浅間尾根縦走

御前山、大岳山の大展望台

2004年1月5日


 浅間嶺より大岳山を望む
 
浅間尾根登山口バス停(840〜845)→浅間の湯(855)→最後の人家(900)→浅間尾根(920〜935)→サル石(945)→日向平・藤倉分岐(950)→一本松(1000〜1010)→人里分岐(1035)→浅間嶺(1055〜1105)→沓打場(1130)→一軒家(1140)→車道(1145〜1150)→時坂峠(1200)→払沢ノ滝(1235〜1240)→払沢ノ滝入口バス停(1250〜1316)

 
 山並みを見ることさえかなわぬ大平原の真っただ中、Bangkokに1年間暮らした。寒い寒い日本に帰国して早1ヶ月が経ち、年も明けた。そろそろ行動を起こさねばと思うが、適当なところが思いつかない。なにしろBangkokでの生活はどこへ行くのも運転手付きの車、まともに歩くのはゴルフぐらいであった。こんな生活を1年も続けたので、果たして山登りができる足腰を持ち合わせているのかどうかまったく自信がない。先ずは体力を見極めるごく軽いハイキングがよい。ふと、奥多摩の浅間尾根が思い浮かんだ。ここならば初心者向けハイキングコース、しかもいまだ未踏である。冬枯れの雑木林がきれいだろう。

 北鴻巣発5時24分の1番列車に乗り、川越線、八高線経由で武蔵五日市駅着7時16分。7時23分発の数馬行きのバスに間に合った。世の中、今日がご用始め、バスはガラガラで、他に登山者は二組だけであった。8時40分、数馬下集落の浅間尾根登山口でバスを降りたのは私1人であった。谷間のためだろうか、周りはかなりの残雪が見られる。但し見上げる山々には雪はなさそうである。

 支度を整え、道標に導かれて山中に向かう道に入る。舗装された車道であるが、いきなりものすごい急登である。見上げると、急斜面のかなり上まで点々と人家が見られる。アキレス腱に痛みを感じるほどの急登に息せききらす。浅間ノ湯という温泉民泊、木材貯蔵場を過ぎ、約15分のアルバイトで最上部の人家に達した。車道はここまで、林の中の小道に変わる。と同時に、傾斜も緩む。林道を横切り、植林の中を登ると、やがて雑木林の明るい道となった。空は真っ青に晴れ渡り、今日1日の晴天を約束している。支尾根に達し、ほぼ平坦となった道を足早に進むと、馬頭観音の立つ数馬下分岐に達した。浅間尾根縦走路である。

 設置されているベンチに腰を下ろし、朝食のサンドイッチを頬張る。朝から何も食べずにここまで登ってきた。辺りに人の気配もなく、太陽が戸倉三山の上から朝の光を浴びせ、ぽかぽかと暖かい。気分もいたってのんびりとしてくる。冬の低山歩きの素晴らしさが凝縮されたひと時である。腰を上げ、縦走路を辿る。すぐに北方に視界が開け、真っ正面に御前山がゆったりと聳えている。大きな山だ。心配した雪は、日影にわずかに残る程度で問題ない。道は稜線の南側を巻ながら平坦に進む。馬頭観音の小さな石像を見、少し進むとサル石との標示のある大岩にでる。日向平・藤倉分岐を過ぎ、さらに進むと、一本松ピークの肩に達した。ここにも馬頭観音が鎮座している。ひと休みする。

 すぐ上のピークへ登ってみる。雑木林の中に930.2メートルの三角点と消えかけた山頂標示があり、木々の間より御前山が切れ切れに見えるだけであった。再び縦走路を辿る。すぐに浅間石宮と標示された小さな石の祠を見る。雑木林の木々の間から、御前山と大岳山が見え続けている。道はどこまで行っても平坦である。「これでは山歩きではないよ」との不満も心の中に湧いてくる。この浅間尾根道は今でこそハイキングコースであるが、元々は荷駄の通った昔の街道である。甲州街道の裏街道でもあった。平坦な実に歩きやすい道のはずである。

 馬頭観音の立つ人里分岐はやや薄暗い樹林の中。ベンチはあるが休む気も起きずそのまま通過する。それにしても、いまだ山中誰にも会わない。なんて静かなんだろう。風の音、小鳥のさえずりひとつ聞こえない。落ち葉を踏む音のみが静寂を破る。いくつかのガレ場が現れるが、桟道で確り整備されているので通過には問題ない。相変わらず、木々の合間よりちらりちらりと御前山と大岳山が見え続ける。

 一本松から40分も歩き続けると、地形はゆったりした高原状となり、右手一段上に四阿が現れた。若者が1人休んでいる。今日始めてみる人影である。ここが浅間嶺への登り口。北面を巻いて平坦に進む旧街道を離れて、ちょっと急な斜面をひと登りすると、あっさり山頂に達した。と同時に、思わず感嘆の声が口から漏れる。遮るものもない視界の先に、大きな大きな御前山と大岳山が悠然とそびえ立っている。まさに大展望である。ザックを放り投げて、しばしの間立ち尽くす。御前山の左奥には鈍角三角形の雲取山の姿も確認できる。特に大岳山が素晴らしい。何と神々しいのだろう。まさに神の座す山である。過去何度も何度もこの山を眺めたが、これほどの姿となって眼前に現れたのは初めてである。振り返ると、戸倉三山が逆行の中に黒々と連なっている。

 山頂には老夫婦がラジュースを焚いてのんびりと休んでいた。しばしの休憩の後、下山に移る。縦走路もここで終わり、あとは下るだけである。旧街道と再び合流して緩やかな道をどんどん下る。木の間隠れに三頭山がちらりと見えた。この山は今日はほとんど姿を現さなかった。やがて道は沢に合流する。「沓打場」との標示がある。さらに下ると、案内書に「一軒家」と載っている茶店に達するが休業していた。この家は昔の荷物の集積場であったとのことである。軽自動車なら通れそうな道を5分も進むと、また茶屋があったが、ここも閉まっている。その50メートル先で車道にとびだした。

 通る車とてない車道を足早に下ると、時坂峠に達した。小さな祠といくつかの石仏が並んでいる。車道さえなければなかなか情緒のある峠である。ただし、この地点は、尾根を乗越す峠ではなく、下から尾根に登り上げた地点である。車道を離れて、左の峠道を下ると時坂の集落に達した。かなり急な斜面にぽつりぽつりと人家が点在しているが、どの家もひとの気配はない。廃屋なのだろうか。それとも正月で留守なのだろうか。集落内をヘアピンカーブしながら下る車道を嫌い、直線の小道を拾いながら下る。

 緩やかな車道をしばらく歩くと数軒の茶屋が現れ、払沢ノ滝入口との標示がある。バス停までもう2〜3分の距離だが、行きがけの駄賃に滝を見物することにする。滝まで10分との標示である。この滝は日本滝百選に選ばれている。沢に沿った山道を足早に奥へ進む。車でやってきた観光客と三々五々すれ違う。到着した滝は思いのほか立派であった。一見の価値はある。もう少し水量があればさらに素晴らしいだろうが。

 バスは待ち時間は20分であった。ここまで、昼飯も食べずに歩き続けてきた。バス停のベンチに座り、1人パンを頬張る。ちょっと歩き足らないかなとの思いを抱きながら。どうやら1年のブランクにもかかわらず、足腰は健在であるようだ。ひと安心である。次からはもう少しまともな山へ行ってみよう。 

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