浅間山の寄生火山 石尊山 

秋晴れのもと、人影なき森林を抜け、大展望の山頂へ

2017年10月1日


 
 赤滝(血の滝)
 石尊山から浅間山を望む
                            
信濃追分100m道路際登山口(650〜700)→三石追分林道(730〜735)→浅間第二幹線林道(750〜755)→林道に出る(812)→登山道に入る(814)→濁川の砂防ダム(818〜821)→赤滝(835〜840)→濁川の右岸に渡る(844)→坐禅窟分岐(848)→源泉分岐(905)→石尊平(940)→石尊山山頂(950〜1020)→石尊平(1029)→おはぐろ池(1045)→坐禅窟分岐(1101)→濁川を渡る(1103)→赤滝分岐(1108)→林道に出る(1114)→登山道に入る(1115)→浅間第二幹線林道(1126)→三石追分林道(1138)→登山口(1202)

 
 天気予報が今日一日絶好の行楽日和と告げている。毎日暇を持て余している身、山にでも行ってみようか。とは思っても、近郊に特に登りたい山もないのだがーーー。ただし、前々から少々気になる山が一つある。軽井沢の信濃追分にある石尊山である。標高1667.8メートル、浅間山の寄生火山である。登り3時間程度で危険個所もなく、案内書には「登山というよりハイキング」と記されている。ただし、山頂からの展望は絶佳で、特に浅間山の展望は素晴らしいとも記されている。

 「石尊山」と言う名称の山は関東を中心に数多くあるが、いずれも、江戸期に流行した石尊権現信仰に由来する。即ち、この石尊権現が祀られた山である。石尊信仰は神奈川県丹沢の大山に鎮座する大山寺(現在の阿夫利神社)に始まった信仰である。この信濃追分においても、麓の自性院という寺社により石尊信仰が広められた。現在の石尊山山中に幾つもの霊場が設けられ、山頂に石尊権現が祀られた。自性院は明治の廃仏毀釈により廃寺となったが、往時の信仰の痕跡はその山名とともに現在も山中に幾つも残されている。

 夜明け前の4時45分、車で家を出る。上越自動車道から上信越自動車道へと進むうちに夜が明けてきた。顔を出した太陽が車の背後から眩しい光を浴びせる。予報通り空は真青に晴れ渡っている。碓氷軽井沢インターで高速道路を降り、カーナビ任せで信濃追分に向う。

 6時50分、信濃追分の1000メートル道路端の石尊山登山口に到着した。駐車スペースが5〜6台あるが、駐車している車の姿はない。活火山への登山である旨の注意事項と熊に対する注意事項が掲示されており、登山届の提出ポストも用意されている。支度を整え、7時出発。今日は熊対策として、ザックに鈴を結びつけてある。また、いざとなったら戦うための武器としてストックを持参している(本当は杖代わりだがーー)。

 登山口の北側はただ一面にカラマツ、アカマツ、ミズナラなどの混成林がどこまでも広がっている。その中を真っ直ぐ北へ向って石尊山登山道が続いている。入り口付近は両側から張りだすススキが少々うるさいが、すぐに幅2メートル、傾斜もほとんどない確りした小道となった。ただし、難は、火山の噴出物(スコリアと言うらしいが)と思える拳ほどの岩石が道に多数散らばり、それを避けながら歩かなければならないことである。樹林の中はキノコだらけの気配、マツタケもあるのだろうか。帰路には多くのキノコ採りの人を森の中で見掛けたがーーー。

 ほとんど傾斜もない小道を20分もたどると、道が人工建材で階段状の整備が施されている。か えって歩きづらい。何て無駄なことをするのでろう。更に10分も進むと、砂利を敷きしめた林道を横切る。三石追分林道である。ちょっと立ち止まっただけで、先を急ぐ。樹林の中は相変わらず人の気配はまったくない。背中の鈴の音のみが樹林の中の空気を微かに揺るがす。

 さらに15分も樹林の中を足早に歩くと再び砂利道林道を横切る。浅間第二幹線林道である。この辺りがちょうど山頂までの中間点と見え、道標が「石尊山へ約3KM 追分宿へ約3KM」と標示している。さらに傾斜のない小道を15分ほど進むと、ぽんと、林道に飛びだした。道標に従い林道を100メートルほど辿ると、道標が左側に分かれる小道を登山道と指示している。

 いくらか登山道らしくなった小道をたどる。左下に沢が接近し沢音が聞こえはじめる。石尊山中腹を水源とする濁沢のはずである。しばらく進むと、何の標示もないが、左下の沢に下る踏跡があったのでたどってみた。高さ3〜4メートルの砂防ダムが現れ、抹茶色に濁った豊富な水流が流れ落ちていた。この茶色の一見泥水に見える水流こそが濁沢の特色である。そしてまた、このことが石尊信仰にも関係があったと思われる。

 茶色に濁って流れ落ちる濁川の水も、源泉で湧き出た瞬間は無色透明とのこと。ただし、水に多量の鉄分が含まれているため、空気中の酸素とふれるとすぐに酸化し、茶色に染まってしまうとのことである。この茶色に染まった水に昔の人々「血」をイメージしたようである。このため、濁川にかかる滝を「血の滝」、濁川の水をたたえる池を「血の池」と呼び習わした。そして、血を流す川を育む山に一種の神性を感じたと思われる。このことが、この石尊山が信仰の山となった理由の一つであろう。

 沢音を聞きながら、いくらか傾斜の増した登山道をさらに登ると、道標があり、左の谷底に向う細い踏跡を「赤滝(血の滝) 約0.1KM」と示している。行ってみると、高さ10メートルほどの滝があり、赤茶けた水が轟音を立てて流れ落ちていた。赤滝が本来の名称と思えるが、「血」をイメージすることにより「血の滝」との別称があるのだろう。この赤滝の脇の溶岩窟に2体の不動明王が鎮座している。ここもかつての石尊信仰の霊場である。

 登山道に戻り、赤滝落ち口の10メートルほど上流を木橋で左岸から右岸へと渡る。さらに、すっかり登山道らしくなった山道をほんの数分辿ると林道に出会った。ここが坐禅窟分岐である。この林道を左手に10分ほど進むと坐禅窟と呼ばれる洞窟があり、中に石仏が多数安置されているとのこと。かつての石尊信仰の霊場跡である。ただし、今回は寄り道はせず山頂めがけて先を急ぐことにする。

 坐禅窟分岐から15分ほど進むと尾根の末端のような地形に行き当たった。「血の池」と呼ばれる地点であるが、それらしき池は見当たらない。辿ってきた登山道は尾根の左右二つに分かれる。ここに立派な道標があり、左の道を「石尊山山頂」、右の道を「石尊山山頂 源泉経由」と標示している。ここが問題の箇所、そして問題の道標である。事前に、インターネットで調べてあったので、私は迷わず左のルートに踏み込む。

 実は、道標とは裏腹に、右のルートはまともには山頂には導いてくれない。右ルートをたどると、すぐ上が源泉であるが、その先は木材により通行禁止の処置がとられているとのこと。この先は火口から4キロ以内の立ち入り禁止区域となるための処置らしい。禁止処置を無視して進んだとしても、山頂に行けることは行けるが約1時間もの大回りになるとのこと。インターネットで調べた多くの登頂記録は、迷った末に、この分岐まで戻り、改めて左側のルートを辿っている。

 分岐を左に進むと、そのすぐ先が「おはぐろ池」であった。ただし、池というには少々おこがましい。茶色の水の淀んだ小さな水溜まりに過ぎない。その岸辺には石の小さな祠が鎮座しており、木柱に「血の池弁財天神社祭礼」と記されている。ここからルートの状況は一変した。本格的な山道となり、目の前に立ち塞がる尾根に向って、ジグザグを切っての急登となった。左手上空に木々の隙間を通して高まりが見える。目指す石尊山なのだろうか。急登に息が切れ、立ち止まる回数が増える。朝から何も食べずにここまで登って来た。腹に力が入らない。

 30分ほど急登にもがき続けると、ようやく尾根状地形の鞍部に登り上げた。石尊平と呼ばれる開けた平坦地である。火山性の細かい砂利が敷き占められ、小さな草地と潅木が点在している。踏跡もはっきりせず、少々ルートが分かりづらい場所である。右に浅間山に向って踏跡があるが、「危険につき立ち入り禁止」の立て札が立ち塞がっている。現在火口から4キロ以内は立ち入り禁止である。左に続く尾根の先に丸いピークが見え隠れするが、目指す石尊山と思える。

 そのピークに向い、はっきりしない踏跡を追って進む。尾根が狭まり、樹林の中の登りとなると、ルートははっきりする。少々きつくなった登りを今日最後のアルバイトとばかりに頑張る。ふと、背後を振り返って思わず息をのんだ。目を見張るばかりの大きな大きな浅間山が視界一杯に聳え立っているではないか。今日初めて仰ぐ浅間山である。山頂からの展望が楽しみだ。知らずと足が速まる。

 山頂が近づくとルートは萱との薮の中に埋没した。わずかな踏跡を追って薮を漕ぐ。思わぬルートの状況変化に少々驚く。ただし、薮漕ぎの距離は短かった。ぽんと、開けた山頂に飛びだした。時に9時50分である。山頂は小広く開けた萱との原で、西を除く三方に大きく展望が開けている。もちろん山頂に人影はなかった。登山口を出発して以来、人影はまったく見ていない。

 ザックを下ろすのももどかしく、先ずは大展望を堪能しよう。来し方、北を振り返ると浅間山が視界一杯に立ち塞がっている。山頂から煙は上がっていない。火山活動は現在穏やかなのだろう。山頂からやや下がった右側山腹には「阿陀ヶ城岩」と呼ばれる垂直の絶壁の連なりが目に付く。大昔の噴火口の跡なのだろう。浅間山の左に連なる三角形の山は黒斑山だろうか。振り返って東方から南方を望むと、眼下には浅間山の裾野が大きく広がり、その中に町並みが点在している。そして、その背後には幾重にも山並が重なり、連なっている。山々を同定しようと試みてみたが妙義山以外はさっぱり分からない。西上州の山々、奥秩父の山々、八ケ岳連峰、そして遥か彼方には南アルプスの山々も見えているのだろうが。写真を撮って、帰宅後ゆっくり検討しよう。草原に座り込み、景色に見とれながら握り飯を頬張る。ここは1600メートルを越える山頂だが、差し込む日差しが暖かい。至福の一時である。

 30分ほどの滞在の後、山頂を辞す。昭分社の登山地図には山頂から南面を血の池付近に直接下るルートが記されているが、事前調査によると、このルートはもはや歩けないらしい。登ってきたルートを素直に下ることにする。

 さすがに下りは早い。おはぐろ池先の分岐まで下ると、4人パーティの姿を見た。今日山中で初めて見掛けた人影である。続いて、坐禅窟分岐付近で1人、赤滝付近で1人の登山者とすれ違う。さらに下ると、林の中にキノコ採りに勤しむ人々の姿が散見されるようになる。12時、無事に愛車の待つ登山口に辿り着いた。いささか早い時刻の下山である。登山口には、我が愛車以外に5台の車が駐車していた。 

登りついた頂き
   石尊山  1667.8 メートル
       

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