの予報である。その代わり、朝の気温は、この秋最低、15度Cを下回る寒さであった。北鴻巣発6時11分の高崎線上り列車に乗り、浦和、南浦和、西国分寺、高尾と乗り換える。土曜日の早朝にも関わらず、どの列車も満員であった。

 8時10分、中央線相模湖駅で降りる。車内には大勢のハイカーがいたが、この駅で降りたのはほんの数組であった。駅構内から南方を望むと、これから登る石老山が青空のもと、朝の光に輝いている。山頂部は幾つもの瘤が並び、どれが山頂なのかよく分からない。

 駅前より8時20分発の石老山登山口を経由する三ヶ木行きのバスに乗る。数人の乗客を乗せたバスは相模湖畔を走り、数分で石老山登山口バス停に到着した。降りたのは中年の単独行者と夫婦連れ、私を含めて3パーティだけであった。ポピュラーな山だけにもう少し賑わうと思っていたがーーー。

 バス停の前には、石老山登山の案内図と立派な公衆トイレが設置されている。国道を離れ、集落の中の緩やかな上り坂となった鋪装道路を辿る。辻々には石老山を示す道標が建ち、迷うことはない。足早に15分も歩くと、目標となる相模湖病院に到着した。集落の外れに建つ精神科の病院である。その駐車場の脇から、道標に従い山中に入る。いよいよここからは登山道である。

 頭ほどの大きさの石を敷きしめた道を少したどると、大岩の間を縫う山道となった。石老山名物の礫岩の大岩が次から次へと現れる。

 石老山礫岩についての説明板がある。

  『石老山の登山道で見られる岩石は礫岩(礫という直径2mm以上の石のかけらが泥や砂とともに固められてできた岩)という種類の岩石で石老山礫岩と呼ばれています。石老山礫岩は、今から約600万年前に、深さ数千メートルもある海溝(海底が細長い溝状に深くなっている場所)にたまってできました。海底にあった礫岩が、現在、石老山で見られるのは、地球の表面を覆っている岩盤(プレート)の動きによって押し上げられて、山になったからです』

 大岩には各々もっともらしい名前が付けられ、その曰く因縁を記した説明書きが添えられている。「滝不動」「屏風岩」「仁王岩」。辺りは鬱蒼とした杉林である。更に大岩が続く。「駒立岩」「力試岩」「文殊岩」。急な石段を登り詰めるとそこが顕鏡寺であった。石老山中に建つ古義真言宗の古刹である。人の気配もなく、山中静かな佇まいである。境内には「道志岩窟」と呼ばれる岩窟がある。中に「福一満虚空蔵尊が安置されており、顕鏡寺の寺宝とされている。参拝している間に二パーティが追い越していった。

 「蓮華岩」「大天狗岩」を過ぎると、登山道が二分する。道標があり、右の道を「山頂 桜山展望台経由」、左の道を「山頂 八方岩経由」と示している。どちらの道を採っても山頂には行けそうであるが、道の状況もほぼ同じで、どちらが本道なのか分からない。持参の登山地図にもこの分岐は記載されていない。立ち止まって「さあてとーーー」と考えていたら、単独行の男性が追いついてきた。彼は「どっちでもいいんでしょう。私は右の道を行ってみます」という。「じゃあ、私は左の道を行ってみます。頂上で会いましょう」と左右に分かれた。結局彼とは再会しなかったがーーー。

 相変わらず大岩が続く。「鏡岩」「小天狗岩」「吉野岩(弁慶の力試岩)」、そして石老山一番の巨岩といわれる「擁護岩(雷電岩)」の下には飯綱権現社の小さな祠が祀られていた。この社が顕鏡寺の奥社であるらしい。さらに「試岩」を経て「八方岩」に達すると、今日初めて展望が開けた。ベンチが備えられた小規模な展望台となっていて津久井方面を見渡せる。また、初めて目指す石老山の山頂部を眺めることができる。

 地形が大きく変わり、鬱蒼と茂る杉林の中の緩やかな道となる。もはや礫岩の大石は姿を消した。緩やかに登ると「融合平見晴台」に到着した。視野は狭いながらも北方に視界が開け、眼下に相模湖と与瀬の街並みが望まれる。その背後には景信山、陣馬山、生藤山と続く奥高尾の山並みが連なっている。幾つかのベンチとテーブルが設置されているので、小休止して持参のパンを頬張る。今日初めての食事である。

 中年の夫婦連れがやって来たのを汐に腰を上げる。樹林の中をしばし登ると、尾根に登り上げた。緩く、きつく尾根を辿る。人影はない。10時20分、見晴台から30分ほどでついに石老山山頂に達した。樹林の中の緩やかな高まりで、幾つかのベンチとテーブルが設置されている。名の知れたハイキングの山にしてはいささか地味な頂きである。単独行の先着者がいたが、私と入れ違いに下っていき、山頂は私一人のものとなった。

 頂きは南西の方向のみ樹木が切り払われて狭いながらも視界が開けている。覗いてみると、累々と続く山並みの背後に富士の姿がすっくと浮かんでいる。今日は何と視界がよいことか。嬉しくなった。その前面に連なる山並みは道志山塊の山々であるが、同定はできない。写真を撮って、帰ってからゆっくり同定を試みよう。

 ベンチに座り、再びパンを頬張る。山頂にあるはずの694.3メートルの三角点を探してみたが見つからなかった。そして、この三角点は下山途中に思わぬところで見つけることになる。融合平見晴台で入れ違った夫婦連れがようやく登ってきたのを汐に下山にかかる。

 「大明神展望台」への標示に従い西に続く尾根道を緩く下っていく。200〜300メートル下ると登山道脇の薮の中に三角点を見つけた。側には消えかけた文字で「石老山三角点 694.3m」と書かれた板切れが転がっている。「あれっ!」と思い、立ち止まる。「何で山頂でもないこんなところに三角点がーーー」。どうやら、これが、先ほど山頂で探し求めた694.3メートルの三角点らしい。ということは、石老山の標高に問題が生じることになる。持参の登山地図も含め、あらゆる登山文献、登山記録の類いが石老山の標高を694.3メートルと記しているが、その標高は間違いということになる。帰ってから調べてみよう。

  『石老山の標高について』
 二万五千図を確認すると、石老山の山頂には702メートルの標高点が記されている。この高度が石老山の正しい標高である。また山頂の200メートルほど西側斜面に標高694.3メートルの三等三角点「石老山頂」がある。この三角点の位置は山頂ではない。しかるに、ありとあらゆる登山案内書、登山記録、登山地図の類い、或いはネット上の情報も石老山の標高を694.3メートルと記している。これは明らかな間違いであり、ちょっと異常である。おそらく、三角点を山頂とするおかしな習慣、およびこの三角点の「石老山頂」という紛らわしい名称から来ているのであろうがーーー。

 昔、静岡市郊外の大棚山に登ったときのことを思い出す。この山は標高1035メートルの標高点が山頂にある。ところが山頂の下の東斜面に1007.6メートルの三角点がある。この三角点まで登ってきて下山しようとする女性に「せっかくだから山頂まで行ったら」と余計なアドバイスをしたところ、「ここが山頂でしょ。だって三角点があるじゃないの」と食ってかかられたことがある。「山で一番高いところを山頂というならここではない」と反論したがーーー。三角点の周りには多くの山岳会の登頂記念プレートが置かれていたのも事実である。

 三角点のすぐ先が「篠原分岐」であった。立派な道標が、尾根伝いにそのまま直進する道を「篠原 2.0km」、右斜面を下る道を「大明神展望台 1.5km}と標示している。私のたどるべきルートである。丸太で階段整備されたやや急な下りが長々と続く。更に、小さなピークを幾つも越えながら次第に高度を下げていく。樹林の中の尾根道である。時折、左側の樹林の合間に富士山の姿がちらりちらりと見え隠れする。下から人声がして男女4人パーティが登ってきた。

 小さな石の祠が安置されている小峰に達する。樹林の中の何の変哲もないピークだが、道標が「大明神山」と示している。地図上の551メートル標高点ピークと思われる。そこからほんの5分、次のピークが大明神山展望台であった。鉄柵で囲まれた展望台が設置されており、西から北にかけて大展望が得られる。幾つかのベンチ、テーブルも設置されているのでひと休みすることにする。

 展望台に立つと、目は自ずから南西に向う。そこにくっきりと富士山が見えるゆえに。やはりこの山は、世界遺産であろうがなかろうが、日本の誇る世界一の名峰であろう。今日は何と視界がよいことか。富士山の左手手前には、大室山が三角形の山体を青空に突き上げている。目を大きく北へと巡らせば、眼下に相模湖が見え、その背後に景信山を中心とした奥高尾の山々が連なっている。

 いよいよ最後の下山行程に入る。岩や石の露出した急坂を下る。危険というほどでもないが、ハイキングの山にしてはかなりの悪路である。周りは鬱蒼とした杉林で、もはや展望は一切ない。岩角を踏んでひたすら下る。展望台から30分。ついに林道に下り着いた。道端に場違いのように立派な公衆トイレがある。ただし、入り口の「蜂、ヘビに注意」の立て札が不気味である。

 すぐに相模湖休養村キャンプ場に達する。多くのバンガローが建ち並んでいるが人影はない。箕石橋を渡って県道517号線に出る。車道をのんびりと下ってゆくと集落に入る。あちこちに「渡船乗船場」の案内板が立つ。ここから、相模湖を横断し、鉄道駅近くまで行くことのできる船便があるらしい。すぐにバスの通う国道412号線に達した。石老山からの無事の下山である。

 この地点に「プレジャーフォレスト前」バス停がある。バスで相模湖駅に戻るのが普通なのだろうが、石老山だけではまだ歩き足らない。時刻もまだ12時12分で時間の余裕もある。計画通りもうひと山、嵐山を越えることにする。嵐山は相模湖東岸に聳える標高405.9メートルの小峰である。その姿形が京都の嵐山に似るゆえに嵐山と呼ばれるようになったとのこと。いかにも俗っぽい名前である。山頂を東海自然歩道が通っているためハイキング対象となっている。山頂からの展望は絶佳で「かながわ景勝50選」に選ばれている。

 道標に導かれて、国道412号選を横切る。この辺りを「ねん坂」と言うらしい。人家の裏手から畑中の畦道を登る。山頂までの標準時間は1時間30分である。振り返ると、登ってきたばかりの石老山がすっくとそそり立っている。

 道はすぐに、右側に広がるプレジャーフォレストというレジャーランドとの境となる金網に沿うようになる。左側も私有地とを分ける金網で、左右金網に挟まれた人がやっと一人通れるほどの狭い隙間に追い込まれる。両側から草も覆いかぶさり、ヘビでも這いだしてきそうないやな道である。意外なことに、こんな山にも登山者がいた。上から若い女性が一人、続いて幼児を連れた若い夫婦が下ってきた。幼児はくたびれたと見えてぐずっている。「2時間かけてどうにかここまで下ってきました」と若い母親が訴える。

 金網の壁を抜けると、道は林の中をのたうつように登っていく。少々薮っぽいが、道型ははっきりしており、頻繁に道標があるので不安はない。一峰に達すると、今度はジグザグを切ってぐんぐん谷底めがけて下りだした。あまり下るので、ルートはこれでいいのかと少々不安になる。ようやく下り切って谷の上部をトラバースするようになる。片側は谷底に向って鋭く落ち込んでおり、少々危険な匂いがする。先ほどの幼児がここを歩いたと思うと感心する。「嵐山1.6km   ねん坂0.8km」の道標が現れた。山頂までまだ三分の一きり来ていない。危なっかしげな木橋を二つ渡る。

 ジグザグの急登をし、ピークを一つ越え緩く下る。ようやく「嵐山1,2km  ねん坂1.2km」の標示が現れた。ここで山頂までの道程の半分である。やがてゆったりとした地形が現れた。辺りはただ一面の竹林である。実に美しい。その奥に1軒のログハウスが見えるが人の気配はない。単独行の男性とすれ違う。

 細い木橋を渡ると、本格的な登りが始まった。ジグザグを切りながらグイグイ登っていく。左上方には嵐山の山頂が見える。今日最後の登りと自分に言い聞かせ、急登に耐える。またも上方から二人連れのパーティが下ってきた。こんな名も知れぬ山に意外に多くのハイカーが入っているのに驚く。おそらく、嵐山のハイキングというより東海自然歩道の走破を目指しているのだろう。

 ようやく鉄塔の立つピークに登り上げた。「嵐山 0,3km」の標示がある。山頂までもうひと息である。尾根道を進む。小さな瘤を越え、少々登ると、そこが待望の嵐山山頂であった。木々に囲まれ、小広く開けた平坦地で、電波塔が立ち、また産霊宮水上神社(むすびのみやみなかみじんじゃ)と言う縁結びの神様の社が鎮座している。西方にのみ小さく視界が開けており、眼下に相模湖が望める。また、少々場所を移して電波塔の脇から覗き込むとかろうじて富士山が見えた。備え付けのベンチに腰を下ろす。山頂部の一角には405.9メートルの三等三角点「若柳村」が頭を覗かせている。

 いよいよ今日最後の行程に出発する。「弁天橋 1.6km」の標示に従い、北に向う登山道を下る。樹林の中のやや急な、一本調子の下りである。そろそろ足の裏が痛くなりだしている。20分ほどで北側の登山口である相模川沿いの車道に下り立った。無事の下山である。相模ダムを右手に見て、相模湖大橋で相模湖を渡り、与瀬の街並みに入る。相模湖駅では待ち時間ゼロで上り列車に乗ることができた。満足の行く山行であった。

登りついた頂  
   石老山  702  メートル
   嵐山   405.9 メートル 
 

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