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白久駅(810)→平和橋(818)→登山口(829)→尾根(844)→祠(849)→82号鉄塔下(903〜907)→83号鉄塔(940)→620mピーク(958)→品シュウ山頂(1026〜1038)→壊れた祠(1048)→テレビアンテナ(1103)→再び戻ってテレビアンテナ (1116)→林道の登ってきている鞍部(地蔵峠?)(1121)→予期せぬ送電線鉄塔(1134)→大指集落(1155)→三峰口駅(1305) |
埼玉県内の山々は粗方踏破してあるのだが、荒川とその支流・赤平川に挟まれた山域、すなわち小鹿野町の南側に広がる山域が未だ空白のまま残っている。この山域は500〜600メートルの低い山々の連なりで、二万五千図に山名の記載された山もない。従って、完全に登山・ハイキングの対象外の山域であり、紹介記事もめったに見ない。ただし、二万五千図「三峰」「長叉」を凝視すると、荒川北岸の下郷集落や小野原集落の背後から小鹿野町の南まで尾根筋が複雑にからみながら続いている。その尾根上には品シュウ(しなしゅう)と言う変わった山名の二等三角点峰もある。登山道はまったく期待できないが、迷ったところで里山に毛の生えたような山域、大怪我はないだろう。幸い、雑誌「新ハイキング」に簡単な紹介記事が乗っている。
北鴻巣6時5分発の下り一番列車に乗って、熊谷で6時36分発の秩父鉄道に乗り換える。平日の早朝ということもあり、電車はガラガラである。最後は、車両に乗客は私一人となった。8時7分、終点・三峰口の一つ手前、白久駅で下車する。今日はここから歩き始めて、複雑な尾根を辿って小鹿野町まで歩く計画である。改札を抜けると、待合室の片づけをしているおばさんがいた。「札所巡りか」と聞くので、「山登りだ」と答えると、態度が一変した。装備がどうのこうの、熊除けの鈴を持っていないのはけしからん、地元に迷惑を掛けるな、とか、まるで喧嘩腰である。札所巡りの巡礼は歓迎だが登山者は地元として歓迎できない、さっさと帰れ、と言うことらしい。少々ムッとする。 荒川を平和橋で渡り国道140号線を突っ切り、下郷集落の中に入る。空は真青に晴れ渡り、今日一日の晴天を約束している。ただし、気温はかなり低く、手袋が欲しい。振り返ると荒川の向こうに熊倉山が青空をバックに大きく高だかと聳え立っている。小さな集落の中は人影もない。 今日最初の関門は、山中に進入する入り口を見つけることである。「新ハイキング」の紹介記事によると「送電線鉄塔への巡視路を利用して」ということだが、その入り口がうまく見つけられるかどうかーーー。幸運なことに、集落に入るとすぐに「35号鉄塔に至る」と記された黄色い杭をみつけた。その地点から細い踏跡が背後の山中へと続いている。 最初は雑然とした荒れ地の中だが、すぐに手入れのよい杉檜林の中のやや急な登りとなる。道型は非常にはっきりしており、かつ頻繁に「35号鉄塔に到る」と記した黄色の杭が現れる。物音一つしない静寂の樹林の中をグイグイ登っていくと、わずか15分で尾根に登り上げた。すぐ下に35号鉄塔がある。 尾根上には更に上方に登っていく確りした踏跡があり、黄杭が「82号鉄塔に到る」と行く先を示している。しばしの間この尾根上の踏跡を辿ればよい。休むこともなく、樹林の中のやや急な尾根を登る。踏跡ははっきりしていてなんの心配もない。5分も登ると小さな祠があった。踏跡は尾根を左から巻きながら登るようになる。やがて82号鉄塔の下に達した。高度計は標高560メートルを示している。鉄塔は尾根上にあるが踏跡はその20〜30メートル下を通過している。初めてひと休みする。 紹介記事によると、ここから先は稜線を左から巻く踏跡を忠実に辿れば品シュウに達するように記されている。更に進むと、踏跡はいったん稜線に出た後、稜線上の大きなピークにぶつかり、左右に分かれる。左の巻き道を進む。ただし、踏跡はかなり細まる。急斜面のトラバースはあちこち崩壊し、時折危険さえ感じる。この踏跡でいいのだろうかと、少々不安を感じながら進むと、巻いている大きなピークから西に張りだしている顕著な尾根に達した。この地点が今日最初の試練であった。 踏跡が二つに分かれる。一つはこの西に張りだした顕著な尾根上を進む非常にはっきりした踏跡。もう一つは巻いてきた顕著な尾根を更に巻きながら北へ進むかなり薄い踏跡。辿るべきルートは、方向からして北へ向う踏跡と思うが、そのあまりの薄さに不安を感じる。それでも、この踏跡に踏み込む。急斜面の危なっかしいトラバースである。所が100メートルも進むと行き詰まった。急斜面をトラバースする踏跡は、気配としては更に続いているのだが、そこから先はもはや置くべき足場も得られず、進むのはあまりにも危険である。こんな危険な踏跡がルートであるはずがない。もとの分岐に戻る。 西に張りだす尾根上の確りした踏跡を辿る。尾根は緩く下った後、登りに転じる。すると何と、目の前に83号送電線鉄塔が現れたではないか。方向も違うし、辿るべきルートに鉄塔があるはずがない。この尾根はルートではない。分岐に戻る。さて、困り果てた。持参の二万五千図「三峰」を眺めるが、さっぱり分からない。 実はこの混乱の一因は持参の二万五千図にあったのだ。持参の地図は昭和49年発行で相当に古い。その古さゆえに、その後に建設された送電線が記載されていない。帰宅後、インターネットで送電線の記載された最新の二万五千図を確認すると、この迷った地点及び取るべきルートは一目でわかったのだがーーー。 何はともあれ、再び危険なトラバース道に踏み込む。先ほど行き詰まった危険箇所を細心の注意を払って何とか突破する。「もう戻れないなぁ」との思いが一瞬頭を過る。その先も途切れることなく続く薄い巻き道を進むと、巻いたピークから北へ下ってくる稜線に這い上がった。何と、この稜線上に確りした踏跡があるではないか。どうやら、辿った巻き道は本道ではなく、ピークを越えながら稜線を辿るルートが本道であったようである。紹介記事に翻弄された思いである。確りした踏跡に再会し、若干希望は湧いてきたが、相変わらず現在位置は不明である。 稜線上の踏跡を戻り、背後のピークに登ってみた。現在位置を知るための何らかの手掛かりを期待したのだがーーー。結局、高度計が630メートルを示すこのピークには何も手掛かりはなかった。逆にピークから北東へ顕著な尾根が伸びており、この尾根上にも踏跡がある。ひょっとしたら、この踏跡が品シュウへのルートではないかとの気さえしてくる。ますます目指すルートが分からなくなる。 「えぃ、迷うなら迷え。もう少し進んでみよう」。北へ向う元の稜線を辿る。次のピークで稜線は左(西)右(東)に分かれる。どちらにも踏跡がある。左を選ぶ。稜線はすぐに北へ向きを変える。方向としては正しい。ただし、踏跡が次第に薄くなるのが気掛かりである。「そろそろ引き返すタイミングかなぁ。これ以上進むと、帰路のルートも分からなくなる。こまで辿ってきたルートを思い返せるのもこのあたりが限界だ」。決断を求める声が聞こえてくる。次のピークまで行って決断しようと決め、小ピークに急登する。目の前に大きなピークが現れる。「よし、もう一つ。あそこまで行ってみよう」。ちょっと下って大きなピークに登り上げる。 その瞬間、うぉーーと思わず歓声が漏れた。何と何と、山頂に品シュウを示す山頂標示が立ち、その足下に639メートルの二等三角点「品藾」が顔を覗かせているではないか。ここが目指した品シュウ山頂なのだ。万歳!万歳!である。時刻は10時26分、狭い山頂は樹木に覆われ展望は一切ない。満ち足りた気持ちで座り込み、握り飯を頬張る。ここまで来ればひと安心である。後は、忠実に稜線を辿ればよいはずである。 ひと息ついた後、先を急ぐ。山頂の標示は来し方を「荒川方面」、反対側の北へ向う尾根を「文殊峠、釜ノ沢五峰」と示している。ただし、私が辿るつもりの西に向う稜線については何も示していない。ただし、稜線上には確りした踏跡がある。下りきると壊れた小さな祠を見る。さらに616メートル標高点ピークに急登する。稜線が方向を北へ変えると、小さなテレビアンテナが現れた。このアンテナの存在は紹介記事にもある。ここまでのルートの正しさを確認する。 そのまま稜線に沿って下り、更に右に曲がり気味に急降下する。所が、いつの間にか、踏跡が消えている。また辿っている尾根筋も何やら弱々しくなっている。ルートを踏み外した気配が濃厚である。登り返してアンテナピークまで戻る。付近を探ると、続いている尾根筋を外れる感じで、左側斜面を下る踏跡がある。念のため少し辿ってみると、はっきりした尾根筋が現れ、踏跡もはっきりしてくる。辿るべきルートと確信する。アンテナピークから伸びるケーブルもこの尾根に沿って下っている。しばらく尾根に沿って下ると、大きく開けた鞍部にでた。左側から細い林道も登ってきている。なんの標示もないが、この鞍部が地蔵峠と確信する。やれやれと座り込んでひと休みする。 峠を出発する。すぐに大岩の積み重なった小ピークが現れる。岩の隙間を縫うようにして、右側から山頂直下を巻く、更に小ピークを越え、右にカーブしながら尾根筋を下る。踏跡は確りしている。すると何と、突然尾根を跨ぐ送電線鉄塔が現れたではないか。辿るべきルート上に送電線鉄塔があるはずがない。がく然とする。いったいここはどこなんだ。鉄塔の先に少し進んでみると、人工的に大きく開削されたような地形で道路も登ってきている。いくらなんでもここは目指すルートではない。道を引き返す。 もはや頭の中は何が何だか分からず混乱の極みとなっている。地図を何度も凝視するが混乱は増すばかりである。戻りながら、木々を透かしてみると、右手に一本尾根が見える。「あの尾根を探ってみるか」。現在位置不明となった現在、他に現状を打開する手段もない。途中まで戻ると、幸いなことに、隣りの尾根に向うと思われる巻き道を見つけた。小道と思われるほど、はっきりした踏跡である。 踏跡を辿ると過たず、目指す尾根に達した。この尾根上にも確りした踏跡がある。ただし、この尾根上の踏跡は、目指すルートではないことはすぐに判明した。進む方向が明らかに違う。目指すルートは北へ向うはずだが、尾根は西に向っている。おまけに下る一方である。ここに到って決意した。「これ以上の悪あがきは止めよう」と。現在位置さえはっきりしない中でこれ以上じたばたしてもますます深みにはまるだけだ。運良く正規のルートが見つかったとしても、縦走を続けるにはもう時間切れだろう。諦めて、人里に下るのが正解のようである。 辿り着いた尾根を下る。主稜線から西に張りだした顕著な尾根と思われる。幸い、確りした尾根上の踏跡は絶えることなく続いており、下界に導いてくれることは確実だろう。尾根道を下り続ける。やがて送電線鉄塔が現れ、作業小屋が現れる。下方に人家が見えてきて踏跡は更にはっきりする。 11時55分、人家裏の隙間を抜けて細い鋪装道路に下り立った。無事の下山である。道路に沿って数軒の人家がある。ここは一体どこなんだろう。誰かに「ここはどこですか」と聞くのも恥ずかしいがーーー。幸か不幸か付近に人影はない。いずれにせよ、秩父鉄道の三峰口駅かバスの通う小鹿野町まで歩く必要があるのだが。降り立った道を右に行くべきか左に行くべきかーーー。道端に掲示板があった。そこにこの場所の住所が記されていた。「贄川字大指1526」 ここは大指集落である。地図と符合させ現在位置はすぐに判明した。県道37号線に出て、三峰口駅を目指しひたすら歩く。1時間少々歩いてようやく駅に到着した。何はともあれ、今日一日の無事を感謝しよう。 帰宅後、改めて地図を睨みながら、山中で辿った足跡を検証してみた。最初の混乱は品シュウの南に位置する620メートル峰から575メートル標高点峰に続く尾根に惑わされたものである。後半の混乱は、どこでルートを間違えたのかよく分からない。品シュウから西に稜線を辿り616メートル標高点峰及びその少し先のテレビアンテナまではルートが正しかったのは疑いない。その後が検証できない。おそらく、地蔵峠と思った場所は地蔵峠ではないのだろう。481メートル標高点ピーク辺りに迷い込んだものと思える。最後に大指集落に下ったルートは616m標高点ピークから南西に延びる大きな尾根であることははっきりしている。 もしチャンスがあれば、再度この山域を訪れ、迷った原因をはっきりさせたいものである。 登りついた頂
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