日光 社山から半月山へ

中禅寺湖南岸の山稜を縦走

2001年11月4日


1655m峰の登りより社山を望む
 
 
立木観音前駐車場( 715〜730)→狸窪(800)→阿世潟(820〜825)→阿世潟峠(835〜925 )→社山(1025〜1110)→阿世潟峠(1150〜1155)→1655m峰(1230)→半月峠(1235〜1240)→半月山(1310〜1320)→駐車場(1350)→狸山(1400〜1410)→車道(1420)→茶ノ木平駅(1450〜1455)→車道(1520)→立木観音下駐車場(1535)

 
 日光・中禅寺湖南岸の山々が気になる。茶ノ木平(ちゃのきだいら)―半月山(はんげつやま)―社山(しゃざん)―黒檜岳(くろびだけ)と続く山稜である。社山から黒檜岳へと縦走したいのだが、このコースは踏み跡も薄く熟達者向き。日の短いこの時期にはちょっと危険である。まずは社山に登って黒檜岳へのルートを観察した後、稜線を反対に縦走して半月山、茶ノ木平と辿ってみよう。ちょうど一日コースである。社山へは阿世潟峠(あぜがた)から整備された登山道が通じているはずである。紅葉も終わり日光も少しは空きだしているだろう。
 
 夜明け前の5時25分、車で出発する。夜半まで降り続いていた雨は上がっているが、今日は北風が吹き荒れ、山は雪になるとの予報である。走るほどに、白々と明けてきた濃紺の空に男体山(なんたいさん)、大真名子山(おおまなごさん)、女峰山(にょほうさん)が黒く浮かび上がる。何と! 山頂部はうっすらと白く染まっているではないか。昨夜の雨が山では雪であったようである。
 
 7時20分、140キロ走って中禅寺湖畔立木観音前の大きな無料駐車場に着く。湖を挟んだ真っ正面にモルゲンロートに赤く染まった男体山がデンとそびえ立っている。今日はこの男体山と中禅寺湖を見続けることになる。視線を大きく左に振ると、正三角形の端正な山が目に飛び込む。これから向かう社山である。赤茶けた冬枯れの山体が朝日に輝き、なかなかの山容である。駐車場にはすでに数台の車が止まっており、支度を整えている間に4人パーティが出発していった。
 
 半月山に向かう観光道路と別れ、湖畔沿いの細い車道を進む。道は落ち葉に覆われ、葉を落とした木々の合間から男体山が見え続ける。吹き付ける強風に泡立つ中禅寺湖の波音が心地よく響く。波打ち際に沿う道はくねりながら奥へと続く。さすがに寒さは厳しい。途中でヤッケを着込み、手袋をはめる。先発した4人パーティを抜き、外国大使館別荘を過ぎると民宿が二軒ある狸窪(むじなくぼ)に達した。遮断機があり車はここで通行止めだが、地道の道がさらに奥へ続く。ここが半月峠への登山口で、5人パーティが取り付いていた。私はさらに湖畔の道を辿る。50分の車道歩きで阿世潟(あぜがた)に到着した。流入する小沢の河口に開けた平地で、一面雑木林が広がっている。ここが阿世潟峠への登り口である。腰を下ろしひと休みする。
 
 最初ははっきりしない踏み跡も登るにしたがいしっかり整備された登山道となる。15分弱であっさりと阿世潟峠に登り上げた。社山と1655メートル峰との小さな鞍部で、足尾側にもしっかりした踏み跡が下っている。木の間越しに中禅寺湖と男体山が見える。写真を撮ろうとしたら 何と! カメラがない。阿世潟では確かにあったのだが。何たることだ。10万円もした愛用のデジタルカメラである。ザックをデボして一目散に峠を駆け下りる。途中で後続の4人パーティとすれ違う。青ざめて駆け下りてくる私を見てピンときたのだろう。向こうから声が掛かった。「カメラですか。道標に掛けておきましたよ」。やれやれである。カメラを手に、息を切らして再び峠に登り上げる。4人はまだ峠で休んでいた。着くと同時に「時計を落としませんでしたか」と思わぬことを聞く。そんなはずはーーーとベルトに結んだ時計を確認すると、何と! ない。高度計付きの愛用の時計である。どうやら先ほど駆け下りたときに衝撃で外れてしまったようだ。「途中の道標の上に置いておきましたよ」との言葉を背に再び峠を駆け下りる。もう泣きたい気持ちである。
 
 三度目の峠に戻り、ようやく腰を下ろす。無人の峠で一人朝食のサンドイッチを頬張りながら思わず噴きだしてしまう。何たるヘボをやらかしたものか。しかも一度ならず二度までも。今日は初っぱなから思わぬ重労働であった。峠は朝日が射し暖かい。最初の到着から50分後、いよいよ社山に向け出発する。急登に次ぐ急登が続く。しかし、所々に踊り場のように小平地があり、立ち止まって息を整える。急峻な尾根は唯一面の低い笹に覆われ、落葉広葉樹がまばらに生えている。見た目には実に美しいが、これは足尾銅山の煙害による大規模な自然破壊の跡である。昔はコメツガなどの針葉樹の鬱蒼とした原生林であったといわれる。
 
 植生生成の理由はともかく、展望は実によい。稜線の右側は風光明媚な奥日光の景色である。濃紺の水をたたえた中禅寺湖が眼下に広がり、背後に男体山が山頂をうっすらと新雪に染めてそそり立っている。戦場ヶ原の背後には太郎山(たろうさん)、山王帽子山(さんのうぼうしやま)、三ツ岳(みつだけ)などの火山がぽこりぽこりと盛り上がる。目を左に振れば、すでに真っ白に雪化粧した白根山を主峰とする国境稜線の山々が押し寄せる雪雲に見え隠れしている。まさに絵葉書のような景色である。
 
 稜線の左側は対照的である。足下に広がる足尾の山々はいまだ笹さえも生えず、廃墟のような赤茶けた地肌をむき出しにしている。目を背けたくなるようなすさまじいまでの破壊の跡である。この現実を見るならば田中正造翁の必死の訴えも肌で理解できる。その背後には古峰ヶ原(こぶがはら)高原のゆったりした地形も確認できる。遙か彼方には上州・武州の山々がうっすらとスカイラインを描いているがもはや同定はできない。さらに目を凝らすと、地平線に浮かぶ雲の合間に真っ白な富士山が見えているではないか。なぜか富士が見えるとうれしくなる。
 
 先発した4人パーティを抜き、休むことなく急登を続ける。目を上げれば大展望が広がっており、疲れを癒してくれる。見上げる社山山頂部はそこだけ小さな樹林となっており、急峻な稜線がそこに向かってうねりながら突き上げている。10時25分、ついに山頂に達した。誰もいない。狭い山頂は針葉樹の隙間からわずかに男体山が望めるだけである。
 
 この山は「社山」と表記して「しゃざん」とも「やしろやま」とも呼ばれる。「しゃざん」との呼称が一般的であるようだが、途中で見かけた日光市の英文案内板には「yashiroyama」とあった。山名の由来は不知であるが、神社や宮といった宗教施設がある様子はない。証拠写真を一枚撮って、すぐに山頂のすこし先へ進んでみる。案内の通り、笹原の中に大石が点在する気持ちのよい緩斜面が現れた。すでに2〜3パーティが笹原に寝ころびのんびりと休んでいる。私も一角に陣取り昼食とする。目の前には見事なまでの大展望が広がっている。
 
 上空では強風がうなりを上げているが、南に面したこの緩斜面は日が射してぽかぽかと暖かい。握り飯を頬張りながら、眼前に広がる山々を眺め続ける。足下から太い稜線が緩やかにうねりながら黒檜岳へと盛り上がっていく。黒檜岳もゆったりした大きな山である。稜線は青々した緑に包まれていて、一見草原の広がりに見えるが、低い笹原なのだろう。頭の中で縦走のシミュレーションを試みる。視界さえよければ容易であろうが、視界が閉ざされた場合は目標物とてなく、困難を極めそうである。視線を少し左に振ると、皇海山(すかいさん)―鋸岳(のこぎりだけ)―袈裟丸山(けさまるやま)と続く国境稜線の山並みが立ちふさがっている。袈裟丸山のギザギザしたどこが山頂ともつかない山容に視線が止まる。いつか登ってみたい山である。眼下には荒れ果てた足尾の山並みが皺となって続く。視線はいつしか富士の姿を探し中空をさまよう。ようやく空にとけ込む微かな姿を見つけだしほっとする。
 
 休んでいる間にも数パーティがやってきて笹原に腰を下ろす。山頂に戻り、いよいよ半月山、茶ノ木平を目指して出発する。辿り行く稜線を見渡せば、阿世潟峠に大きく落ち込んだのち1655メートル峰に再び大きく盛り上がり、その背後に半月山が高々とそびえ立っている。かなりのアルバイトが予想される。急な道も下りは早い。笹原の中をグイグイ下る。振り返ると白根山が押し寄せる雪雲に見え隠れしている。阿世潟峠でひと休みした後、1655メートル峰への登りにはいる。相変わらず笹原と疎林の尾根だが、なかなかの急登である。立ち止まって振り返ると、社山が形よい姿で盛り上がっている。
 
 登り切ってわずかに下ると、そこが半月峠であった。狭い鞍部で、足尾側は小さいなガレ場となっている。中禅寺湖側に向け立派な登山道が下っているが、足尾側への踏み跡は微かである。ひと休みしている間に、ぽつりぽつりと半月山から下山してくる人の出で立ちはいずれもピクニックスタイルである。茶ノ木平までロープウェイで登り、半月山を経由してこの峠から湖畔に下る軽い山歩きなのだろう。何と雪が降ってきた。風花である。
 
 半月山に向け出発する。この登りもなかなかの急登である。半月山は山頂直下まで観光道路が通じるピクニックの山だが、まともに登ると1700メートルを越える山だけの登りがいはある。高度を上げるにしたがい再び背後の社山が盛り上がる。しかし、雪雲が押し寄せすでに霞みだしている。相変わらず風花が舞っている。すぐ右下には大きな駐車場も見える。山頂付近に達するとコメツガの林となった。ようやく足尾銅山の煙害跡から解放されたのだ。駐車場からの道を合わせると展望台にでた。西から北に掛けて大展望が得られる。社山の形よい三角形が雪雲に霞み、背後の白根山は完全に雲の中である。
 
 ほんの100メートルほど先が山頂であった。コメツガの樹林に囲まれ展望もない薄ら寒い頂である。備え付けのベンチに腰掛け握り飯を頬張る。雪がひとしきり激しく降り出した。茶ノ木平方向から60年配のピクニックスタイルの老夫婦が登ってきて「ここが山頂ですね」と確認する。どこから来たのかと聞くので「社山から縦走してきた」と答えるが、とんちんかんで通じない。おまけに「バスで一緒でしたね」とまで云われ苦笑する。
 
 樹林の中をひとしきり下ると気持ちのよい広葉樹林の尾根道となった。景色が変わり、右手に前日光の山並みが広がる。つい2週間前に辿った禅頂行者道(ぜんちょうぎょうじゃどう)の縦走路を目で追う。夕日岳(ゆうひだけ)がひときわ高く大きな山容を誇っている。薬師岳(やくしだけ)は稜線上の小さな高まりに過ぎない。まもなく数百台は収容できると思える大きな駐車道に下り着いた。ただし、止まっている車は数台、人影もない。駐車場を突っ切り、再び山稜に取り付く。緩やかに登ると「狸山(むじなやま)」との標示のあるコメツガ林の中の小ピークに達する。座り込んで最後の握り飯を頬張る。午後も深まりもはや人の気配もない。
 
 急坂を下ると、駐車場から山腹を巻いてきた車道を横切る。いよいよ茶ノ木平に向けて今日最後の登りである。だいぶくたびれたが、時間的な余裕は十分ある。樹林の中をゆっくりと登っていく。やがて落葉広葉樹の林が広がる広々とした台地に登り着く。茶ノ木平である。台地の中をのんびりと進む。閉まっている植物園を過ぎると明智平分岐、二週間前に分かれた地点である。盛んであった紅葉も、今日はすっかり葉を落としている。すぐ先がロープウェイ山頂駅、数人の観光客がいるだけで閑散としている。久しぶりに視界が開け、正面に雪雲に霞む社山がうっすらと見える。前回、時間に追われてロープウェイでここまで登ってきた。今日は罪滅ぼしに歩いて湖畔に下ることにする。駅の横から下山道にはいる。ロープウェイの架かる現在、歩く人が多いとも思えないが、登山道は実によく整備されている。眼下に見える中禅寺湖を目指して一気に下る。
 
 15時20分、墓地の横の道路に降り立った。無事の下山である。湖畔の道をのんびりと車に向かう。立木観音に寄ってみようかと思ったが拝観料を取るとのことで止めた。帰路の東北自動車道は相変わらず大渋滞であった。

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