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つくしこ調整池湖畔の駐車場(1213)→薬王院(1234)→筑波山北西尾根(1241)→椎尾山山頂(1255)→薬王院(1308)→湖畔の駐車場(1326) |
宝篋山から下山したが時刻はまだ11時半過ぎ、このまま帰宅するにはちょっと惜しい。もうひと山稼いでいこう。こんなこともあろうかと、候補の山を準備してある。椎尾山である。筑波山から北西に伸びる尾根末端の小ピークである。256メートルの標高点はあるものの、まったく登山・ハイキングの対象とはなっていない薮山である。所が、この山の中腹に名刹・薬王院が拠っている。そして薬王院の山号は寺が拠っている山に因んで「椎尾山」である。このため、山自体は誰も注目しない薮山であるにも関わらず、「椎雄山」の名は多くの人が知るところとなっている。
椎尾山という登山対象ともならない薮山を見つけたのだが、果たしてこの山は登れるのだろうか。インターネットで検索してみると、意外にも、幾つかの情報がヒットした。薬王院から筑波山山頂に通じる登山道が開かれている。「薬王院コース」と呼ばれるルートで、筑波山山頂を目指す登山道の中で最長のコースである。薬王院から筑波山北西尾根に乗るまでのこの登山道を利用し、尾根に乗ったら筑波山とは反対方向に少々辿れば、椎尾山に達することが可能なようである。しかも椎尾山に向う尾根上には踏跡もある様子である。この情報が正しければ、椎尾山登頂はいたって容易と思われる。ただし、山頂は山頂標示もなく、薮の中で、登る価値はまったくないとのことである。まぁ、ともかく行ってみよう。 宝篋山小田休憩所より30分ほど車を走らせ、「つくしこ調整池」湖畔の駐車場に車を停める。平成4年に水資源管理のために完成した人造湖である。先ずは、標高差約130メートルほど上方の山腹に建つ薬王院を目指す。山腹にへばりつく真壁町椎尾集落内の急な車道をたどる。最後の人家を過ぎると道は、もはや車も登れないのではないかと思われるほどの急勾配となる。鋪装はされているが、もう使われていないと思われる。ヒィヒィ言いながら登り詰めると、ポンと薬王院門前の鋪装道路に飛びだした。この地点に別方面からまともな車道が通じていたのだ。駐車場もある。知っていればここまで車で登れたのにーーー。後の祭である。 仁王門をくぐり、急な石段を登り境内に入る。大きな寺である。阿弥陀堂、本堂、三重塔が建ち並ぶ。椎尾山薬王院は延歴元年(782年)に最仙上人が開山した天台宗の古刹である。正保3年(1646年)に火災により全山焼失したが延宝8年(1680年)に再興されたとのこと。特に宝永元年(1704年)建立の三重塔は茨城県の重要文化財に指定されている。 さて、筑波山山頂に通じる薬王院登山道はどこかなと辺りを見渡すと、本堂前に「登山道は境内奧の墓地の脇を進む」との掲示を見つけた。やれやれである。 思いのほか確りした登山道を登る。周囲は雑然とした雑木林で展望は一切ない。緩やかに登って行くと、下山する登山者とすれ違った。筑波山からだろう。この長大な、かつ交通不便な登山ルートを辿る登山者もいるのだ。わずか7分の登りで北西尾根に達した。道標が尾根を東に上って行く踏跡を「筑波山頂まで2560米」、登ってきた方向を「薬王院まで500米」と示している。ただし、尾根を西に辿る踏跡、即ち椎尾山に向うルートについては何も示していない。 思いのほか確りした踏跡を辿る。周囲は雑然とした雑木と笹の薮である。イノシシが掘り返した跡が多い。約15分も辿ると、踏跡は下りに転じた。ということは、この辺りが山頂なのだろう。しかし、なんの標示もない。ただ、雑木と潅木と笹の薮が広がっているだけである。少々薮をかき分けて、もっとも高そうなところに行ってみると、木の枝に「椎尾山 256m」と記したビニールに包んだ小さな紙切れが止められていた。見つけた唯一の山頂標示である。満足して、登り来し道を引き返す。 登りついた頂き
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