比企丘陵 仙元山・物見山・小倉城跡

 槻川右岸の小山稜を縦走

2001年12月9日


大日山より堂平山(左)と笠山(右)を望む
 
小川町駅( 810)→仙元山登山口(835)→天満宮(845)→仙元山(905〜915)→青山城跡(930)→大日山(1010〜1025)→物見山(1045)→仙元山(1050〜1055)→小倉城跡(1125〜1140)→車道(1155)→大平山登山口(1210)→大平山(1220〜1225)→嵐山渓谷(1240〜1245)→千手堂集落(1255)→菅谷館跡(1320〜1355)→武蔵嵐山駅(1410)

 
 奥秩父、奥武蔵と続いてきた山並みもおよそ八高線を境として関東平野に没する。この八高線の左右に展開する細波のような大地の最後のうねりは比企丘陵と呼ばれる。この一帯は多くのゴルフ場が建設され、自然破壊が進んでいるが、一方また、落葉広葉樹の林が続き、武蔵野の面影を色濃く残している地域でもある。一般的に、ハイキングの対象ともされておらず、登山道や道標が整備されているわけではない。しかし、里山だけに麓の集落からの踏み跡も多く、また、冬枯れの季節ならばたとえ踏み跡がなくても自由に歩ける。迷ったところで麓のどこかに迷い出るだけである。この冬はこの山域を歩いてみよう。私にとってほとんど手付かずの山域である。
 
 どこに行こうかと二万五千図「武蔵小川」を眺めていたら、小川町の南東約2キロにある仙元山という298.9メートル三角点峰が目に留まった。そこから続く小さな尾根を目で追うと物見山という286メートル峰があり、さらに東に続く尾根は最後に槻川に没する。ここまで来れば東上線の武蔵嵐山駅まではそんなに遠くはない。途中、嵐山渓谷や畠山重忠の居城・菅谷館跡も見学できそうである。
 
 熊谷、寄居と乗り換えて、和紙の郷・小川町着8時8分。地図を見ぃ見ぃ登山口に向かう。山中よりも町中の方がはるかに道はわかりにくい。今日の天気予報は快晴であるが、北風が吹き荒れ、朝方の気温はこの冬最低を記録しそうである。小さな盆地を囲む山々が朝日に輝いている。町並みを抜け、槻川を渡り、八高線の踏切を渡ると小さな道標が「仙元山登山口」を示している。8時35分、駅から25分で鳥居の立つ山の端の登山口に達した。水溜りには氷が張っている。
 
 目の前の小ピーク上に天満宮があるようで参道が直登しているが、道標が谷沿いの道を「仙元山遊歩道」と示している。遊歩道は神社ピークを右より巻くようにして鞍部に登り上げた。ちょっと戻って神社まで行ってみる。社務所を兼ねた大きな建物だが人影はない。今日一日の無事を祈る。緩く、きつく、雑木林の中を登る。木の間からちらちら見える小川の町並みが見る見る小さくなる。人の気配は全くせず、上空でうなりをあげる風の音と、踏みしめる落ち葉の音のみが静寂を破る。神社から15分で支尾根に達し、「下里・八宮神社」からの道と合流する。さらに5分も登ると四阿風の展望台が現れた。東面に視界が開け、眼下に関東平野が広がっている。はるか先には大宮の高層ビル群が微かに見える。一段上が仙元山山頂であった。檜林の中で展望はない。298.9メートルの三角点と腰掛け代わりの丸太の輪切りがいくつか並んでいる。一人朝食のサンドイッチを頬張る。
 
 いよいよ縦走の開始である。幸い、南に向かう尾根にはしっかりした踏み跡があり、道標が「下里・大聖寺」と示している。尾根道を10分も緩やかに下ると、「下里・大聖寺」への道は左へ下って行く。ただし、尾根上にもしっかりした踏み跡が残されておりひと安心である。踏み跡は次の267メートル標高点ピークを左から巻きに掛かる。すぐに、ピークに登り上げる踏み跡が分かれ、道標が「青山(割谷)城跡」と示している。行ってみることにする。2箇所の尾根の堀切を越えて雑木の茂る山頂に達するとそこが本郭跡であった。戦国時代の山城跡とのことで、当時の面影をよく残している。巻き道に戻り、先に進む。ところが、地形は二重山稜となり、踏み跡はその間の谷状の地形をどんどん下りだした。どうもおかしい。右側の山稜が主稜線と思えるのだが。見切りをつけて戻るが、山稜に登り上げる踏み跡は見つからない。こうなればいつもの通り強引に藪を漕ぐのみ。潅木の隙間を縫って急斜面を稜線に登り上げる。期待通り、稜線上にはしっかりした踏み跡があった。この踏み跡の入り口はどこにあったのだろう。
 
 小さな上下を繰り返しながら、尾根道を辿る。雑木林と檜の植林が交互に現れる。右側には木の間に笠山と堂平山が見え隠れする。里山の例に違わず、踏み跡がいくつも左右に分かれるが、ポイントには手製の小さな道標もある。ハイキングコースとは云えないまでも、結構歩かれている様子である。尾根はいったん左に曲がり、再び右に曲がって南下する。上空を通り過ぎる風は強いが、尾根上はそよ風であり、木の間から降り注ぐ冬の陽が明るい。小さなピークに登り上げると三角点があり、傍らに測量用のポールが立っている。地図に山名の記載はないが、大日山と呼ばれる252.7メートル峰である。ひと休みする。東側の潅木が疎となっていて笠山と堂平山がよく見える。
 
 出発しようとしたら、意外なことに、同じルートから中年の単独行者が登ってきた。山中初めて見る人影である。彼とはこの先、小倉山城跡で再会し、武蔵嵐山駅でも姿を見かけた。私と同じようなルートを歩く物好きもいるものである。主稜線はこの頂で向きを90度左に変え、東に向かう。鞍部に下ると、地図の記載通り、細い林道が左側の稜線直下まで登ってきている。小さな上り下りを繰り返しながら、足早に稜線を辿る。左側に木の間隠れに仙元山がちらちら見える。ちょっとした登りを経ると、物見山に到着した。しかし、広々とした山頂部は鬱蒼とした檜林のなかで、山頂標示もなく、どこが山頂ともつかない。休む気にもなれずそのまま通過する。単独行者とすれ違った。
 
 次の270メートルピークは特異である。「仙元大神」と記された大きな板碑を中心に多くの板碑が建てられている。地図に山名の記載はないがこのピークも仙元山と呼ばれている。今日二つ目の仙元山である。通過してきた仙元山、大日山はその宗教的名前にもかかわらず宗教的施設は何も見られなかったが、この仙元山は宗教的雰囲気が濃厚である。「仙元」とは、もちろん、「浅間(センゲン)」を神仙思想風に書き換えたものである。その背景には日本古来のアサマ信仰が修験道の影響を強く受けて変質していく過程を見ることができる。修験道とは、日本古来の山岳信仰をベースに、仏教や神祇信仰、陰陽道、中国の神仙思想が習合して形成された宗教である。
 
 道は下り一方となる。今日初めて樹林が切れ、右側に展望が現れた。大きく広がる関東平野の向こうに、大宮の新都心高層ビル群、その右には新宿の副都心高層ビル群が霞んでいる。道が二つに分かれる。道標が右を「林道を経て嵐山」、左を「小倉城跡、嵐山」と示している。左の道を採る。山稜の左側をぐんぐん下っていく。槻川沿いの集落が目の前に迫ってきて、このまま下界まで下ってしまうのではないかと心配したが、ほどなく道は峠状の鞍部に下り着いた。小道が乗越しており、道標が右に下る道を「嵐山」、尾根をそのまま小ピークに登り上げる踏み跡を「小倉城跡」と示している。小倉城跡に向かう。登り上げた136メートル峰が城跡であった。尾根の末端に築かれた戦国時代の山城で、松山城の支城であったようである。尾根の堀切、土累跡などがよく残っている。先の青山城よりだいぶ規模は大きい。本郭跡の樹林の中に一人座り込み握り飯を頬張る。荒城の月の一節が脳裏に浮かぶ。「千代の松が枝分けいでし、昔の光いまいずこ」。大日山で見かけた単独行者がやってきて、挨拶したのち、少し離れたところに陣取った。
 
 いよいよ下山である。先ほどの峠まで戻るのが本道のようだが、このまま尾根を行けるところまで辿ってみることにする。尾根の続きに踏み込んでみると、微かに踏み跡もある。すぐに尾根右側直下に神社を見る。しつこくなおも尾根を辿る。踏み跡も絶えた尾根を下草を蹴散らして進むと、尾根は尽き車道に降り立った。槻川に掛かる谷川橋のたもとである。これで縦走の終了である。
 
 ここからは嵐山渓谷を経由して武蔵嵐山駅まで歩くのが常識だろうが、今日はもうひと山登る計画を持っている。槻川の対岸に、大平山が聳えている。わずか179メートルの山だが、槻川もこの山のために大きく蛇行している。地図を確認すると北側に登山口がありそうである。交通量の多い立派な車道を15分ばかり歩き、目指す地点に行くと、山頂に向かう立派な遊歩道が整備されていた。登り上げた山頂は無人であった。ベンチとテーブル、立派な展望盤が設置されている。しかし、樹木が枝を張り、切れ切れの笠山が見えるだけである。傍らには雷電神社の祠もある。50メートルほど南に移動すると四阿があり、東に大きく展望が開けている。広々とした関東平野の向こうに大宮、新宿のビル群が高まった陽に霞んでいる。ひと休みしていたら、何と、若者が自転車で登ってきた。元気なものだ。
 
 武蔵嵐山には東、千手堂集落に下るのだが、私は南、嵐山渓谷に下る。公園風に整備された一角に下り着く。立派なトイレや展望櫓があり、「嵐山町名発祥之地」との碑が立つ。嵐山渓谷に沿った遊歩道を進む。千手堂集落からは里道となった。二万五千図を見ぃ見ぃ武蔵嵐山駅を目指す。県道・玉川熊谷線を横切り、畑中の道を歩くと菅谷館跡に行き着く。今日最後の目的地である。都幾川と槻川の合流点の高台に位置するこの館跡は、鎌倉時代の関東武士の頭領・畠山重忠の居城と伝えられている。雑木林の中に堀や土累、各郭の跡が明確に残る広大な城跡で、一見の価値があった。城跡の一角に建つ県立歴史博物館を見学して駅に向かう。
 
 今日は山歩きと里歩き半々の小さな旅であった。自らの足で歩くといろいろなものに出会う。

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